カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

アベ事務器のご紹介

 余市方面から岩内町に入ってくると、カベ坂十字街というところに降りてきます。その右側に写真のように、「ようこそ岩内へ おかえりなさい おつかれさん」という文字が書かれている看板が目にとまります。

 アベ事務機というお店のご主人が作ったもので、なんとも心和む看板がいいですね。このご主人は、70をとっくに越えた方なのに、スキー、ゴルフなどのスポーツはやるし、バンドでドラムをたたくなど、趣味が広くて楽しい方です。

 冬はニセコのナイタースキーに私と一緒に行くのですが、この年齢でも年々上手になっているので、頭が下がります。一人でスキーに行っては、オーストラリア人と仲良くなったなど、いろんな楽しみを知っている方です。

 ホスピタリティーという言葉が最近よく使われていますが、こんな看板を何気なく出すことは、町外から岩内へ来てくれる人に最初に感じてもらうホスピタリティーだと思います。

 「観光で岩内に人を呼ぶ」と言っても、このような気持ちが最初になければ、いけませんよね。

 ちなみに、この裏に書かれてある言葉は、わかりますか?答えは、実際に岩内に来て見てね。

シャッターに描かれているたら丸

 たら丸の絵が商店街のシャッターに描かれたのは、20数年ほど前のことです。いろいろなたら丸が、そのお店の商売に合わせて描かれていました。
 
 描かれた当時、私は岩内にいなかったので、詳細はわかりませんが、商店街活性化のアイディアだったのでしょうか?さすがに20年も経過すると、それぞれのお店のシャッターは新しいものに入れ替えられ、たら丸の絵は少しずつ消えてゆきました。

 でも、冷静に考えると、シャッターが閉まっているとたら丸を見ることができるのは、少々さみしいですよね。なんとか逆転の発想ができないものでしょうか?

 写真は商売をやめてしまった家具屋さんのシャッターです。たら丸ファンの皆さんは、こんなシャッターのたら丸を発見できるかもしれません。レアなたら丸探しに、岩内にぜひお越しください。

お墓参りの8月13日

 8月13日、お墓参りの日です。なぜ13日なのか、仏教的な事はここでは置いておきましょう。いずれにしましても、13日から16日に夏休みを取られる方が多いですね。その間にお墓参りするのが、一般的でしょう。

 岩内の13日は、朝は数日前に比べると気温は低かったのですが、日中は快晴で、気温もどんどん上がり30℃付近にまでなっていたように感じました。

 そんな中、お昼過ぎに東山の墓地に。車で来ている人が多かったですね。写真を見ていただくとお分かりでしょうが、8月前には雑草も綺麗に刈りとられていました。

 都会では、お盆の時期は人が消えてしまいますが、13日の岩内の街中は、札幌ナンバー以外の乗用車もたくさん見かけました。みなさん、旅行で来ているのでしょうか?帰省で来ているのでしょうか?

大盛況だった身欠にしん串

 第39回いわない怒涛まつりが8月6日・7日に行われ晴天に恵まれて終了いたしました。運営側のみなさんは暑い中大変でしたが、お疲れ様でした。

 目玉商品となる、身欠にしん串の1871(いわない)本の販売は、予想外に初日で目標達成となったようです。2日目も10時からの販売で、12時前には無くなってしまうという状態でした。原料を提供するからもっとできないのか?と実行委員に相談したところ、下処理に一晩かかるので無理だったとのこと。

 にしん串の焼くコーナーは日曜日の午前で終わってしまったので、その後隣に位置する私たち特産品販売コーナーは、「にしん串はないの?」という質問に、「ごめんなさい、終わっちゃったんです」と何度も言うことになりました。

 一言で「町興しの起爆剤に」と言っても、それを実現することは、いろんな障害や困難、そして人間のエネルギーが必要になります。このニシン串を食べたお客様が、本当に岩内町の身欠ニシンに興味を持ってもらえるかは、これからが大切だと思います。がんばらないとね。

