カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

2013年 今年もありがとうございました

 今年もいろいろあった2013年。皆様にとって、今年はどんな年だったでしょう?私は公私ともに、今年も走りまわった一年だったなと感じています。

 商売は、決して一人で成り立っているわけでなく、従業員、お客様、お取引先、さまざまな関係者に支えながら出来ています。そんな皆様に一年間の感謝を申し上げます。「ありがとうございました」

 写真は、岩内町の通称「アスパラの坂」。山側から海側に向けて撮ったものです。(12月28日19時頃)。岩内町の中心街ですが、昔を知っている方には、大晦日間近なのに、しめ縄販売の臨時露店もないし、車の駐車も少ない。さみしいなぁ~と感じられるかもしれませんね。

 愚痴を言うのは簡単。岩内で商売をしている以上、少しでも岩内が元気になるようにがんばらないと。このブログを読んでくださっている皆さんは、岩内町の応援団、一八の応援団ですものね。一年間、ありがとうございました。

岩内町2013年10大ニュース

 毎年行われる岩内町の10大ニュースの選考。新聞で発表になっていましたので、ご紹介いたします。結果はいずれも順当という感じですが、できれば明るい話題が半分以上を占めてほしいですね。

  1. 役場新庁舎着工。
  2. 協会病院長退任。急患受入一時停止。
  3. 交通事故死ゼロ、1982日でストップ。
  4. 中央小閉校記念式典開催。
  5. 豪雨、落雷で630戸停電、住宅1軒床下浸水。
  6. いわないあきんど市開催。
  7. 岩内郡漁協役員総辞職。
  8. 原発再稼働にさまざまな声。
  9. 運動公園「たら丸遊具」新調。
  10. 岩内高校生が海洋深層水利用し「ニシンサンド」開発。

 商工会議所会頭や岩内町長などの選考委員6人が選ぶというもの。町民からの応募を受け付け、最終的に選ばれたものと一番近い上位者には図書券などが贈られるそうです。

 新聞によると、32通の応募。昨年も32通。ということは、毎年同じ人が応募?。これって、ちょっと残念ですね。現在の人口が14,182人(2013年11月)、32人は0.2%にすぎません。岩内町ホームページにも、今現在10大ニュースがアップされていないのも、残念です。

 ということで、岩内町の話題は、私のブログから知ってね。つきましては、一八の商品ご購入を・・・・

 写真は1位のニュース、岩内町役場新庁舎の現在の建設中、北から南の様子です。

 

暴風のち雪

 今週は天気が荒れています。最初は暴風。夜中に余りの風の強さで家がミシミシときしむ音を立てていました。そして、木曜日、金曜日と雪が降りました。

 でも、一昔前なら、11月下旬といえば、結構雪が降り積もっていたものです。吹雪になる日もありましたが、今年はまだ猛吹雪というのはありません。年々、11月の降雪量は少なくなっているような気がします。

 今週の雪も水分が多く、日中はシャーベット状になります。除雪車がそのシャーベット状の雪を家の前に置いていくと、それ「をママさんダンプ」で移動するのは年配者にとっては重労働。ならば、寒いけど北海道らしい軽い雪のほうがまだましと言えるかもしれません。

 写真は朝、女工さんをワゴン車で迎える途中での風景です。どこかわかります?真冬になると、両側が雪山となり、道幅が半分になってしまいます。

岩内町役場建設工事中25.11.15

 岩内町の新庁舎の建設が着々と進んでいます。素人目には基礎工事が終わり、足場が組まれ、いよいよ上に伸びて行くのかな?と想像しています。

 暖房を一部ヒートポンプの地中熱を利用した仕組みにするとありましたので、それらの工事が行われているのでしょうか。今までは外観的にあまり変化のない状態でしたので、これからの変化が楽しみです。

 それにしても、これからは風雪が厳しくなる季節。そんな中でも建設工事は進むのでしょうか?一昔前、雪のシーズンは土木工事も建設工事も休業していましたよね。

 現場で従事される皆さん、大変でしょうががんばってください。私もこの繁忙期、皆さんのお正月の食卓を明るくするために、がんばってますよ~。

 

昭和30年代の岩内バスターミナル

 このブログにコメントをいただく “八王子の山崎さん” から、昭和30年代と思われる岩内バスターミナルの写真をいただきました。

 今年の初夏、故郷めぐりの途中、わざわざ弊社を訪ねてくださり、昔の写真をタブレットの中に整理されていたのを見せていただきました。この写真は、八王子の山崎さんのお父さんが撮られたものだそうです。

 このバスターミナルの様子は、私の記憶にもしっありますので、この写真は間違いなく昭和29年の大火後のものですね。ボンネットバス、黒の「ガマ口」を携えた車掌さん、行商と思われる大きな荷物を背負ったおばさん、などがその時代を象徴しています。

 手前のバスが、「島野」行き。奥は「神恵内」行きだそうです。このバスターミナルは、現在のたら丸館(いわない道の駅)にありました。私は中学・高校生のとき、スキーに行くときに倶知安行のバスをよく利用していました。ただし、そのころはもうボンネットバスはありませんでしたよ。

 八王子の山崎さん、写真のご提供、ありがとうございました。

岩内方言集が自費出版で

 タイトルをお読みになって、私が自費出版したと勘違いしないでください。私は学生時代から国語の点数が悪く、ましてや歴史的な背景がある古文や言葉の変化などは、全くダメでした。

