カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

岩内岳の裏側

 さて、この写真を見て、どこの山かすぐに言える方は、ニセコの山に詳しい方ですね。岩内岳です。岩内町からは北から見ることになりますが、これは南側から見たものです。

 9月2日の日曜日、妻と一緒に久しぶりに登山をしてきました。新見峠の駐車場に車を置き、そこから目国内(めくんない)岳を登り、パンケ沼という湿原帯を通って、岩内岳山頂へ。目国内岳の山頂は雲がかかっていましたが、岩内岳では視界が開け、景色を楽しむ事ができました。

 岩内岳山頂から妻はそのまま岩内へ。私は車を停めた新見峠までかけ足で戻りました。年配グループ、親子、女性単独など、いろいろな方とこのルートで会いました。一昔前はあまり人に会うようなルートではなかったのですがね。

 普段、岩内岳を街から見ている景色と、この写真の景色では違う風景ですよね。見る角度によって山の姿が変わるというのはよくあることです。人間も、違うところで見ると違って見えるなんて人いませんか?一面だけで人を判断しない。ちょっと強引ですが、この岩内岳の裏の写真を思い出してください。

共和町の小学校跡地

 共和町は、岩内を取り囲むように位置して、とても広い面積を持っています。共和町の歴史も、小沢村、前田村、発足村が合併して共和村になり、1971年に共和町へとなりました。

 岩内町のように面積が狭い場所での合併と違い、共和町は農業の町なので、畑、田んぼが広がっているのです。となると、子供たちが通う小学校、中学校も歩いて通える(とはいえ2kくらいの距離は当たり前)場所に小さな学校が点在していました。

 写真は、その点在していた西老古美小学校跡に建てられた石碑です。共和町には、昔の小学校跡地にこのような石碑が必ず建っています。下のプレートには、その小学校の歴史が刻まれているので、興味がある方は是非、探索してみるといいと思います。

 ランニングでいろいろ走っていると、えっ、こんな場所に小学校があったの?なんてところにもこの石碑を発見することがあるのです。建物が取り壊されてなくなっているところがほとんどですが、ちっちゃな教室とちっちゃな体育館、そこには戦後に一生懸命に生きた子供たちと先生の人生を感じ取れます。 

お盆の岩内町

 8月13日、お墓参りで帰省された人もたくさんいらっしゃったと思いますが、岩内町にもたくさんの人が戻ってきました。

 ご近所でも、普段聞きなれない赤ちゃんの泣き声が聞こえたり、見なれない車が停めてあったりしました。岩内に限らず、故郷と呼ばれる場所というのは、どこでもこんな感じなのでしょうか?

 13日のお墓参りの日は残念ながら雨で、弊社の前を通る人もいなかったのですが、なんのその。みなさん車で行くからどって事ないんですね。

 写真は駅前通りの交差点です。都会の人が見れば、どって事ない風景でしょうが、私たちにとっては、「ずいぶん混んでいるね」という感じなのです。13日、この坂の上にあるスーパーラッキーでは、岩内にこんなに人がいたの?と思えるほど混雑していたと妻が言っておりました。

島野小学校

 岩内町の西端、雷電海岸に行く途中に、島野会館と表札がある建物が残っています。ここは昔、島野小学校と呼ばれていた場所で、写真は小学校の体育館として使われていたものだと思います。

 私たちの世代は、岩内町の敷島内(しきしまない)、野束(のづか)という現在の地域を島野(しまの)という方がしっくりきます。歴史を振り返ると、1909年に敷島内村と野束村が合併して、島野村ができたと書かれてあります。その後、1955年に岩内町と合併し、島野村は消滅。

 1977年に岩内町にあった、東、西、高台、島野小学校の4校が、東、中央、西の3校に統合されました。島野小学校は、島野会館と、島野保育所として再利用されました。でも、今は両方とも閉鎖されたと思います。

 写真の島野会館も、今では町のいろいろなイベント等の備品庫みたいな存在になっていると思います。違っていたら、ご指摘ください。そうそう、この近所にある郵便局は、「島野郵便局」で、今でも「島野」という名前を残しています。

いわないリゾートパーク「マリンビュー」

 岩内町の円山地区にはオートキャンプ場があります。その名も「マリンビュー」。比較的新しいキャンプ場なので、いろいろと整備されていて、綺麗な場所です。

 コテージはログハウスの貸別荘といった感じでしょうか。芝生も手入れされています。また、宿泊しなくとも、子供が喜ぶ遊具がありますので、そこで子供を遊ばせるだけでもいいと思います。

