カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

取壊される国富の煙突

 以前もこのブログでご紹介をした共和町国富の大きな煙突。その煙突が、地震による倒壊の恐れがあるということで、取り壊される事になりました。

 煙突は、1944年(昭和19年)に完成。69年目を迎えます。弊社の株式会社設立と同じ歴史です。8月下旬から内側の耐火レンガの取り外し作業が行われ、10月からは1日約2mずつ取り壊し、11月末までに終了するとのことです。

 札幌から岩内方面へ向かって稲穂峠を降りてくると、その大きな煙突が見えてきます。そうすると、帰ってきたなと思わせるのは私だけではないはずです。

 故郷にはそんなシンボルというものが存在しますが、皆さんの故郷には、どんなシンボルがあるでしょう?これを見ると、故郷に帰ってきたんだと思わせる建物、景色、臭い・・・・そして、人。

 

工事現場にも「たら丸」が

 かべ坂十字街という場所が岩内町にはあります。その「かべ坂」というのは、札幌方面から国道で来ると、最後に街中に入る下り坂の事を言います。

 その坂は現在舗装の張り替え作業をしています。その中に「たら丸」がいました。「ご協力をお願いします」という掲示の中で運転しているたら丸や、工事中ののぼり、コーンにもたら丸君がいました。

 たら丸ファンの皆様、岩内に来ると、こんなレアなたら丸グッズを見ることが出来ます。ゆるキャラファンの皆様も、ぜひ工事中のたら丸君を写真に収めて、コレクションの一つにしてください。

 でも、せっかく岩内に足を運んだら、このほかにもたくさん「隠れたら丸」がいますので、探してみてくださいね。お土産はもちろん、一八の商品ですよ~。

岸壁改修工事が進んでいます

 岩内町の港は西の野束川河口から東はフェリー埠頭までで、小さな町にしては、かなりの大きさとなっています。その岸壁のコンクリートは劣化が進んで、現在修復工事が進められています。

 例によって、私は土木の専門家ではないので、これらの工事について詳細を報告することはできません。写真は、中央埠頭の岸壁の工事を撮影したものです。

 岩内港の歴史は郷土館に行くといろいろな資料があります。中でも公費でなく、私費で港が作られた時代もあり、岩内港の歴史と時代背景を研究すると、岩内町のエネルギッシュだった時代が垣間見えます。 

 今ですか?残念ながら、大きな港に少ない漁船。フェリーが来なくなった埠頭が釣り客を歓迎しています。

札幌から岩内への最終は?

 今日は札幌と岩内を結ぶ公共交通機関の話題を一つ。

 札幌から岩内行きバスの最終の時刻は、19時15分発。岩内着が21時37分。札幌でちょっと飲んで帰るにも、ちょうどいい酔い加減になった時には、席を立たなくてはなりません。都会の方にとっては、何それ?という感じですね。

 札幌でのマラソン大会の後、仲間内で飲んでも、最終バスの時間には逃げるように席を立った事が過去に何度もあります。JRを使う場合は小樽で乗り換えをしなければなりません。さらに、岩内線はとっくに廃止になっているので、小沢駅まで誰かに迎えに来てもらう必要があります。

 札幌発21時47分小樽行き。小樽着22時26分。小樽で倶知安行に乗り換え。22時29分発。小沢着23時27分。だれかのお迎えがない場合は、岩内か小沢のタクシーを前もって予約しておく方がいいです。岩内まではそこそこの金額になってしまうので、日程が許せば、札幌の安いホテルに宿泊した方がお得だと思います。

 小沢駅は無人です。先日、息子がこの時間の汽車を利用したので迎えに行くと、そこには明かりを求めたバッタの大群が。なかなかワイルドでした。いつも乗用車ばかり乗っている皆様、たまにはこんな公共交通機関を利用するのもいかが?

【注意】 上記時刻は平成25年8月現在のものですので、ご利用の方は必ずご確認ください。

 

岩内町運動公園の遊具『たら丸』が新しく

 岩内町には運動公園という場所があり、野球場、サッカー場などの運動施設のほか、小さな子供たちが遊べる場所もあります。

 昔は、町内あちこちにある公園が遊具を備え、たくさんの子供たちの遊ぶ声がしていたものです。今は残念ながら、それらの小さな公園ではなかなか子供たちが遊んでいる姿を見かける事はなくなりました。

 先月、運動公園の遊具 『たら丸』 が木製から現代風のものへ変わりました。【写真左旧、右新】 個人的には木製のほうが好きなのですが、安全面などから考えれば、取替も致し方ないのでしょう。

