カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

岩内町内に海抜表示が出現

 福島の震災後に、各地で地震や津波などが来た場合を想定した対策が取られています。岩内町でも、その一環としての対応なのかわかりませんが、10月27日(2012年)に町内に突然写真のような表示板が出現しました。

 海抜を表示するものですが、町のいくつかの場所で発見しました。写真の場所は第一中学校の少し宮園方面へ行ったところにあります。大浜の国道には、シンプルに『ここの地盤は海抜5m』、写真は『ここの地面は海抜16.6m岩内町』と書かれてあります。表示方法が違うのは、国道と道道の違いなのでしょうか?

 残念ながら、こういった情報は、岩内町のホームページを見ても見当たりません。数日経過して、これらの話題がどこからか出てくると思いますが、出来れば行政の方からの情報発信をお願いしたいところです。

 表示されているのを、町内で何箇所か見ることができましたが、その表示の設置場所について規則性を見ることはできませんでした。どんな基準で設置したのでしょう?分かる方がいらしたら、教えてください。海抜表示については、海と一緒に生活している人間にとって、生活している場所がどれくらいの海抜なのかを知るには、いいことだと思います。

岩内の20世紀写真集から~漁港のにぎわい昭和26・27年

 岩内の20世紀という写真集があります。岩内町郷土館で保管されていますが、新規では入手困難です。郷土館の坂井館長さんから、お借りしたその写真集から、少しずつ昔の岩内町をご紹介していきます。

 今回は、昭和26・27年頃の岩内港です。こんな風景は今では絶対に見ることはできませんね。この漁船の数は、ざっと見ただけでも100隻以上はあります。左に延びる港の防波堤も、白灯台で止まっていますが、今はもっと伸びています。 

 白い部分はたぶん雪でしょうから、スケソ漁の船でしょうか。季節は11月頃ではないかと思います。また、ドラム缶が見えますが、船の燃料である重油ですね。昭和29年の大火では、この重油のドラム缶がごろごろと町中を転げて、爆発して火を撒いたと言われています。

 この写真、ずいぶん上から撮ってますが、高い建物があったのでしょうか?電信柱に登って撮ったのでしょうかね?ご存知の方、いらしたら、教えてください。

 それにしても皮肉なもので、港が立派になればなるほど、漁船は少なくなってしまいましたね。

小沢駅、ここが旧岩内線ホーム跡の標柱

 平成24年10月12日の北海道新聞後志版にてJR小沢駅に「旧国鉄岩内線一番ホーム跡地」と書かれた標柱を、共和町出身の笠井誠さん(66)が、JR倶知安駅長らの立ち会いのもと、自費で立てたと書かれてありました。

 いつも、私のブログで取り上げる話題のほうが、道新さんより早いのですが、今回は記事を読んで「先を越された」と思ってしまいました。先日の7日に札幌マラソンに行く時に小沢駅を利用したのですが、その時にあれっ?こんなの建っていたかな?と思いながら携帯カメラで撮影しました。

 この小沢駅から岩内まで伸びる国鉄岩内線は1912年開業。今年でちょうど100年になります。廃止になったのは、1985年ですから、27年前です。多くの人がこの岩内線の汽車に乗りながら、いろいろな思い出があるはず。笠井さんは、そんな皆さんの思い出を残すために、この標柱を立てたのでしょう。

 今は無人駅で、この写真の場所には自由に行く事ができます。当時の駅舎もなくなり、今は小さな待合所があります。岩内線の線路はなくなっていますが、ホームの面影は残っています。ちよっとお立ち寄りいただいて、昔を懐かしんでいただけると、標柱を立てた笠井さんも喜ばれると思います。

第35回岩内町民ロードレース

  2012年10月8日体育の日、第35回岩内町民ロードレースが行われました。昨年は、土砂降りの雨で中止になってしまいましたが、今年は快晴で素晴らしい天気。朝7時にパンパンパン!という花火の音。運動会がある時にその音が鳴ると同じです。これって、他の地区でもあるでしょうか?

