カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

雪捨場が動き出しました

 写真は、岩内の地場産業サポートセンター裏手にある、町の雪捨て場です。ここには、町道から排雪された雪を積んだダンプカーや一般の事業所などから雪を積んだトラックがやって、雪を降ろします。

 ここには、常時キャタピラーをつけたブルドーザーが待機していて、降ろされた雪を上手に踏み固めながら山を作っていきます。まだシーズンが始まったばかりなので、雪山にはなっていませんが、ドカ雪が降るとダンプカーは途切れなくやって来るので、どんどん雪山は大きくなっていきます。

 後ろは海です。まだ海が見えますが、なぜ海に直接捨てないのか?と思いますよね。白い雪も融けるとかなり汚れています。ゴミも結構紛れているので、もしも海に雪を捨てるとシーズンが終わると、かなりのゴミが海の中にあるという状況になります。

 雪捨て場も、どこでもいい訳ではなく、雪が融けるとその排水によって、近隣に迷惑を及ぼさないかなどを考えられます。よって、海のすぐ近くの広い土地が選ばれると思います。専門家のみなさん、この考え方でいいのですよね?

 雪国の皆さんにとっては、当たり前の話題で申し訳ありません。この除雪、排雪ということは、雪国にとって経済的に非常に重要な位置を占めています。子供にとっても、ばあちゃんの家の雪かきをすることによって、お駄賃をもらえるのですから・・・

いわないスキー場のリフトの変遷

 先週日曜日は1980年にいわないスキー場がオープンし、西側3本、東側3本のリフトが設置されたところまでお話しました。

 実は、私は1980年から1991年夏まで岩内には在住しておらず、実際の詳しいスキー場の状況がわかりません。人伝えによる情報で書きますので、もしも間違った情報だと思う方がいらっしゃいましたら、教えていただければ何よりです。

 西側3本のリフトとそのコースは、1988年に運休となり、再利用されることなく終わりました。1989年(平成元年)に「ニセコいわない国際スキー場」と名称が変わりました。新たに現在唯一営業をしている、第一ペアリフトができました。

 翌1990年4人乗りフード付きの高速クワッドリフトが新設されました。このクワッドリフトの登場は、寒さと戦いながら長いリフトに乗っていた苦痛から解放され、利用者は喜びました。

 1991年には、アルペンスキーの王者ステンマルクが来町し、スキー場と5年間の専属契約を結んだそうです。どれくらいかかったのでしょうね?また、1992年FIS公認コースになり、公式大会が行われるなどの盛り上がりもありました。

 しかし、1990年の利用客12万5千人をピークに、スキー場の利用者は減少が続きました。理由はバブルの崩壊、子供の減少、スキー離れなど他のスキー場が衰退していく理由と同じことがあげられると思います。

 そして、2001年に民間資本が撤退し、クワッドリフト及び第4・5・6リフトの営業が中止し、第一ペアリフト1本だけの営業となりました。

 はい、今週もここまでです。スキーをする人間として、本当はいろいろとコメントしたいことがあるのですが、おいおいと。

岩内地方文化センターの中にフェリーの模型

 国鉄岩内駅跡地の利用で、岩内地方文化センターという立派な建物があります。箱モノ行政の象徴です。ただ、もう出来てしまったものですし、私もたまに利用させてもらっているので、これ以上どうこう言う立場にはありません。

 さて、その文化センターの中にフェリーの模型があります。平成2年から上越市と岩内を結ぶフェリーが就航していました。平成11年に残念ながら休止となりました。フェリー会社の名は「東日本フェリー」で、現在はその会社はありません。

 平成2年の就航時に、この模型が作られてそのまま展示されています。平成4年に「はあきゅり」という船に変わりました。カントリーサインも今はたら丸ですが、昔はこのフェリーがデザインされていたのです。

 9年間のフェリー就航のために、大浜海水浴場をつぶして大きなフェリー埠頭と工業団地ができました。この模型を見るといつも、時代に流されてしまった大切にすべきいろいろなものを感じさせられます。

