カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

敷島内漁港

 岩内町の西には昔、島野村という村が存在していました。郵便局は今でも島野局となっていますし、島野団地というのも存在します。1955年(昭和30年)に岩内町と合併し、島野という地名が消滅しました。

 ただ、調べてみると、1909年(明治42年)敷島内村と野束(のづか)村が合併し、島野村が発足したとあります。ですから、岩内と合併して、明治の二つの地名に戻ったということになるのでしょうか。もちろん、村ではなく、地域の名前としてですが。

 敷島内という地名の位置は、岩内の西のはずれにあり、幅が10km以上あると思います。それほど民家が少ないのですが、写真のように小さな漁港が残っています。今は敷島内の漁師さんたちの船はみな岩内港に係留し、そこまでは軽トラックなどに乗って出勤?しています。

 昔はこの小さな港にたくさんの船がいたのでしょうね。でも、もしかしたら、漁獲したニシンをためて入れておいた場所かな?日本海側の田舎にはこんな小さな港みたいなのがたくさんあります。ご存じの方は教えてください。

 看板には、プレシャーボートなどの利用はできない。港の利用には許可が必要だと書かれてあります。泳いでももぐってもダメということですから、お気を付けください。

雷電の旧道

 岩内から西の海岸線に向かう道は大小のたくさんのトンネルが続いています。昔の道路は切り立った崖にそってくねくねと続いていて、よく落石やシケで波が上がるなどで通行止めになったりしていました。

 平成8年、積丹半島の反対側にある古平町の豊浜トンネル崩落事故によって、各地で海岸線の安全性が問われ、のちに長いトンネルが次々とできました。岩内の雷電海岸も小さな複数のトンネルを一気に長いトンネルに置き換えられました。

 ですが、景色を見ながらということができなくなってしまったのですね。まぁ、安全優先と考えれは仕方ありません。写真は、雷電温泉からすぐのところにある、旧道です。アスファルトはまだ残っていますが、大きな石が置いてあり、立ち入ることはできません。

 入るなと言われると、入りたくなるあなた、ダメよ。上からでかい岩が転げ落ちてきますよ。

4月の刀掛岩

 岩内の観光名所である、雷電海岸。その象徴的な刀掛岩。冬の厳しい風景と、夏のほんのり緑色を配した景色では、その見え方がかなり違っています。

 鋭くとがった岩の形態から、やはり冬の景色のほうが迫力があります。ただ、夏は夏で夕日とのコントラストが素晴らしいので、それまたおススメです。

 このブログで何度もご紹介していますが、ブログの検索窓を使って、刀掛岩と検索してみてください。そのいろいろな季節の刀掛岩がご覧いただけます。

 あの尖った部分には普通の人は行く事が出来ないんですよね。そう言った探検ツアーもありません。もしも本州にこんな風景があったら、お土産屋さんだの、船で近くに行く遊覧船だの、いろいろと商売をされる方が出てくるでしょうね。

 遊歩道もなく、作ろうなんて声も一度も聞いたことがありません。やっぱり、刀掛岩はこうして遠くから見るのが一番いいからなのでしょうか?観光客の皆さんはどのように思います?

国富の煙突

 写真の構図としては、よくないのですが、小樽方面から岩内に向かうとき稲穂峠を下った共和町の国富という地名にある大きな煙突。写真では小さく見えますが、50mほどの高さがあるとのことです。

 ここは明治22年銅鉱山として登記。昭和19年まで鉱山としてありましたが、昭和21年資源枯渇で自力鉱山を中止。のちに道内唯一の銅・鉛製錬所として稼働したとあります。その精錬所として何年まで稼働していたかはわかりません。私の記憶にあるのは、住友シポレックスの新素材会社が最近までありました。煙突から煙が出ていたのは一度も見たことがありません。

 現在は、煙突のふもとにある建物は、岩内町の日本アスパラガスという会社の所有になっています。煙突まで所有しているかはわかりません。

 子供のころは、あの大きな煙突に興味があったのですが、年齢を重ねるとともに、意識しなくなったしまいました。でも、昔岩内や共和に住んでいた方にとっては、この煙突は象徴的なものだったのですよね。

 近くに行ってみたいなと思うようになりました。やっぱり明治からある建造物なのだから、崩落の危険とかあるのでしょうかね。観光客のみなさんは、こんな煙突に興味はありますか?

 

子供の頃の思い出~夜回りの鐘の音

 全国的に急速に発達した低気圧によって、強風による被害が出ているようです。岩内町の4月4日は、日中吹雪になり、横殴りの風で大荒れでしたが、大きな被害もなく終わったようです。

 日中、消防車がチンチンチンと音を鳴らしながら、町内を回っていました。強風による火災の注意を促したものです。これは昭和29年の大火のときの強風のことを思い起こすためでしょうか。

 ちょっと昔のお話。私が幼少のころ、母親が私を早く寝せるために言ったこと。夜8時から9時頃にかけて、今回の消防車のようなチンチンチンという音を鳴らす人が回っていました。当時は車ではなく、人が手で鐘を鳴らしながら、火の用心と夜回りしていたものだと思います。

 母は私に、そのチンチンおじさんは、まだ寝ないでうろうろしている子を連れていく、「人さらい」だと言って、「早く布団に入らないと、さらわれちゃうよ!」と言うのです。私は、その音が聞こえると、とっさに布団にもぐりこみ、音が遠くなるのを待ちます。

