カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

小沢駅

 昔、岩内線という国鉄の線路があったというお話は、このブログでも何度か登場していますね。先日、北海道新聞後志版に、JRの駅を紹介するシリーズがありました。 小沢駅を紹介する記事があり、私も思い出深い駅なので、ちょっと昔話を。

 岩内から札幌へ汽車で行く場合、「急行らいでん」というものに乗りました。小沢で目名(めな)駅から来る汽車に連結すします。帰りはその逆でした。一日往復3便だけです。今のような誰しも車を持っている時代ではなかったので、札幌に出かけるには、利用率は高かったと思います。

 小学生の頃、この駅の裏山にスキーを滑りに行ったことがあります。もちろんリフト等はなく、担いで登ったりして滑りました。この岩内線の汽車に乗り、名産のトンネル餅を食べながら友人と帰って来たのです。岩内にも、円山スキー場がありましたが、子供だけで汽車に乗ってスキーに行くというのが、なんとも冒険しているようでワクワクしたものです。

 この駅舎は今は無人駅。85年の岩内線廃止までは、人がいたと記憶しています。違っていたら、ごめんなさい。薄暗い中でダルマストーブが何ともやさしくスキーのあとの体を温めてくれました。私よりも年配の方は、もっといろんな思い出がこの小沢駅にはあると思います。いつも車しか乗らないあなた、たまにはこの小沢から汽車で札幌に行ってみてはいかが?

「家具の栗林」の前に、たら丸登場!

 駅前通り商店街にある「家具の栗林」のお店の前にたら丸とピン助がいます。

 専務の栗林さんが、遊び心で造ったものらしいのですが、商店街を歩いて、いろんなたら丸がいると楽しいですよね。昔、シャッターにたら丸の絵を描いて休日のシャッター街を楽しませたものもありました。でも、それではお客さんをお店に呼べないですね。

 成人式の夜に、無残にも首から上が壊されたとのこと。でも、「壊されたら笑って造り直す。雪はタダだもの」と言って復活したのが、この写真です。夜には、キャンドルライトがきらめきます。こんな雪像が商店街にたくさんあったら、岩内に来るお客さんも楽しく感じるでしょうね。

 たら丸ファンの方には、ちょっと似ていないと言われるかもしれませんが、それは御愛嬌。これから、雪が降ったらべに子を作ると栗林専務は言ってました。「なかなか楽しいよ」と本人談。そうですね。こういうものは、義務感でやるのではなく、本人自ら楽しむ気持ちが大切ですね。

毎日除雪

 連日の雪でさすがにみなさん、雪かき疲れのようです。道路わきの雪山はどんどん高くなり、道路幅も狭くなってきています。

 町内の道は脇道に入ると、車一台通るのがやっとの状態です。へたに近道だからと思って入ってしまうと、大変なことになってしまいまいます。

 写真は、地場産業サポートセンター裏にある雪捨場です。ダンプカーがひっきりなしにここで雪を降ろし、キャタピラーのブルドーザーがその雪を傾斜をつけながら山にしていきます。そのすぐ裏は海ですから、海に捨てればいいだろうと単純に考えられますが、条例か何かで、海には直接捨てることができないはずです。海が汚れてしまうからでしょう。

 取引先からの電話で、「何作っている?身欠にしん?」

 私、「雪山です。」

猛吹雪の工場初日

 6日、工場は初稼働となりました。朝から猛吹雪。女工さんを迎えに車を走らせるも、視界が悪くノロノロ状態でした。

 車で通勤している人の中に、車が埋まって脱出するのに手間取って遅刻してしまった人もいました。日中も車のヘッドライトをつけてゆっくり走る状態。これぞまさに岩内の真冬。

 写真は夜になってから撮ったものです。周りが暗いので、ライトが良くわかりますが、日中はライトも見えにくいのです。四方八方が真っ白で、風がすごいのです。体感温度もかなり低くなります。

 私の下手な表現力でこの状態を説明するには無理があります。北海道の日本海側にお住まいの方なら想像つくでしょうが、本州の方には実際にこちらに来て体感してくださいとしか言えません。そんな旅行もありかもですね。私はイヤですが・・・早く温かいお風呂に入りたい。

初詣

 みなさんの初詣ではどちらに行かれたのでしょう?

 岩内町には、岩内神社と金刀比羅(こんぴら)神社の二つが存在します。岩内神社は7月にあるお祭りの大きさでもわかるように、この小さな町の割には、大きな神社です。紅白歌合戦を見終わってから初詣に行く人で結構混雑すると聞きました。私は日中落ち着いてからしか行ったことが無いので、詳しくはお知らせできません。

 もうひとつの金刀比羅神社は、写真のように小じんまりした建物です。私は毎年この金刀比羅神社に初詣で出かけます。歴史上どのような流れなのかわかりませんが、岩内の金刀比羅さんは、海に係る人たちの神様というイメージがあります。今度、調べておきますね。

 さて、何をお願いしたかは、言うまでもございません。健康と商売繁盛です。ただ願っただけではダメですよね。それなりの努力をしなければ神様も手を差し伸べてくれません。と普段、ろくに手を合わせない奴が、お正月だけ虫のいいことをお願いするなと遠くから聞こえました。はい、その通りです。

 