 出版したのは、幼少から高校まで岩内で育ち、岩内高校で12年間国語の教諭として教えられていた、見野久幸さん。写真は北海道新聞後志版(2013年10月30日付)に掲載されていたものです。この「岩内方言集」の記事は、2日後にも別の角度から紹介されるという異例の取り扱い。それほどの内容だと思います。

 私も新聞に出たその日、岩内町の小林書店に行きましたが、すでに売り切れ。2日後にまた入荷しますと言われました。購入してびっくりしたのが、その内容の濃さです。B5版で383ページにも及びます。読んでいくと、当たり前のように使っている言葉から、今は使わないよというものまで詳細に記されています。

 見野先生が岩内弁に興味を持ったのは、同じ北海道でも岩内はちょっと違うぞと思ったからではないでしょうか。実際、今の子供たちはほとんど使いませんが、「アヤ」という言葉は岩内では「バカ」を意味します。でも、すぐ隣の共和町や神恵内村の友人は使いませんでした。などなど、岩内出身の皆様、ぜひ岩内に帰省の際は、小林書店で「岩内方言集」をお求めください。税込900円です。

 ついでに、お正月用の数の子、釣たらこ等も一八でお求めを・・・・

解体作業大忙し

 最近の岩内町は、解体工事をしているところが多いと感じます。古い家を解体して更地にしています。写真はご近所の解体風景です。

 先日、大工さんとお話をしたら、解体作業が忙しく、1年間待ってもらって、ようやく作業が出来たような順番待ちのようです。一般の家などが老朽化したり、住人が亡くなられて住む人がいなくなったりと、理由はいろいろのようです。

 以前、岩内町のブロック住宅が取り壊され、新しい町営アパートが建設されていることはお話しました。岩内高校の西に位置する、西宮園団地も先日、すべて取り壊され、更地になりました。

 岩内は昔人口密度日本一になったこともあるように、建物が密集していました。しかし、最近はこのように更地がどんどん増えています。まぁ、後ろ向きに考えれば、それだけ住む人がいなくなるということです。しかし、前向きに考えれば、使える土地がどんどん増えていますよ、と。いかがですか?都会の皆さん。土地をお探しなら、一声おかけください。

10月の刀掛岩

 写真は平成25年10月20日の岩内町雷電の刀掛岩です。岩肌にある樹木の葉が紅葉真っ盛りです。何度かこのブログで、刀掛岩について書いていますが、昔はたくさんの人が観光で・・・としか書けないのが残念です。

 岩内町の温泉と言えば、円山地区が開発される前は、雷電地区の温泉だけでした。40年ほど前は、各種会合などは、町内から12kmほど離れたこの場所がよく使われていたものです。

 残念ながら今は、ホテル雷電、観光加藤などの温泉宿はすべて営業をやめてしまいました。ここから山奥に入った朝日温泉は、ニセコ連山の端に位置し、秘湯として人気スポットでした。しかし、ここもたび重なる自然災害により、現在は営業しておりません。

 口ぐちに昔はよかった、という声が聞こえそうですが、これもまた時代の流れ。人々が温泉宿に求める価値観も変わってしまったのですから、しょうがないですね。私が言えるのは、この刀掛岩の姿は、40年前と変わっていませんよと。四季の変化の刀掛岩、たまには通り過ぎずに、そんな時代の流れを感じながら、ご覧ください。

ポスフール岩内店跡が福祉施設に

 岩内町の真ん中に位置するスーパー、ポスフール店舗跡地は、2007年の閉店後、何も利用されないままでいました。このたび留萌の企業が買い取り、介護付き有料老人ホームに改築すると、9月の北海道新聞に書かれてありました。

 街の中心にあったスーパーがなくなった理由は、郊外店にマックスバリューが出来、そちらに人が流れてしまったという意見が多いです。同じくニセコストアーという前進をもつダイエーの店舗もなくなってしまった記憶もまだ新しいです。その後、昔の協会病院跡地にスーパーラッキーが新築され、営業をしているのが現在です。

 ポスフールのずっと昔、私が小学生だった時は、この場所は缶詰工場があり、甘酸っぱいスイートコーンの臭いが立ち込めていました。その工場が移転し、1979年ヤマダイというスーパーから始まり、ホクホー、ニチイ、サティー、ポスフールと店名も変化してきました。

 坂の中腹にあり、店舗の上が駐車場で、その坂を初めて運転するお母さんたちはちょっと怖い思いをしたことがあるでしょう。食品工場→スーパー→福祉施設、と時代の流れをここでも感じてしまいます。ただ、これによって人が少しでも増え、街中に歩く人が増えてくれればと願います。

共和町発足地区に住民管理の公園が

 岩内町のお隣、共和町は前田、国富、発足、小沢、梨野舞納、幌似などの集落からなる、面積はとても大きな町です。その集落の1つ発足地区に、今年の夏、住民が管理する公園が誕生しました。

 その名は「ふれあい広場はったり」です。発足という字は、「ほっそく」ではなく、「はったり」と読みます。町が国の補助金を使って作り、運営は地元住民で組織する人達が行うと、北海道新聞には書かれてありました。

 写真をご覧ください。ブランコやターザンロープなどの遊具、トイレ、綺麗な芝生の築山もあり、運動公園のようでもありますね。新聞によると、今後は桜を植樹したり、ブドウなどの収穫できるものを植えたりするようです。共和町は農家の街ですから、栽培は得意でしょう。

 大切なのは、住民が主体となって管理するという事。集落が小さいからこそ、出来るのかもしれませんが、行政にすべて押しつけるのではなく、自らの手で行うというのは、素晴らしいですね。願わくば、たくさんの子供たちの笑い声が、そこで聞こえるようになりますように。