 なんとも今思うと、かわいい子ですね。でも、こんな子供騙しは言っていいの?クリスマスのサンタのような夢のあるようなことならいいと思うけど。

 いずれにせよ、岩内町は大火という過去があるわけですから、災害に対しては万全の注意をしましょう。写真はこの話題には関係ありませんが、4日夕方の海の様子です。

岩内町から銭湯がなくなりました

 道新後志版に出ていましたが、岩内町内で最後の銭湯だった小松湯が、平成24年3月31日をもって営業を終了しました。昔、岩内に住んでいた方にご説明するならば、荒井大学堂さんの向かい、ショッピングプラザ・ヤダさんのとなりと言えばいいでしょうか。

 新聞によると、小松湯ができたのは、1939年(昭和14年)。50年~60年台は、岩内町には10軒以上の銭湯が存在していたようです。よくここまで頑張って商売を続けてくれたなぁという感じです。

 銭湯の減少は、家庭にお風呂ができたこと、後継者不足、人口減少、燃料費の高騰。いろいろな理由があってのことでしょうが、時代の流れというものでしょうね。

 ただ、岩内の場合は、円山の温泉を銭湯代わりにしている方も結構いるんです。車で毎日温泉に入りに行くのですから、ちょっと贅沢に感じるかもしれませんが、それまた岩内らしいのかもしれません。

稲穂峠にゆずり車線ができました

 岩内と余市の間には稲穂峠がありまして、女性ドライバーは冬はこの峠を越えるのが怖いから、車で遠出しないと言う方も結構いらっしゃいます。

 その稲穂峠は近年、登坂車線などの工事が行われています。この冬、岩内側のまだ傾斜が緩い直線の登り車線を1車線から2車線にし、ゆずり車線というのができました。さらに、センターにガードレールが設置されました。

 昔は冬に道路工事なんてしなかったのに、今はするんですね。雇用の関係でしょうか。工事中、待ち時間が5分以上ある事も。ようやく工事が終わって、先日走るととても快適でした。

 でも、やっぱりみなさん左に寄らないんですよね。みんな自分は速く走っているから右を走るんだと書いてあるような走りです。これからは観光シーズンでもあります。北海道の運転マナーは悪いとよく言われますが、観光地でもあるのですから、そんな事にも気を使いたいですね。もちろん、私も含めてです。

国富交差点の雪だるま

 自宅に帰る道で、これを見ると帰って来た気がする、なんていう目印や建物等はありませんか?

 この時期に国富交差点に大きな雪だるまがあります。交通安全を願って毎年作られるものですが、私はこの交差点に来ると、岩内が近いなと感じます。小樽方面から伸びる国道5号線と276号線がぶつかる場所です。岩内まであと10キロほど。そんなときにこの雪だるまを見ると、なんとなくほっとします。

 でもね、毎年同じ作りなんだけど、ちょっと変化をつけたらどうかな?とも思います。大きいので、複雑にはしない方がいいでしょうが、顔の表情をちょっと変えてみるだけなら、出来ますよね。どうせやるなら、そんな遊び心も持って欲しいなと思いました。それも観光に繋がれば・・

 数日前にここを通ると、残念ながら雪だるまの顔がなくなっていました。周りの交通安全の旗もなくなっていたので、みなさんがここを通過するときには解体されているかもしれませんね。来年はぜひどんな顔か御覧ください。ただし、交差点なので、見とれて事故にはご注意を。

雷電温泉のこと

 岩内の景勝地、刀掛岩は雷電海岸に位置します。岩内町の市街地から12km西に位置しています。

 そこには、10年ほど前までは、ホテル雷電、観光かとうなどといった温泉宿があり、それなりに流行っていたものです。しかし、円山地区の温泉開発が進むと、人の流れはそちらに行ってしまいました。

 今は、ホテル雷電は名前を変えて、違う経営者によって営業をしているようです。私も昔はよくホテル雷電の温泉に通ったことがありました。お風呂からは、刀掛岩が見え、夏は夕日と漁火も見ることができる、いい温泉でした。

 古平のトンネル岩盤崩落事故の後、海岸線はいたるところで、長いトンネルができました。おかげで安心とはいえ、景色が見えなくなってしまいました。雷電海岸もほとんどがトンネルのようなものです。ですが、トンネルを抜けた瞬間に、ガラッと変わった風景が目の前に出てくるという迫力があります。

 写真は2月の刀掛岩ですが、夏はまた違った風景になります。そんな歴史的な変化も感じながら、雷電海岸へお越しください。

冬の海岸線

 昔、東京である人に「海岸線の雪はどのようになっているの?」と質問を受けたことがありました。そんなこと考えてもみなかった、とほとんどの方が言うと思います。ただ、雪とは無縁の生活をしている方にとっては、イメージするにはあまりにも「わからない」情景ではないかと思います。

 写真は、岩内から雷電海岸を通り、刀掛トンネルと磯谷トンネルを抜けたところにある風景です。砂浜が広がる風景も、冬は白く変化します。ご覧の通り、波が打ち寄せる場所は雪がなく、その線は潮の満ち引きによっていつも違う景色となります。

 岩内周辺の海岸は、このような砂浜と岩浜があり、それぞれの風景が織りなしています。岩内の敷島内地区は丸石が転がる海岸です。雷電海岸は切り立った崖の海岸線で、岩浜です。そしてトンネルを抜けて砂浜が広がるといったほんの10数キロでそんな変化が楽しむことができます。

 このブログでも何度か出ていた大浜海水浴場は砂浜で、写真のような風景が広がっていました。写真ではどうしても伝えることができないことがあります。匂いや風、寒さ・・・。やっはり実際に見に来なければ、「実感」できません。いつか、岩内のこんな風景を楽しみにいらしてください。