 参加者は小学1年生から社会人までの170人。残念なのは、中学3年生と高校生の参加が一人もいなかった事。その中で、私は最年長。一般男子はA31歳未満、B31~40歳、C41~50歳、D51~60歳、E61歳以上となっていますが、A1名、B3名、C2名だけ。何と、参加するだけでメダル確定です。

 距離は小学低学年の1kmから1.5km、2.0km、そして中学以上の男子は3.3km。マラソンをしている中年ランナーにとっては、この短い距離というのは、逆にペースが速くて辛いんですよね。

 子供に比べてどれくらいの走りができるかな?と思って参加して3回目。38歳のAさんは役場勤務のフルマラソン3時間を切るランナー。もちろん、彼がぶっちぎりの総合1位でした。スタートダッシュは若い子はすごい勢いがあります。見ていて気持ちいいくらい。でも、すぐに失速。私は中学生のトップの子を、2kmくらいまで引っ張った走りをしましたが、最後の1kmはその子も失速してしまったので、そのまま突き放してゴール。

 正直、最年長で参加というのは、照れます。一般の方も最近では街中を走っている人をよく見かけるようになりました。年に一度です、思い切って参加されてみるのはいかがでしょう?違った走る楽しみがありますよ。声をかけていただければ、走りに関するアドバイスなど、Aさんに無料でしてもらうことだってできます。

 私からのアドバイス?・・・一八の商品をよろしくお願いいたします。

東京ふる里岩内会

 岩内町出身の方で構成されている、東京ふる里岩内会という存在があるのを、ご存知でしょうか?2012年11月10日に第34回総会を迎えると言う事です。

 東京には、こうしたふる里会がたくさんあり、中でも北海道は「北海道ふるさと会連合会」なるものがあってホームページまであります。東京ふる里岩内会の会長は、伊野達哉さんです。実は、その連合会の会長をされているというのですから、なんとまぁ、岩内が北海道の代表なのですね。

 岩内を離れても、岩内で育った環境を己の一部として、多くの人たちが活躍されています。そう思うと、「ふる里」にいる私たちも元気よく生きなければならないと感じます。

 このブログも、岩内を離れた方に読んでいただいて、昔を思い出しながら、岩内の今を知っていただければ、何よりと感じます。そしてあわよくば、一八の商品を買っていただける。よろしくお願いいたします。

 東京ふる里岩内会に興味のある方は、事務局(伊野様方)TEL&FAX03-3970-2006までお問い合わせください。

運動公園のテニスコート

 岩内町には、運動公園という立派な運動施設を備えた場所があります。テニスコート、野球場、芝のサッカーグラウンド、陸上競技場、夜間照明付きのソフトボールグラウンド等があります。

 写真はその中のテニスコートです。人工芝のオムニコートが4面備わっています。利用料金はたしか1時間150円です(今はどうかわかりません)。都会の方にとっては、びっくり料金ですね。こんな立派な施設があるのに、あまり利用者が多くないのが残念に感じます。

 その理由は、借りるための手続きが面倒だという事。どのように借りられるか等のアナウンスがない事があると思います。岩内町のホームページにすら載っていないのはいかがなものかな?と思います。公園管理課というところに申し込み、カギをその窓口に取りに行く、また返さなければならない。そして役場の銀行出張窓口で支払わなければならない。あぁ、めんどくさい。役場の休みの日は、宿直室に行かなければならない。それってどこさ?

