『八興会館』  その1

  岩内出身の皆さん、八興会館(はっこうかいかん)という名前を覚えていますか?大浜海水浴場に行く途中にあった道場です。いわゆる武道館なのですが、この建物は弊社の先代、紀伊右エ門が私財を投じて建設したものでした。当時の費用で450万と記録されています。

 設立は昭和38年2月9日。木造モルタル一部2階建の117坪。柔道道場33坪、剣道道場33坪。住込みの管理人室、更衣室、浴室があり、柔道着50着、剣道防具45組を取りそろえてのスタートでした。

 私財を投じて設立した背景は、青少年の健全育成。昭和29年の大火後の岩内は皆財産を失い、大変な思いをしていました。言葉は悪いのですが、不良と呼ばれる悪の道に踏み出す子も多く、紀伊右エ門は武道を通して子供たちを育てたいという気持ちから、八興会館の設立に至りました。

 八興会館のお話は、あまりにも大きな話題なので、いままでどこから手をつけて良いのやらわかりませんでした。先日、長い間管理人を引き受けていただいていた大泉さんから資料を受け取ったので、何回かに分けて書かせていただきます。写真は、平成18年取り壊し直前のものです。

『八興会館』  その1」への8件のフィードバック

  1. もとiwanaibito

    専務さんから八興会館の話題が出ないのが不思議でした。 私達の年代は
    一八さん=八興会館です。  私の家は会館から遠かったので数回友達に誘われて行った程度でしたが、会館の近くの友達は皆行ってました。剣道を習い水戸での大会に参加していたのを覚えています。 時々 食事している小
    学校の同級生もその一人で、彼も言っていました会館に通っていなかった 非行少年に・・・・私達にとって八興会館は大きな存在でした。

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    1. 北のお魚大使

      もとiwanaibitoさんへ
      八興会館の話題は、いつも書かねばと思っていたのですが、正確な資料が手元になかったこと、写真がなかったので、なかなか書けずにいました。
      続けては書けませんが、一週間に一度程度のペースで書いていきます。
      みなさんがその思い出を書いてくださることで、先代はあの世で満面の笑みを見せていることでしょう。
      ありがとうございます。

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  2. rikichan

    家の長男が幼稚園時代から小学校5年生まで少林寺拳法を習っていまして
    その練習場が八興会館でした
    入門当初は白帯、そして緑帯・・・黒帯までは行きませんでしたが
    真冬にあの場所で稽古をしていた事が健康な身体作りに繋がったと思います

    それと中学校のクラスメートが八興会館で剣道を習っていました
    彼はそれこそ手が付けられない様な生徒でしたが
    剣道だけはずっと続けていたんです
    彼の剣道着姿はとても凛々しくて・・・今はとても優しいおじさんです。

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    1. 北のお魚大使

      rikichanさんへ
      八興会館には長い歴史があって、最後は少林寺拳法でしたね。
      隙間風の道場で稽古するのは、さぞかし大変だったことでしょうが、それが丈夫な体作りになったと言われれば、
      先代はシメシメと思っているに違いありません。
      当時のワルが今はやさしいおじさんですか。先代に聞かせてあげたいです。

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  3. 高橋弘充

    紀社長 本日は返信ありがとうございます。ブログを読んだり、記憶をたどったりと昔回帰しています。小笠原軍人先生には厳しく剣道を指導されました。高橋スエと言う名前は聞いた事はないでしょうか?あまり目立たす小笠原軍人先生と活動していた様です。高橋スエは祖母になり同じくらい厳しい「衛生のババ」人でした。これから少しでも恩返しができればと思います。

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    1. 北のお魚大使 投稿作成者

      高橋様、コメントありがとうございます。
      本文でも書いているように、私たち孫は八興会館に対し協力的ではありませんでした。
      それほど、伊右エ門は本業よりも八興会館にエネルギーを注いでおりました。
      結果として周辺の人間がそれに振り回されたり、後処理に追われてしまうなどといった事が日常的に行われ、金銭的にも余裕がありませんでした。
      傍から見れば、お金持ちと思われていたかもしれませんが、実情は大変でした。
      ただ、伊右エ門は地域の子供たちを武道によって非行に走らせないといったきっちりとした信念がありました。
      それを理解したのは、伊右エ門が亡くなり、こうして八興会館で育った皆さんの声を聞いてからでした。

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  4. 有吉(川村)奈津子

    なつかしい。取り壊す前の会館の写真をみて涙が出そうです。
    私はこの会館で剣道を始めました。兄と弟は柔道で私は剣道でした。高校在学中は二度火災にあい、部活はすべて会館でした。合宿もしました。試合に行くときは岩内駅から乗車し、会館前を通過するときは後輩達が整列し、手を振り応援してくれた光景がよみがえります。全道大会で三位になった事で当時の先生が警察官を進め私と男子部員が警視庁に奉職。二人はその後も剣道を続け6段になりました。今は東京在住で64歳です。

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    1. 北のお魚大使 投稿作成者

      有吉さん、素敵なコメントをありがとうございます。
      きっと紀伊右エ門もあの世から喜んでいる事と思います。
      剣道の6段とは私は想像もつきませんが、とんでもないレベルだと思います。
      ご自身の努力でそこまでになれたことでしょうが、その土台となる練習の場に八興会館が役立つ事ができたということですね。
      このブログでは、八興会館の事を書いたものが、「その8」まで綴っています。ブログの検索窓を使ってお読みいただければと思います。

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