カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

2013年ニセコパノラマライン開通しました

 遅れに遅れていた岩内町とニセコ町をつなぐニセコパノラマラインが、ようやく2013年6月13日(木)10時に開通しました。

 雪が多く、雪崩の危険があるために通行止めになっていたのですが、どれくらい雪が多いのかは、みなさんの目でお確かめください。早い年では5月の連休前に開通する年もあるのですが、6月中旬まで延びたというのは私の記憶する限り初めてじゃないでしょうか。

 先週来店されたお客様が、パノラマラインが開通しているものと思い、ずっと車を走らせて来たのに、通行止めのゲートでUターンし、遠回りをして岩内に来られたとのこと。

 13日の開通をもって、週末からはどっとニセコから岩内に流れる観光客のみなさんが多くなる事を期待しております。残念なことにこの大切な情報は、ネットで一部しかアップされていないんですよね。私のブログが情報源となっているようでは、岩内の観光はもっと頑張らないとね。

 写真は1カ月前に撮ったものです。今はこのゲートがはずされて通れるようになっています。ただし、私の情報は個人的なものですから、ご了解くださいね。

岩内役場庁舎の建設が始まります

 大きな地震が来れば、間違いなく全壊するだろうと思われる、岩内町の役場庁舎。その建て替え工事が始まります。

 場所は光照寺の西隣。協会病院と警察署の中間に位置する空き地です。私よりも古い世代の方には、今の東小学校が現在地に移転する前にあった東小学校跡地と言えばわかるでしょうが、このネットでご覧なる方の何人が記憶にあるでしょう。

 工事は6月末からという事ですが、すでに駐車場や側溝などの工事は始まっています。新しい庁舎は来年5月の連休明け頃だと北海道新聞には書かれています。

 今年から来年にかけて、もっとも変貌する建物となることでしょう。岩内にお越しの際には、ぜひ旧庁舎を目に焼き付けておいてください。

遠別荘(とおべっそう)の跡地

 岩内町に、遠別荘、近別荘という場所があったのをご存知でしょうか?私たちの世代では、小学校の遠足といえば、遠別荘まで行った記憶のある方も多いと思います。

 資産家の梅沢家の遠別荘と近別荘。近別荘は現在も存在し、神社下の井筒歯科医院の裏手にある含翠園とその庭の事を言うと思います。「思います」と表現したのは、歴史に疎い私の事ですので、間違いがありましたら遠慮なくご指摘ください。

 写真は、遠別荘跡地にあるアパートを撮ったものです。この奥に広がる敷地が遠別荘。場所は日本アスパラガス株式会社の近くの野束川北側に位置します。庭だったと思わせる人工的に積み上げられた石なども残っている部分もありますが、ほとんどの部分は形跡なく住宅やアパートに変わってしまいました。

 薄暗いけども手入れをすれば、素晴らしい庭だったと思います。岩内の繁栄した時代の一つの証でもあったのですが、時代とともに消えていくのは、今の岩内を象徴する現実なのでしょうか。

岩内町道営住宅栄夕陽ヶ丘団地

 岩内町道営住宅栄夕陽ヶ丘団地というところがあります。昔は町営ブロック住宅が建っていた場所に、平屋の木造団地に建て替えられました。

 昭和29年の大火後に建てられた町営ブロック住宅が、老朽化によって4階建てなどの団地に順次建て替えられていますが、栄団地は木造平屋というのは異色の存在になっています。

 立地もいい、景色もいいので、入居は抽選で行われたようです。周辺道路も新しく整備され、きれいになっています。しばらく岩内から離れている方にとって、岩内の風景が一番変わったなと思えるのは、団地が新しくなっている事ではないでしょうか。

 この団地北側にある崖のところに小さな道があるのをご存じでしょうか?私は、こんな目立たない道が好きなんです。知らない方はぜひ一度行って歩いてみてください。

残雪の岩内岳

 平成25年5月26日岩内岳を登って来ました。この日は洞爺湖マラソンと千歳マラソンの間の日曜日にあたり、例年心拍数を上げるトレーニングの一つとしてトレランとして登っています。

 残雪が多いだろうと覚悟はしていましたが、予想以上に多かったです。途中夏山登山道を見失うほどでしたが、旧スキー場のリフトが3本老朽化したまま残っているので、そのリフトや降り場などを目印に登ると登山道が見つけられます。

 この日、晴天に恵まれ風も強くなく、山頂でも寒さを感じませんでした。例年にない残雪の美しい風景。遠景は霞があり羊蹄山、積丹半島の一部ははっきりとは見えませんでしたが、それなりの雰囲気があってよかったです。