いわないスキー場は1980年にオープン

 今月の日曜日の話題は、マラソンを中断させていただいて、岩内町におけるスキーのお話を連載いたします。

 岩内町にリフトがかかったスキー場がオープンしたのは、1980年です。私が高校を卒業し、浪人生活を送っていた年でした。写真は、例のごとく弊社事務所2階に眠っていた、最初のパンフレットです。

 最初は、リフトが3本。第一リフトはペアで、第2、第3リフトはシングルでした。登山ルートと同じ西側尾根に沿ってにリフトがありまして、風がものすごく強く当たり、寒かった記憶があります。なんと、ナイター設備もあったのです。

 初心者にとっては、最後に急斜面となって、大変なコースでした。一方、上級者にとっては、なだらかな斜面で、飽きてしまいます。翌年、左側の尾根に、シングルリフト3本ができました。こちらのコースは上級者も満足できる斜度を有していましたが、リフトが長く相変わらず、岩内特有の冷たい西風を受けて、寒い思いをしていました。

 しかし、時代はバブルで「私をスキーに連れてって」の映画が大ヒットのスキーブーム。スキー場利用者は1990年までどんどん増えていきました。日本海を見下ろすロケーションも素晴らしく、吹雪でなければいいのにねぇ~と、スキーをする人はだれしも言っていました。

 今日は、ここまでです。続きはまた来週日曜日のこの場所で。

 パンフレットの地図をご覧ください。道央自動車道と札樽自動車道が繋がっていません。積丹半島も道が繋がっていません。航空会社は「東亜国内航空です。それだけとっても、このパンフレットはかなりのレアものでしょ。

消火栓の冬支度

 赤い消火栓も冬対策をしています。消火口のところから、ぞうさんの鼻のように、上に伸びています。最初はなんぞや?と思っていましたが、雪が降り積もると納得がいくのです。(真冬の状態は、こちらです)

 場所によっては、ほっておくと、上に伸びた口までもふさがってしまうため、消防の人たちは、定期的に巡回をして、消火栓周辺を除雪しています。岩内のいたるところにある消火栓。大火を経験し、火に対する気構えは他の自治体に比べると意識が高いように感じます。

 いつも思うのですが、ちょっと遊び心を使って、顔を書いたりしたらダメでしょうか?いろいろな表情の顔などを作って、どこにどんな顔があるとか、動物の体の一部を想像させるとか、いろんなお楽しみがあってもいいのじゃないかと思います。

 私は最近の子供が外を歩かなくなっているのを憂慮しています。消火栓を使う時は、必死なときだから、そこに遊び心を入れるなんてけしからんと言われてしまうかもしれませんが、一つの提案としていかがでしょう?

ニセコいわないスキー場は23日オープン

 岩内町には、ニセコいわないスキー場があります。平成23年の今年のオープンは12月23日(金曜祝日)で、当日はペアリフトが無料で乗り放題となっています。

 今年もリフトはペアリフト一基だけしか動きません。ただし、数年前からキャットツアーという雪上車で上部まで運んでもらい、パウダースノーを滑るという企画が今年もあります。予約は、すでに順調に埋まっているようです。

 私たちが子供の頃は冬のスポーツと言えば、スキーしかありませんでした。野球部やバスケット部に入っていても、冬になるとスキーをするのが当たり前でした。

 しかし、昨今はインドア施設がいろいろと整ってきた事、スポーツの多様化で、スキー離れに拍車がかかっています。せっかく雪国に住んでいて、ニセコという世界的にも素晴らしいロケーションと雪質を備えているのです。「やらなきゃ損だよ」と思わず言ってしまいます。

 しばらくスキーから離れていたお父さん、お母さん。今は道具もかなりお安くなって昔よりもとても操作性が良くなりました。ぜひ「昔取った杵柄」を発揮して健康増進いたしましょ。

路面は鏡の状態

 12月2日晴天の気持ちよい朝でした。放射冷却状態で、気温は下がりました。青空と白い雪は、とても素晴らしいコントラストで、今までのどんよりした曇り空から一気に解放された気分になります。