 いわない怒涛まつりでニシン串を食べていただいたお客様、ありがとうございました。また、せっかく来ていただいたのに、食べることができなかったお客様、大変申し訳ありませんでした。今回の反省を踏まえ、来年につなげたいと思いますので、来年もまたいらしてください。ありがとうございました。

岩内、ニセコは温泉の宝庫

 夏休みの計画はもうすでにお済でしょうか?高速道路の上限1,000円もなくなったことですし、札幌から近場でという方は、ぜひ後志の方に足を向けてください。

 少し前の休日に、妻と一緒にニセコのアンヌプリという山に登ってきました。岩内から五色温泉というところまでは、車で40分程度で到着。そこから登山を始めて1時間ちょっとで山頂(1,308m)に到着。展望は残念ながら雲にさえぎられていましたが、高山植物がたくさん咲いていました。

 ニセコには、こんなふうに朝起きてちょっと登ってくるかというようなコースがたくさんあります。そして景色は素晴らしい。下山したら、お決まりの温泉。五色温泉(写真)には久しぶりに入りましたが、いいお湯ですよ。まだまだたくさんの温泉がニセコや岩内には存在しています。

 登山はしないけど、温泉は大好きだというみなさん、ニセコ岩内積丹をドライブしながら、温泉のはしごなんて旅もいいのではないでしょうか。お決まりのセリフですが、その時はぜひ岩内にお立ち寄りいただき、一八の商品をお土産にするのを忘れないでくださいね。

 ちなみに、山に行こうと妻が言う前、体重計に乗っていたのを私は知っています。

小沢駅

 函館本線の小沢駅。1985年の岩内線という国鉄が廃止になり、約15キロの線路が消えました。以前もお話しましたように、昔は札幌に出るときは、この小沢駅で乗り換えをしたのです。

 今では車社会になったので、ほとんどの人は、乗用車で札幌に出ます。もしくは、高速岩内号というバスを利用します。先日の日曜日、始発のバスよりも札幌に出なければならない用件があり、乗用車ではなく、久しぶりに汽車を使いました。小沢駅までは、妻に送ってもらいました。小樽~札幌間は電化されていますが、長万部~小樽間は電化されていないので、ディーゼル車が走っています。

 函館本線と言っても、単線で、上りと下りの列車がすれ違う時は、どこかの駅で、反対側の列車が来るのを待ちます。まぁ、たまに乗るにはそんなのんびりもいいものです。

 写真は小沢駅です。手前が空間になっていますよね。ここに1985年まで岩内線の線路が敷かれていました。老朽化した陸橋が見えますが、この陸橋を乗り換えのときは皆走って座席を確保していました。子供の私はいつも走る役でした。今思えば、そんなことしなくても、たった20分くらいだもの、立ったっていいじゃないかと思うのですが、当時は札幌に出て帰ってくるというのは、一日がかりの旅で疲れるものでした。

岩内郷土館で岩内歴史講座

 岩内の西端に位置する郷土館は、日本海側に存在する各自治体の資料館の中でも、その資料の充実ぶりは秀でたものがある。と、だれかが言っておりました。

 しかし、この手の資料館は来客がわんさか来るわけでもなく、運営にはなかなか厳しいものがあると思います。必然的にボランティアスタッフによってなんとか維持されているというのが現状でしょう。

 7月から8月にかけて岩内郷土館では、岩内歴史講座プログラムというものがあります。いろいろな岩内の歴史を紐解いてお話を聞くというもの。先日、なぜか私がそこに呼ばれまして、岩内の加工業のお話をしてくれと。

 私が?館長さんも血迷ったか?と思いましたが、20年前に東京から戻ってこの仕事に就いた話や加工屋さんが減少した理由など、私の勝手なお話を熱心に皆さん聞いてくださいました。

 参加された方は私よりもほとんどが年配の方で、私よりも知っているのではと思える研究家の方もいます。いつもは聞く側ですが、お話する側となると、難しいですね。若造の取りとめのないおしゃべりにお付き合いいただいた皆様、ありがとうございました。