新年、あけましておめでとうございます

 2011年。あけましておめでとうございます。大晦日の一日は荒れるのかと思いしや、穏やかで山も見渡せるほどでした。30日は気ぜわしく動く車が多かったのですが、大晦日の午後にもなると車の通りも少なく、天気同様に落ち着いた感じになりました。

 私が子供の頃、大晦日まで工場は仕事に追われ、ドタバタとやっていました。スケトウダラ釣漁があったせいです。私の母も大晦日は大掃除どころではなく走り回っておりました。そんな気ぜわしい大晦日ももう昔の話になってしまいました。

 ご近所さんの家の前には、見慣れない車が止まっていたりいたりします。たぶん、里帰りしたお子さんが乗ってこられた車なのでしょう。帰りにはたくさんのお土産を積んで行かれると思います。このような風景はほのぼのしていいですね。

 さて、このブログも昨年4月にホームページリニューアルを契機に始め、5月から毎日更新を続けています。どこまでできるかわかりませんが、読者の皆さま、今年もよろしく購読をお願いいたします。

雷電の刀掛岩

大雪の跡

 先週末、各地で雪による交通傷害などがニュースで流れています。ただ、同じ北海道と言えども、太平洋側、日本海側、内陸部さまざまな場所によって、降雪量や降り方の違いはあるものです。

 27日、週明けの岩内は、朝から除雪をする人たちばかりが目に付きました。気温が少し上がり、屋根の雪が滑りやすくなって一気にドドーン!という音とともに落ちたところも。

 写真は一八の工場と事務所の間です。構造上雪がたまりやすいところで、何度かまとまって落ちました。右側は天井がフラットなのですが、端の部分はソフトクリームがコーンからあふれそうな状態と同じ。いつまとまって落ちるか気が気でなりません。ご近所の方、ここを通るときは気を付けてください。

 子供の頃は、この屋根の雪下ろしが得意でした。要所となる部分を取り除くと一気に雪は落ちます。それが気持ちいいんですね。昔は屋根に登って遊ぶのは日常のこと。今だったら「危ない!」と怒られるでしょう。でも、そうして雪の性質を遊びながら覚えていったのだと思います。今は子供が雪遊びをする姿が少ないんですよね。

冬至の岩内町

  季節の折り返し点である冬至。ついこないだ夏至だったことを思うと、早いなぁとお決まりの言葉が出てしまいます。

 朝、真っ暗のうちから自宅を出て真っ暗の中を帰るサラリーマンの方もたくさんいらっしゃるでしょう。できれば明るくなってから働いて、明るいうちに帰りたいですよね。この日を境に段々明るくなるように、世の中も冬至を境に景気が良くなってくれることを願っています。

 写真はバスターミナルから南を写したものです。いわゆる駅前通り。この通りも昔を知っている方は変わったと感じることでしょう。コンビニが2軒、坂の途中には缶詰工場跡地にスーパーがありました。私の記憶だけでホクホー、ヤマダイ、サティー、ポスフールと名前を変え、今は利用しない建物だけ残っています。協会病院跡地には、スーパーのラッキーが新築で店を構えました。急な坂のロードヒーティングは現在故障中とのことです。

 今時期は、この通りにお正月用のしめ縄を売る出店が数軒立ち、活気づいていたものですが、数年前からなくなりました。年の瀬の風物詩が消えています。寂しいお話をしてもしょうがありません。今日からは一日ごとに日が長くなるのです。明るく歩きましょう。

昭和55年の岩内町

 岩内町の第二郷土館と言われる一八興業水産株式会社。そう言っているのは、私だけですが、弊社の倉庫や事務所の二階には、いろいろと掘り出し物が埋まっています。

 今回見つけた物は、岩内町制施行80周年記念の資料でした。昭和55年11月3日に岩内中央小学校でその記念式典があったようです。

 ほこりにまみれていたその封筒の中には、式典の招待リスト、岩内町のパンフレット、初代スキー場パンフレット、さらに小学生、中学生、高校生の未来の岩内についての作文集などが入っていました。ついつい読みふけってしまいます。

 昭和55年といえば、1980年。バブルの始まりの頃です。もしも今、昭和55年に戻れるなら、お金の使い方を間違えるなと言えるのになぁ~と思ってしまいました。

 さて、子供たちの作文。選ばれるだけあって、素晴らしい内容ばかり。書いた子供たちは、きっと岩内から出て活躍しているんでしょうね。この資料に興味がある方、お貸しいたしますので、進言ください。

グルメシティーが閉店

 岩内町の中心街にある、「グルメシティー」というスーパーが、今月末で閉店となります。閉店セールのチラシが数日単位で入っています。

 ここができたのは、35年前。そのときのお店の名前は、「ニセコストアー」です。ご存知の方いらっしゃいますか?当時子供だった私は、おばさんたちの会話で「ニセコに行こう」というのを聞いて、このおばちゃんたちが、何でニセコの山に行くのか?と不思議に思ったことがありました。当時としては、スーパーに買い物に行こうという代名詞だったのです。

 岩内では、スーパーの先駆けとなったお店で、街の中にあるので歩いて買物される方にとっては、残念と思う人もいらっしゃるでしょう。でも、郊外店の進出や、コンビニ、車社会へと生活様式の変化で、閉店になるのだと思います。

 閉店後はどうなるのでしょう?建物も老朽化が進んでいるので、取り壊しでしょうかね?