カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

国富の雪だるま「安全太郎」の登場

 共和町の三叉路、通称国富交差点に、今年も大きな雪だるまが登場しました。2月3日の朝から地元の皆さんが集まって、一日で仕上げたたようです。

 というのも、私はその日朝から札幌方面へ出かけましたが、何人かの人たちが作り始めていたのを見かけました。夕方に帰ってくる時には、すでに完成していたのです。

 今年で30回目の制作になるとのこと。交通事故がきっかけで作られるようになった巨大雪だるま。第一回目から通しで作られている人はいるのでしょうか。

 名前は、雪だるまではなく、「安全太郎」ですよ。ちゃんと覚えてあげてくださいね。先週、降雪が少なかったので、例年に比べれば少し白さに欠けますが、皆さんの安全を見守る力は一緒です。

今年は大きい栗林家具店前のたら丸雪像

 毎年、たら丸、べに子、ピン助の雪像をお店の前に作っている岩内町の栗林家具店。今年は、昨年よりも大きく1.3倍のサイズで登場しています。暖気で融けかけた部分が出てますが、堂々と店頭に鎮座しています。

 写真を撮りに行くと、たまたま店主が出てきました。「頑張ろう日本! 頑張ろう岩内! 頑張ろう商店街!」が今年のテーマのようです。年々バージョンアップしています。今年は小さな神社も作り、その中に小判も入っているのです。是非行ってみてください。

 毎年店主は言うのですが、「一人でやってもダメ、たくさんの商店の前に並ばないと・・・」。小さくてもいいので、型枠みたいのがあって、簡単に作れるようになると、トライするお店の人も出てくるのかな?と私は思います。

 それにしても、栗林家具店の店主とは、中学、高校と同じクラス。いろいろ知ってるけど、“いわない”でおこう。今はとっても商売熱心で、岩内思いだという事は間違いありません。ここまで書いたら、明日、何か持ってくるかな?

冬の砂浜の風景

 昔、東京で雪国の事をあまり知らない人に、こう質問されました。「砂浜の冬の景色ってどんな感じ?」と。

 波打ち際と雪の量との事です。そう言われれば、なるほど。波打ち際は雪がなくって、砂が出ていて、というのは当たり前の説明ですが、何メートルほど砂の幅があってなどという具体的な説明はできませんでした。

 写真は、岩内町のフェリー埠頭の一番東側の防波堤から共和町側を撮ったものです。こうしてみると、何の違和感もないのですが、雪のない都会のみなさんは、どのように感じられたでしょう。

 たまたま波の穏やかな時に撮ったものですが、シケの時には全く違う表情になります。そんな事を考えながら、冬の旅で岩内に足を運ぶというのもいいのではないでしょうか? ケンミンショーに出た、「天ぷらラーメン」も食べなくてはなりませんしね。

岩内の20世紀写真集より~漁の後のお酒

 岩内の20世紀写真集に載っている写真の紹介を、忘れた頃にしています。今日は昭和30年代の漁師さんが日本酒を注いでもらっている写真です。

 この写真は、なんともその時代を感じさせるものがたくさん詰まっています。男の人のほっかむりとねじり鉢巻き。丸い眼鏡。おっかさんの金歯。などなど。

 一升瓶のお酒を湯のみ茶碗で飲むのがいいですね。一番いいのは、3人の表情でしょうけど。漁が終わって、釣り上げたタラでしょうか、その魚を家に持って帰る途中で、日本酒をちょっとひっかけてっか、と言う雰囲気。

 皆さんもは、仕事が終わって飲むお酒はおいしいですか?こんな表情になって飲んでいますか? しかめっ面して飲んじゃダメよ。

岩内町の20世紀写真集より~マリンモール街

 岩内町の中心地、私は駅前十字街と呼んでいた場所です。ニセコパノラマラインから下ってきた道と、国道229号線の交差点です。

 この写真は、車の型式から判断するに、それほど古くはありません。20年以内です。ただ、角地にある駅前ニシムラさん、別名下田商店さんとさんまるさんを一軒挟んでとなりにある、扇の湯は今はありません。

 ニシムラさんは、セイコーマートに。扇の湯は駐車場になってしまいました。岩内の中心地が、このように変化をしているのですから、今後はどのように変わって行くのでしょう?

