カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

岩内町の場所って?

いつもこのブログを読んでいただいてる皆様には、「何を今さら」というタイトルです。連休を前に、北海道の道の駅スタンプラリーで岩内に来る方もいるでしょうから、再確認しましょう。

「岩内町って知ってる?」「ああ、北海道の上のほうにあるでしょ?」「ちがうちがうあれは稚内」なんて会話を都会ではよくしておりました。

積丹半島の東の付け根にあるのが余市町。西の付け根にあるのが岩内町。積丹半島と知床半島の違いもわからない方も、過去何人も私は出会っています。

小樽から西へ60km。札幌から西へ100km。西ってどっち?地図の左側。100kmってどれくらい?東京からだと沼津、水戸といったところでしょうかね。

ところで、岩内町って、「いわないちょう」と読みます。昔私が高校生だったとき、ラジオ関東という局の某番組に投稿すると必ず私の書いた文が読まれていました。そのとき、「北海道いわうちちょうの○○さんから」と読まれていたんです。

脱線しました。連休は岩内町へ。写真はいわない道の駅外にある道案内の看板です。

影絵のような夕景

会社周辺の残雪もようやくなくなり、今度はうす緑の植物が息を吹き返してきています。朝晩の冷え込みも水たまりに氷が張るほどではなくなってきています。

ランニングをしていると、この時期だけ見ることができる景色があります。見慣れた風景だけど、ちょっと違う。何が?写真をご覧ください。太陽はとっくに海に落ちていますが、青とオレンジ色のグラデーション。それを林ごしに見る風景。私の好きな画です。

夏と違うのは、木々に葉が一枚もついていないので、小枝が毛細血管のように入り組んでいるのがわかります。写真の真ん中は海ですよ。この場所がわかりますか?岩内第一中学校の上のとある場所です。今度探してみてください。

携帯のカメラで撮ったものですので、プロが撮ったらきっともっと美しい写真になることでしょう。岩内には何もない?とんでもない。こんな自然のきれいな風景があちこちにあります。住んでいる人は当たり前すぎて気がつかないだけですよ。

岩内町役場建設工事中26.4.8

岩内町役場の新庁舎建設工事は着々と進んでいますが、まだ工事は1年ほどかかるようです。建設の専門家でない私からは、工事の説明はできず、外観からご紹介いたします。

工事関係者の車は、出入口が二つあり、中央小学校側の八幡通りに面した側と、通称「寺町通り」と言われる北側にあります。写真は北側の出入り口にあたります。

昨年秋からは外観の風景はそれほど変化しているようには見られません。足場の高さも変化なしに見受けられますが、この写真では、大きなクレーン車が入っていましたので、そろそろ見かけが変わるかも知れませんね。

左に見える山は岩内岳。三寒四温の変化の季節。青空が広がると、山が浮き出て気持ちがよいものです。そうか、新庁舎の窓からは、こんな岩内岳のきれいな風景が望めるのですね。新しい庁舎で働くみなさん、楽しみですね。きっと仕事の効率も上がりますよね~?

岩内共和道路開通

このブログでも何度か紹介をさせていただいている、岩内共和道路が2014年3月23日午前11時に開通しました。全線は国富までの7.6kmですが、今回は手前の幌似までの6.5kmの開通です。(詳しくはこちら)

今までの国道276号はアップダウンが多く、何より地吹雪がものすごくて、前の車のテールランプすら見えなくなるなんてこともよくありました。新しい道路は、防雪柵と防雪林の組み合わせにより、視界確保ができているとのことです。

弊社がある大浜地区はこの道路に近いので、今までの276号を使うよりは便利になります。将来的には、小樽と黒松内を結ぶ高速道路(建設中と計画中)に結び付ける予定になっているようです。

旧国鉄岩内線跡地を利用したこの岩内共和道路。先日さっそく利用しましたが、自動車専用の高速道路と勘違いしそうになります。途中、交差点などもあるので注意が必要です。快適に走れるからと言って、スピードの出しすぎには注意しましょうね。もちろん私は鏡に向かって言ってます。

写真は共和町梨野舞納地区の分岐点で、新道路が開通する前のものです。今は、看板の白い部分がはがされており、まっすぐ進めば共和町幌似に行けます。

岩内町役場がすっきり?

写真は、岩内町役場の現在の庁舎です。新しい庁舎の建設は順調に進んでいるようですが、2015年1月完成予定、供用開始は5月とのことですので、この古い庁舎はあと1年ということになりますね。

先日、役場の2階経済部にお邪魔したときに、ちょっとした変化に気がつきました。ずいぶん空間ができて、人が少なく感じたのです。よく聞くと、余計な書棚などがなくなって、広くなったとのこと。人の数は同じだと。

公文書ファイリングシステムを導入し、情報公開などで要求された書類を担当者不在でも短時間で取り出すことができるようになったとのことです。机の上もすっきり。

てっきり来年の引っ越しに備えて、書類を別のところに移動したのかと思いました。「探す」という行為は、生産現場においてはマイナス要素でしかないわけですから、必要なものをタイムリーに、誰でも行えるというのは、いいことだと思います。

後は、対人間のいろいろな町民サービス向上もよろしくお願いしますね。一言多かった?