 この講座、私はもうお話しませんが、岩内の歴史に興味がある方はぜひご参加を。お問い合わせは、岩内郷土館(0135-62-8020)まで。

第8回岩内町長杯 全道少年U-10サッカー岩内大会がありました

 岩内町には、芝生の立派なサッカー場があります。岩内第一中学校の裏には、岩内総合運動公園と称する、陸上競技場、野球場、ソフトボール場などが整備されていて、いろいんな大会などに使われています。

 その中でもサッカー場は、素晴らしい芝なので、岩内で練習試合をさせてほしい、合宿に使わせてほしいなどの申込があるようです。8年前からこのサッカー場で、7月のこの連休に合わせてU-10の少年サッカーの全道大会が行われています。

 我が家の息子たちも数年前までお世話になったイーグレット岩内というチームがあります。大会は南北海道の地方から勝ち上がった強豪ばかりですが、岩内はホームということで、無条件で出場できます。出場チームを見ると、チーム専用のバスなどがあるクラブチームが名を連ねます。

 試合の詳細は、別のところでご覧ください。全道大会に来るには、それなりの実力があってのこと。小学校4年生以下と言っても、かなりのテクニックを見ることができ、また年々レベルが上がっている事も確かです。将来、有名な選手がこの中から出るかもしれませんね。

 それにしても、お母様たちの子供にかける熱心さもスゴイ。ご父兄の皆様、たまたまこのブログにヒットされた方は、サッカーの内容に興味があることでしょうが、岩内にこんな水産加工の会社があって、美味しいものを作っている会社です。お土産にはぜひ一八興業水産の商品をお使い願います。

お神輿が通る

 岩内神社祭りは毎年曜日に関係なく、7日~9日にあります。町内を2日間にわたって歩く行列は、規模は小さくなるとも、昔と同じ距離を歩きます。

 毎年、8日の夕刻4時前後に弊社の事務所前を神輿が通過します。それを迎えるために、事務所の前に立ちます。パトカーの赤色灯が見えると、来るなと思っていても、それからまたしばらく。

 猿田彦と宇豆女は先導役となります。通称、天狗とおかめですね。かぞえで42歳の厄年の男がそれらを務めます。天狗は高下駄をはき、重厚な衣装と天狗のお面をつけて、足を高々と上げながら歩きます。大変な労力です。

 そのあと、赤坂奴、お神輿などが来るのですが、それぞれの役割があるために、隊列はとぎれとぎれになったりします。他の自治体では担ぎ手がいなくてお神輿が出られないところもあると聞きましたが、岩内のこのお祭りは何とか頑張っていますね。それほど、この地方の中では突出したお祭りのようです。

 写真は、お神輿が事務所前を来るところです。おおきなうちわで隠れて見えませんね。実物を見にいらしてください。9日の夜がクライマックスです。

消えゆくブロック住宅

 岩内町はここ数年間で平屋のブロック住宅を取り壊し、新しい町営アパートを建て替えるという作業を進めています。岩内の風景で、一番変化のあるものが、ブロックの取り壊しと、アパート建設だと思います。

 宮園のブロックは、早くに建て替えられ、4階建ての立派なアパートへと変わりました。次いで、東山にできたときは、大浜のブロックに入居していた人たちが引っ越しました。今は大浜、栄と建て替わっています。写真は西宮園のブロックで、現在取り壊しが進んでいます。

 このブロック住宅は、ほとんどの人たちが部屋を増設したり、場合によってはお風呂まで作ってしまっていました。本当はいけないことのようですが、黙認していたようです。岩内町は面積が狭く、土地も割高だったためでしょうか。自分で持ち家をという夢を持つ人は少なかったのかもしれません。 

 少し前に、ある人が言っていました。「岩内の税制上の失敗策として、持ち家政策をとらなかったことだ」と。昭和29年の大火後にとにかく住む場所をなんとかしなくてはと建てたのがブロック住宅と聞いています。戦後と大火という経験を経て来た岩内の居住空間も大きく変化しています。