 山開きに参加された皆さま、楽しんで来られましたか?私はスキー場ロッジ側からの発着。たぶん皆さんが登り始めたころは私は下山していたと思います。写真は途中の登山道の残雪です。日に日に雪は少なくなることでしょう。

いわないパークゴルフ場

 岩内町の円山地区は昔、観音山と呼ばれる場所しか建物はなく、ロープ塔1本を備えたスキー場と小さなロッジが冬の間だけ営業をしていました。

 80年代になってから温泉を掘り、現在岩内高原ホテルや高島旅館などの温泉宿が数軒建っています。少しずつ円山地区は観光としての開発が進みました。

 円山に登る途中に、パークゴルフ場があります。写真はそのコースの一部ですが、岩内平野を見降ろしながら、南側には岩内岳がそびえる景色のいい場所になっています。

 マイボール、マイクラブを持参した年配の方たちが主なユーザーのようですが、日曜日ともなると家族で楽しんでいる風景もあります。お好きな方はぜひ一度お試しください。もちろん町外の方は大歓迎です。私はその脇をおっちらおっちらと走っているかもしれません。

サクラが咲きました・・岩内町平成25年

 寒い日が続いていましたが、16日、17日と気温が上がり、青空も見ることができました。遅ればせながら、ようやく岩内町にも桜の開花が始まりました。

 写真は岩内食品から神社へ向かう道です。ここの通りが岩内町では一番桜並木になっていると私は思いますが、岩内に詳しい皆さまはどう思いますか?

 それにしても例年に比べて2週間ほど遅い開花ではないでしょうか?それほど寒い日が続いていたことになります。連休は青空も見ることができなかったので、青空が広がると、皆「気持ちいいね~」と言ってました。

 岩内町でもいろいろな桜の名所があります。ここぞと思う場所がありましたら、ぜひお知らせください。青空が出たら、家に閉じこもっていないで、桜を見に出かけましょう!

平成25年5月の「あかしあ公園」

 ようやく春の陽気が日中感じられるようになってきましたが、町の中にある小さな雪捨て場にはまだ雪が残っています。

 その代表格が大浜のあかしあ公園。冬の間、ロータリー車でどんどん雪が積み上げられ、小山のような状態になっていました。ブランコの支柱のてっぺんもちょっとだけ残っていました(右画像3月23日)が、今(左画像5月9日)はご覧のように、ブランコは全部出ました。

 私が子供のころは、公園にはたくさんの子供たちが遊びに来ていましたが、残念ながら今は子供たちが公園で遊ぶ姿も珍しいと感じます。

 大火後の都市計画で防災という意味でできた、たくさんの公園がある岩内町。こうして雪捨て場と化してしまったのは仕方ないですが、このまま荒れ地となっていくのでしょうかね?

岩内共和道路はまだ工事中

 岩内町から共和町までのバイパス道路の建設が進んでいます。旧国鉄岩内線跡地を利用した自動車専用道路です。

 写真は、岩内自動車学校から発足方面へ進んだところ。写真撮影に立ったところが現在作られている道路で、左側車が走っている道路は、国道229号線です。

 曇り空でちょっとわかりにくいかもしれませんが、この少し先は、左に積丹半島への海岸線へ。右の建設中の道路は共和町前田方面へと分かれます。

 岩内に関係のない方にとっては、どうでもいい風景でしょうが、住んでいる私たちや、国鉄を使っていた世代にとっては、「国鉄跡地が道路か・・・」と感慨深くなるのです。

 この新しい道路、車では走れませんが、私はランニングで走らせてもらいました。ちなみにこの写真の区間だけですよ~。

昔の岩内町パンフレット

 「おらが町のパンフレット」というのは、よくありますよね。岩内町もそんなパンフレットが何度か作られていますが、弊社からは、またも古い岩内町パンフレットが出てきました。

 年代はたぶん1980年ころではないかと思います。写真は、おもしろいページだけを4つ開いて写したものです。右上が表紙と裏表紙。それを見ると、電話番号の局番が2局とひとケタです。今は61~63局と2ケタになっています。

 なんといっても、右下の女性の写真。腰にはウォークマンをつけているのですね。頭にはヘッドフォン。これだけでぱっちり時代を象徴します。雷電太鼓は今はほとんど見かけなくなりました。怒涛まつりの赤フンの時代もあったなぁ~。スキーのスタイルも、キャンプの三角テントもノスタルジーを感じます。

 でも、できたときは時代のトレンドを詰め込んだものだったのでしょう。そう、今の私たちの格好、あなたのその化粧、20年後の人達にとっては、笑っちゃう格好なのでしょうね。