 私が岩内幼稚園に通っていた時、岩内に信号は二つしかありませんでした。ここの駅前十字街と、現北海信金さんの交差点と記憶しています。45年ほど前の事です。違うよと言える記憶の持ち主の方、いらっしゃったら、お声をあげてください。

岩内町の20世紀写真集より~はえ縄の縄づくり

 岩内のたらこが素晴らしいという原点は、はえ縄漁によってもたらされました。何が違うの?と一般のみなさんは思いますね。簡単に申し上げると、網で獲ると、魚は海中で死んでしまいますが、はえ縄は針で一匹ずつ獲るために生きたまま漁獲されます。

 そんな鮮度がいいのなら、皆なぜやらないのか?それは、仕掛けとなるはえ縄の縄の準備にシーズンが始まる前から、地道な作業が必要とされ、コストがかかるからです。

 写真をご覧になって分かるでしょうか?縄を海に入れるときに、それぞれがからまらないように芸術のように円形を作っていくのです。そして、ひとつのザルにいくつもの釣針がついています。ちょっと私の説明では不十分ですが、要するにとにかく手間がかかる作業なのです。

 スケトウダラの漁獲が激減し、はえ縄の船も3艘となってしまった事は、このブログでも何度も書かせていただきました。岩内町では、出漁する漁師さんに補助をしてまで、存続させようとしています。一つの文化でもありますし、たら丸君の原点でもありますからね。

岩内町新庁舎の記事

 岩内町役場の現在をご存知の方は、大きな地震が来たら、一番先につぶれてしまうであろうことは予想がつきますね。箱もの建設大好きの岩内町が、なぜか庁舎だけは建設を見送ってきました。来年夏からようやく新庁舎建設となります。

 北海道新聞後志版に11月28日に掲載されていた記事によると、地中熱を利用したヒートポンプを採用し、暖房の一部にすると書かれてありました。

 直接このお話とは関係ありませんが、岩内町には海洋深層水を取水できる地場産業サポートセンターがあります。そこは真夏でもクーラーがないのに涼しいのです。深層水を建物の中を通らせ、その冷気を使っているからなのです。

 自然エネルギーに注目が集まっている中、タイミングとしても積極的に行政が新しい技術を導入するのはいいのかもしれませんね。

 ところで、新庁舎が建設される場所はご存知でしょうか?光照寺の西隣、昔の東小学校跡地です。2015年5月利用開始予定となっています。

岩内の20世紀写真集から~馬そり

 街中を馬が荷物を運んでいた風景を覚えている方は、何歳くらいまでの方でしょうか?私は50歳ですが、子供の頃に家の前を馬が下を向きながら荷物を引っ張っていたのをしっかり記憶しています。友人の家が馬を飼っていて、それで運送をしていました。

 写真は浜に水揚げされるスケトウダラを運ぶ馬そりです。冬はそりで、夏はタイヤをつけて運んでいました。家の前を通ると、シャリンシャリンと首輪の音を鳴らしながら、ゆっくりと運んでいたのです。

 ちょっと可哀想に思いましたが、その足は競馬のサラブレットとは全く違い、太く力強さを感じさせます。ポタッポタッと黄色い草の繊維でできたフンを落としていき、運動会の前になると、馬のフンを踏めば速く走れるなんて事を言われたものです。

 時代は流れ、馬からトラックへと輸送方法が変化していきました。馬を飼って運送をしていた人たちは、トラックを購入し、○○運輸などという会社となりました。忘れてはならないのは、昭和29年の大火で、この馬たちも多くの被害を受けました。

 

岩内共和道路工事中

 岩内町から小樽方面に行く時に通る道は、国道276号線。他に国道229号線で共和町の発足(はったり)まで行き、右折して共和中学校で276号に合流するというルートも使う人もいます。

 そのちょうど中間に、岩内共和道路という自動車専用道路がつくられています。現在札幌から小樽まで伸びている高速道路が、今後余市まで伸び、それから黒松内まで伸びるのを見越して、共和町国富まで岩内からの道路を先に作ってしまえということです。

 昔の国鉄線路跡地を利用したルートになるようです。写真は岩内へ入る場所で、自動車学校の前になります。現在の229号線に平行して作られています。どのような接続方法になるかは私は分かりません。

 いずれにせよ、この道ができれば少し札幌に行く時間が短縮されることでしょう。真冬の地吹雪で前が見えなくなるのはしょっちゅうですが、防風林で対策を取るようですよ。完成するのはもう少しかかるようです。

岩内の20世紀写真集から~大正時代の拓銀岩内支店

 バブル崩壊の見せしめになった北海道拓殖銀行。現在は北洋銀行に変わりましたが、“たくぎん”と呼ばれていたのを知っているのは、私たちの世代では当たり前ですが、平成生まれの子供たちが大人になる頃には、なにそれ?と言われる日が来るかもしれません。

 岩内の20世紀写真集からの写真をシリーズで紹介していますが、今回は大正時代の拓銀岩内支店です。でも、この写真の拓銀が建っていた場所はどこなのでしょう?ちょっと写真が古すぎてこのブログの読者のみなさんにも分からないかもしれません。

 今は北洋銀行になって岩内町にある場所は、森嶋商店の向かい。岩内の商店街の中心点ですね。明治の後半に銀行がたくさん支店や出張所を開設したとありますから、ニシン漁で栄えたこの町が、いかに活気があったかという事でしょう。

 昔、岩内の銀行に勤めていて、今は都会で生活している人もたくさんいるでしょうね。もしも、そんな方がたまたまこのブログを読んでくださったら、たまには岩内に来られて、昔を懐かしんでいただけたらと思います。もちろん、弊社にもお立ち寄りください。