 弊社で糠にしんや身欠にしんなどを買っていただいて、炭火でじっくり焼いて楽しまれるなんていかがでしょう?日没近くの私のランニングコースでもありますが、近くを走っていると、たまにいいにおいが漂ってきます。

 写真は円山展望台の小さな駐車場から撮ったものです。後ろはスキー場のコースが見えますね。ご利用に当たっては、事前にお問い合わせをしてください。

岩内町の海岸で水平線に沈む夕日が見える場所

 岩内町は、立派な防波堤が整備されていて、小さな町の割には港が素晴らしいのです。でも、その反面、水平線に沈む夕日を見ることができる場所は限られています。

 私が子供の頃は、中央埠頭という場所や、大浜海水浴場などから、水平線に沈む夕日が見ることができました。今は防波堤が水平線にかかってしまって、見ることができません。

 岩内町の西に行くと、野束川(のづかがわ)という川があって、そこから西では海が防波堤に遮られず見ることができます。この野束川の河口では、サケの遡上の時期にはサケが体を淡水にならすために、うようよしている姿を見ることもできます。

 写真は、数日前のものですが、太陽が完全に沈んでからの空が、オレンジ色に輝き、素晴らしい空に変化していきました。その一番いいところはやっぱり写真ではなくて、実物を見に岩内に来てくださいね。

たんぼの成長

 写真の構図はちょっとずれていますが、二つとも同じ場所から撮影をしています。パックは岩内岳です。

 左の写真は4月下旬の撮影。右の写真は7月下旬の撮影です。変化は歴然としていますね。

 田んぼの稲の植える前、成長して実が重くなってきている状態。でもまだ水は張っているので、稲刈りにはもう少し待たねばなりません。

  写真は携帯の広角カメラなので、実際の風景とはかなりの違いがあります。ここって、どこわかります?私のいつものランニングコースですが、岩内岳の変化がよ~くわかる場所です。

 もしも、ここ以外に、ここは素晴らしい場所だと知っている皆さま、是非岩内のいいところを教えてください。

なぎの状態の港

 先日7月29日の岩内港の夕方の風景です。波がほとんどない状態なので、凪(なぎ)ですが、凪の最上級をベタナギと言います。

 波がなければ、水面は鏡の状態になり、夕日を綺麗に映し出します。何度も言いますが、写真ではなく本当の美しさは、やっぱり本物を見てくださいね。

 いろんな場所で鏡沼なんて言葉を聞いた事はありませんか?風がない時は、水面が波立たず、鏡になるために、遠くにある山がさかさまに移ったりします。ですから、逆さ富士なんて言葉もよく聞きますね。

 しかし、こんな凪を見ていると、真冬のあのシケの様子が嘘のようです。でも、季節が変われば、生き物のようになった海も登場します。せっかくの風景です。ふと立ち止まって夕日を眺める時間も必要かななんて、思ってしまいました。

そば畑が見頃です

 岩内やお隣の共和町の畑を見ると、毎年同じものが作付されているとは限りません。私は農作物に関しては素人なので、コメントするのはちょっとためらいますが、今、そば畑の白い花が満開になって綺麗です。

 写真は倉島牧場の裏手にあるそば畑です。岩内岳をパックになかなかいい景色なんです。毎朝女工さんをお迎えにワゴン車で、この景色を見ながら走ります。

 このおそば、どちらで食べられているのでしょう?昔はそばを栽培する農家さんはいなかったと思うのですが、今はいろいろですものね。

 いつだったか、出張で京都に行って、弊社の身欠にしんを使った「にしんそば」を作っていたお蕎麦屋さんのご主人も、いいそばを探すのに全国を旅して、岩内にも行った事があるとおっしゃっていました。

 岩内で栽培されたおそばと岩内の身欠にしんで作った「にしんそば」。もしもあったら旅行好きのみなさん、絶対に食べるでしょ?

岩内町の小学校統合問題

 人口減少と子供の減少は、現在の日本の地方にとっては、必ずついてくる問題ですが、ここ岩内も例外ではなく、加速度的に減少は進んでいます。

 子供の数が少なくなると、当然のことながら学校のクラスの数が減少し、東、中央、西と3つある学校はそれぞれの学年が1クラスになってしまっているところがほとんど。数年前から統合の問題が出ていました。

 私が小学生だった40年ほど前は、東、高台、西、島野の4つの学校が統合され、今の3校になりました。その時は、立地場所も変わりました。当時も、統合に対していろいろな意見が出て、それらをまとめ、説得するのに大変だったと聞きます。

 新聞には、2014年度から統合され、東小、西小の2校になり、今の中央小が廃止されると書かれています。このブログをいつも読んでくださっている岩内出身の皆さま、この統合のお話を聞いて、どのように感じられているでしょう?