いわない道の駅に「たら丸雪像」が登場!

 岩内町の「家具の栗林」前にたら丸雪像が作られるお話は、このブログでも毎回ご紹介しています。その雪像が、お店の前だけではなく、いわない道の駅の前にも登場しました。

 栗林さんは、この雪像を作るお店が商店街で広がってくれることを願っていますが、残念ながら第2のたら丸雪像はできませんでした。それが今回、いわない道の駅前に出来たのですから、一歩前進となりましたね。

 この画像からして想像するに、この作り手は栗林さんではないかと。出張制作をしたのかもしれませんね。まぁ、そんなことはどうでもよくって、お金がかからず観光客を喜ばせる一つになっていることは確かだと思います。

 ところで、「専務あんたは作らないのかい?」と突っ込まれるかもしれません。事務所、工場周辺の除雪だけで目いっぱいでして・・・と歯切れが悪くなってしまうのは、いけませんね。

昭和30年頃の岩内駅

“八王子の山崎さん”から昨年末に2枚の写真をいただきました。1枚は以前ご紹介をした岩内バスターミナルの写真。もう一枚は、今日ご紹介をする、国鉄岩内駅の降車口の風景です。

汽車が到着すると、人がどっとあふれ出るので、降車口は広くなっていたのを思い出しました。奥にはSLの煙突が見えるので、私が生まれる前の昭和30年前半であると想像できます。

人が出てくる左側は待合室と駅の事務所がありました。冬は大きなダルマストーブがあって、ストーブを囲むように黒光りをした木の長椅子があったと思います。

50代以上の皆さんにとって、この写真は当時の岩内の風景や国鉄岩内駅の思い出を呼び起こす、呼び水になるのではないでしょうか?

八王子の山崎さん、貴重なお写真ありがとうございました。

今年も家具の栗林の前に・・

 岩内町駅前商店街にある「家具の栗林」。その店主がこの時期に毎年たら丸くんの雪像を作っています。今年も立派で楽しい雪像ができています。

 毎年、少しずつ変化があって面白いです。今年はキャンドルの装飾がポイントではないかと思いました。昨年は「がんばろう日本」と書かれてあった文字は、今年は「がんばろう岩内」です。

 店主なりに、商店街を元気にしたいと思って、出来ることから始めようと思いついたこの雪像。たら丸、べに子、ピン助。岩内に来られたら、ぜひ家具の栗林のお店の前にお立ち寄りください。お店で買い物をしてあげるとさらにGOODなのですが、一声かけてあげるだけでも店主は喜ぶと思います。

 私と中学、高校と一緒のクラスだった栗林君。あの頃はまさかこんなに岩内のことを思った行動をするなんて、思いもしませんでした。同級生がこうして同じ町内でがんばっていることは、私も励みになります。

平成26年の岩内町成人式

 2014年1月13日は成人式の祝日。ハッピーマンデーがなかった時代は、1月10日が成人式でしたね。そして、自治体によっては成人式を祝日の前日の日曜日に行ったり、お盆に済ませるところもあるようです。

 また、年齢で区別するのではなく、学年別に行うところもあるようです。岩内町の場合も学年別です。ですから、高校卒業後の最初のクラス会になるといった風景が見られます。写真は岩内地方文化センターの受付風景ですが、ちょっと背伸びした服装、着物を着飾った新成人たちが、「久しぶり~」などと言いながら談笑しています。

 私の場合、大学浪人を経て東京に出ており、この時期はすでに大学の授業が始まっていました。さらに早生まれということで、このように集まった経験はありません。学生の身分では、まだまだ成人という自覚もなかった記憶があります。

 岩内町の成人式では、先日このブログでもお伝えした日ハム応援大使の斎藤選手と谷口選手の新成人に向けてのビデオレターが披露されたとのことです。夜、猛吹雪の中を繁華街に向かう新成人、これからもいろいろな困難があるでしょうが、逃げずに立ち向かって一歩一歩進んでほしいものです。

 新成人のみなさん、おめでとう!

岩内町の人口について

 岩内町の人口が減少しているのは、皆様もご存知でしょう。都市部周辺地区とは違い、過疎化はやはり進んでいます。2013年11月末の記録では、現在の岩内町の人口は14,161人。

 私が小学生だった頃は、人口が少しずつ増え続け、このまま増えて3万人を超えれば、町から市になるなんて話題が良く聞かれたものでした。1975年の国勢調査の記録では25,833人。これがピークで減少しているようです。

 毎月の広報には、人口が前月比、前年比でいつもマイナスの印がついています。このままでは、平成30年には12,000人になるという研究結果も出ているようです。

 岩内出身の皆様、この人口減の問題は、解決策が簡単に出るものではありません。高齢化や都市部への集中が進む現在、致し方ない現実でもあります。ただ、この現実は知っておいてほしいなと思い、書かせていただきました。

 お正月、たくさんの帰省の車が岩内に入っています。岩内から旅立った人達がこんなにたくさんいるのかとも感じました。お正月早々、明るい話題でなくてごめんなさい。写真はもちろん、岩内町雷電の刀掛岩。人口の話題と関係ないですが、かつてここもたくさんの人でにぎわっていたものです。