 岩内に転勤で来られた方で、テニスが好きな方、こんな安い料金でできるなら、やってみたいと思う人もいると思います。素晴らしいコートですので、ぜひ利用してください。そして、利用者皆で、「借りやすいシステムにしてよね」と言いましょう。

ニセコの紅葉はもう少し

 ニセコの紅葉は、道内でも屈指の美しさを誇るものですが、9月23日の日曜日に行った時には、まだ紅葉には早いなという感じでした。とはいえ、秋の山は一気に色づきますので、10月に紅葉散策などのプランをご検討の方は、ニセコ経由で岩内へというルートを優先してお考えください。

 山の途中で札幌からの女性5人組に会ったとき、私のトレラン姿を見て、「下だけ山ボーイだね」と言われたので、「皆さんは全身山ガールですね」と返しました。すると、満面の笑みで「あら嬉しい、でも昔の山ガールね」と、すれ違いのわずかな時間で楽しい会話となりました。

 写真は、ニセコ連峰のニトヌプリ(1,080m)山頂からイワオヌプリ(手前左)とアンヌプリ(右奥)を撮ったものです。大谷地からスタートし、大沼、イワオヌプリ分岐からニトヌプリ、チセヌプリ、長沼、神仙沼、大谷地というルート。朝、一仕事をして、天気が素晴らしかったので、さぁ行くかと。当日の天気で山に行く事を決めることができるのは、岩内に住んでいるからできることですね。

 その日の午後は空模様が一変、土砂降りになりました。午前で下山していたので雨には当たりませんでしたが、くれぐれも秋の山の天気と奥様のご機嫌にはお気を付けください。

 

58年前、岩内町大火の日

 昭和29年(1954年)9月26日、岩内町の約3分の2が消失した大火のお話は、このブログでも何度か出ていますが、今日でその日から58年になります。

 同じ台風15号による災害、津軽海峡を結ぶ青函連絡船洞爺丸の転覆事故があまりにも大きなニュースだったために、岩内の大火は小さく報道されるだけでした。そのため、岩内以外に住む人の記憶には、薄いものだったようです。

 写真は、小学生が社会学習の資料として使う 『わたしたちの町 いわない』 の中に、岩内の大火の事を書いてあるページの一部です。上段の写真は焼ける前の風景。下段は焼けてしまった跡の風景です。

 今日は消防の訓練も特別に行われます。毎度、言わせていただきますが、『災害は忘れたころにやってくる』。過去の教訓をこれからも伝えていかなくてはなりません。

岩内町のコンビニの歴史

 岩内町に最初にコンビニができたのは、たぶん平成4年だったと記憶しますが、違っていたらごめんなさい。サンクスが最初でした。3店舗が同時に岩内で開店。

 その後、数年後にセブンイレブンが開店したと思います。そのあと数年してからローソン。つい数年前にセイコーマートが開店しました。セイコーマート以外はこの田舎でさえ24時間営業です。

 今に至るまで店舗閉鎖するところもあり、平成24年9月現在は、ローソン1店、サンクス2店、セブンイレブン2店、セイコーマート2店。となっています。(隣接の共和町梨野舞納地区を除く)

 写真はつい先日、駅前から移設オープンしたお店です。場所は北海信金の斜向かいです。昔、薬局、金物屋、電器屋、歯医者さんがあったところです。駅前通りの店舗には駐車場がなく、今度のお店は大きく駐車場が確保されています。まさに、時代を象徴する街の変化かな~と感じました。

 

昔の岩内町のプール

 私たちが子供の頃、神社と岩内高校を結ぶ小さな道の脇に、屋外プールがあったのを覚えている方、いますか?

 写真は、昔プールがあった場所ですが、今はその跡形もなく雑草が生えています。昔は金網のフェンスがあって、ちゃんとシャワーなどもあったような記憶があるのですが、私は泳ぎが不得意なのと、海が近かったので、このプールはあまり利用はしませんでした。

 北海道に屋外プールといっても、使えるのは1カ月程度ではないでしょうか。昔は子供が多かったので、住んでいる場所によって、海派とプール派に分かれていたのかも。

 今は立派な屋内プールが北海道銀行の南側に建っていますし、岩内高校にもプールがあります。入道雲がよく似合う夏の風景も、思い出せば、ずいぶん変わってしまったなぁ~と思うある日でした。