 こうした公園は、子供が主役。たくさんの子供たちが元気に遊び回っている姿が一番似合います。帰省でお子さんを連れてきた方は、じいちゃんばあちやんにお孫さんをこの運動公園に連れて行ってもらってはどうでしょう?SLもありますよ。

そば畑が満開

 岩内町の宮園地区、倉島牧場南側にそば畑の花が満開になっています。写真は7月下旬に撮影したものですが、今も白い花が咲いています。

 昔はあまりそば畑は見なかったのですが、近年はよく見ることが出来るようになりました。そういえば、数年前に弊社の身欠にしんを使ってニシンそばを作られている京都のそば屋さんのご主人が、いいそばを求めて北海道を歩きまわり、岩内にも来たことがあると言ってました。

 そばで有名なのは、北海道では幌加内町ですね。スケールの大きな畑に白い花が一面に咲いていたのを見たことがあります。ただ、岩内にあるそば畑も、なかなか背景とマッチして、いいものです。

 第一中学校上にあるそば畑は、眼下に岩内湾を見ながら、その畑の丘陵になった風景を楽しむ事ができ、お勧めです。パノラマラインでニセコから岩内に入る手前に広がっています。

 ということで、岩内に来る楽しみがまた一つ増えましたね。来町されましたら、ぜひ探してみて綺麗な写真を撮ってみてください。もちろん、お土産は一八の商品ね。

岩内町役場建設工事中25.7.27

 岩内町役場の建設工事が、着々と進んでいます。現在は外溝工事を行っていると書いてありますが、建設の素人の私には、上手に皆様に説明ができません。ですから、私が見て感じた範囲でお伝えいたします。

 建設中の場所は、現在の役場から中央小学校にかけての上り坂の中腹にあります。西側が低くなっているために、写真のように段差解消のための土手を作らねばなりません。

 その作業が行われています。外周の整備をしているという事ですね。一方、敷地内部では、大きな重機が入り、基礎となる杭を打つ準備が進められているようです。

 もしも、この工事に詳しい方がいらしたら、プロの解説をよろしくお願いいたします。岩内出身者の読者さんがたくさんいますので。

高台小学校閉校記念誌

 岩内町の小学校統合により、現在の中央小学校が来年3月に閉校し、東小学校と西小学校の2校となります。中央小学校の前身は高台小学校。私も高台小学校の卒業生です。

 弊社2階を整理していると、また懐かしいものが出てきました。高台小学校の閉校記念誌です。今の協会病院が建っている場所にありました。中庭が二つ存在する、変則的な建物でした。

 昭和26年から閉校の昭和52年まで。たった26年間だったのですね。私が記憶するあの校舎から想像するに、かなりの歴史を持った学校だと思っていたのですが、こうして記念誌を読んでみると、意外なことがわかります。

 弊社の先代紀伊右エ門、現社長の紀八郎も、この高台小学校でPTA会長に就任していた時もありました。そして、このブログでたまにコメントをいただく高山さんの文章も見つけました。高山さんの最後に書かれていた言葉を写させていただきます。

 「・・・・高台小学校はいつまでも僕たちの心の中に立っていて、これからの僕たちをささえてくれるだろう。」

岩内町役場建設工事中25.6.22

 岩内町役場の建設工事が始まりました。と言っても、工事の看板を見ると、「外溝工事を行っています」と書かれています。

 更地だったところに、重機が入っていて、いよいよ始まったんだなという感じになっています。

 定期的に工事の進捗状況をこのブログで報告させていただきます。

ニセコの夏山登山シーズン始まりました

 例年になく残雪が多いニセコの山。ニセコパノラマラインの開通で、ニセコの夏山登山シーズンがいよいよ本格化します。

 平成25年6月16日(日)、私は神仙沼の別の入り口にある大谷地という小さな駐車場からスタートし、大沼経由でイワオヌプリ、ニトヌプリを回って来ました。

 大沼周辺では、山菜採りの人が何人か入っていました。ただ、登山となると残雪が多く、何か所も夏山登山道が消えていますので、初めて来られる方は、もう少し雪解けが進むのを待ったほうがいいでしょう。

 イワオヌプリとアンヌプリは五色温泉から比較的短時間で登ることが出来る山ですね。イワオヌプリでは、札幌から約60人近い子供たちも登っていました。

 ニセコの山、温泉、そして岩内に来て夕陽と海産物、そして一八の商品。よろしくお願いいたします。

 写真はイワオヌプリ山頂から西の方面を写しました。岩内町は右手になりますが、雲にさえぎられています。