 女工さんたちを迎えに車で走っている時に、ニセコ連峰のワイスホルンから日が昇ります。戻ってくるときに海が見えますが、岩内港のすぐ近くでは、「けあらし」と呼ばれる湯気のような状態が見えました。海水温と気温の差で生じる現象です。

 写真のように、日中は西の空から降り注ぐ太陽が、眩しく光っていました。光りは太陽からの直接だけでなく、濡れた路面が鏡のように反射するので、車のサンバイザーでもまぶしさを防ぎきれなくなってしまいます。

 この状態が、夜になるといわゆるブラックアイスバーン状態で、ツルツル路面になります。本格的な冬はずいぶんと遅れているなと感じますが、週末はまた荒れるようです。こうして、荒れた天気と、穏やかな日が交互に来ながら、冬へと進んでいきます。

 山があるから谷がある。忙しいときがあるから、暇な時もある。儲からない時があるから・・・・・やっぱり儲からない。今年もあと一カ月、がんばるぞっと。

岩内町「歴史散歩」パンフレット

 ありそうでなかった岩内町のパンフレットができました。「文化と歴史の地図」というものです。北海道新聞の後志版に先日紹介されたのですが、岩内町郷土館指定管理者、特定非営利活動法人ぱとりあ岩内が発行しました。

 編集を担当した郷土館でお仕事をしている二人の女性が、実際に現地を歩いて情報をまとめ上げたとのことです。裏面には明治の頃の要所の写真もついていて、現在の風景と比較する事が出来るようになっています。

 ちょうど岩内を一周できる散歩コースを紹介してあり、ゆっくり散策しても2~3時間程度で回る事ができます。道順もなるほどと思わせる内容です。でも、真冬にこのコースを歩くのは、結構物好きの方かもしれません。

 岩内町郷土館は、残念なことに12月から3月までは冬季休館となります。それなのに、何で今時期にこのパンフレット?と横槍を入れては一生懸命に作られた人に失礼ですね。地元のウオーキングをされている方にも、岩内のこんな歴史を探りながら歩かれる事をぜひお勧めいたします。

いわない楽座にたくさんのたら丸グッズ

 先日、商店街の人たちとお話をしたら、岩内には6つの商店街があるんですって。岩内の人は知っていましたか?銀座通り商店街、名店街、駅前通り商店街までは言えますが、そこからは・・・??、関係者の人がこれをお読みになったら、けしからんとお叱りを受けるかもしれません。

 どの自治体の商店街も、人口の減少と郊外大型店舗の進出で、商店街は空洞化になっています。ただ、そこでもいろいろと策を練って頑張る人たちもいる事は忘れてはいけませんね。

 岩内名店街には、「いわない楽座」という店舗があります。たら丸焼きが買う事ができる他、レアなたら丸グッズがいっぱい。たら丸ポイントカードの商品交換もこのお店でできます。また、コミュニティースペースのような部屋もあり、ちょっとした奥さまたちの集会などに使えます。詳細はいわない楽座にお問い合わせください。電話0135-62-2525

 いわない楽座を運営している人たちも、いろんなジレンマを抱えながら活動しています。たら丸ファンの皆様、岩内に来られましたら、いわない楽座を覗いてみてください。でも、日曜日、祝日がお休みなので、ご注意を。

岩内-共和町の道路事情

 岩内町から札幌方面に出るときは、国道276号線を利用して出るという人が多いと思います。路線バスもその道を使っています。

 私は最近、その国道が交通量が多くなった事と、信号が多くなったということであまり使わず、発足(はったり)という共和町の農協さんがある道を使います。距離は少し長くなるのですが、比較的スムーズに流れるので、時間的には早いと感じます。

 この二つの道の間に、現在自動車専用道路が建設中です。旧国鉄の線路跡地の土地を利用した道になるようです。詳細な情報は私にはわかりません。興味のある方は、関係組織にお問い合わせください。

 いずれにせよ、まだその道ができるには時間がかかるようです。先に述べたどちらの道も、パトカーや速度違反の測定など頻繁にやっていますので、ご注意を。あらっ、もう捕まった経験がおあり?

 写真は、その建設中の道路付近の田んぼです。幌似地区です。