カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

濃霧

 写真のように、12日は朝から濃霧の状態で、港もほんの少し先しか見えませんでした。街中も霧に包まれていました。

 道東の釧路や厚岸方面では、夏場ではめずらしくない情景でしょうが、岩内でこのような濃霧になるのは珍しいことです。きっと、前回の話題にも出したように、海水温が影響しているのでしょうか。

 気象の異常現象に、強風があります。昔から岩内は風が強い場所ではありますが、近年は突風のような風が多くなりましたね。その突風により屋根が飛んでしまったり。先月の工場のドアが倒れたりと。

 空き地が目立ってきたせいもあるのでしょうか。今まで建物にさえぎられて風がこなかったのに、解体して風が急にあたるようになって、屋根がはがれたりと。

 一八の倉庫も例外ではなく、先日の雨で雨漏りが。しかし、これは冷静に考えると、風の影響というよりは、老朽化が原因と言った方が正確かも。一八はそんな建物があちこちに。老舗ほど、そんなことをいっぱい抱えていると思います。

大運動会

 小学校の運動会がありました。北海道は10月ではなく、6月に運動会をやる地域の方がほとんどですね。10月だとちょっと寒いし、それに10月は学芸会があります。

 我が家は3人11年間お世話になった岩内東小学校の運動会を、昨年終了しました。写真で見る限り、大きなグランドに子供たちが少ないですね。全学年1クラスで、岩内町には、東小学校の他、中央小、西小と3つあります。いずれも子供の減少で、統合問題が出ていますが、それはいつになることやら。

 岩内の漁師さんたちは、昔、11月から3月までスケトウダラ漁、5月6月はマス漁、そのほかイカ漁は6月から10月頃。ただ、漁具合によっては岩内から離れた場所で操業する形態のようでした。6月はマス、イカの漁があるので、岩内にいることができたようで、家族と一緒に運動会に参加できました。ただ、マス漁は日曜日も関係なかったので、漁があったら工場は運動会関係なしで仕事をしていましたね。

 私が小学校のとき、大人はなぜか酔っ払いが多く、午後には日焼けか酔った赤さなのかわからないおじさんさちがいっぱい。そのぶん、運動会は盛り上がっていました。お弁当には、お母さんたちの手作りの豪華なご馳走。その中には、当然のごとく、岩内産のマスの切り身が入っておりました。

 時代とともに運動会の形態も変わっていくことでしょう。でも、子供たちの運動会の記憶は「楽しかった」という気持ちをいつまでも持っていて欲しいですね。その中にお昼のお弁当に岩内らしいおかずが記憶に残っていて欲しい。この岩内岳の景色とともに。

まだまだ寒い

6月だというのに、事務所のストーブは朝、火が着きます。社長は寒がりなので、これくらいは何とか我慢してと思うのですが、逆らえません。工場の休憩室のストーブは先日分解掃除に出してしまいました。20℃を越えないので、たぶん寒いと感じるのでしょうが、なければないで、皆さんそれなりにやっていけるようです。

たんぽぽはつい先日まで黄色にあちらこちらで咲いていましたが、今日路肩を見ると、白い綿帽子の状態になっていました。

事務所に来るお客様の話題は、寒い話、農家が大変だという話。農家がよくないと、私達の商売にも影響があります。身欠にしんの販売先は、東北、北陸が中心です。農作物に影響があると、ご飯の消費が少なくなって、身欠が売れなくなります。

「風が吹くと桶屋がもうかる」の反対のような話ですが、四季折々の本来の季節感がないと、品物は動きが悪くなってしまいますね。

話は飛びますが、白いあつあつご飯には、「にしんのおかげ」「めんこちゃん」がお勧めです。

6月です ランニングの風景

仕事を終えてからのランニングは6時を回ってから。一回りして帰ってくるのは7時30分を過ぎています。最初は明るい青空も、だんだんと紺色に変わっていきます。家に帰る頃は真っ暗のちょっと手前。日が長くなってきていますね。

ランラングコースにある田んぼは苗を植え終えたところが半分。残りの半分はまだです。山は残雪がいろいろな模様を浮き出し、各地で動物に見えるなどといった話題が出るのがこの季節の特徴でしょう。一応、北のお魚大使としては、その残雪が何かの魚に見えないかなと無理やり想像のですが、なかなか難しい。しいて言えばチセヌプリの残雪はタツノオトシゴかなぁ?なんて。

日曜日の投稿でパノラマラインがまだ開通していないと書きましたが、昨日から開通したようです。6月になってようやくですから、待ちわびた人も多いことでしょう。でも、交通事情は、私の言葉は信用しないで、ちゃんとしたところから情報をとった上で行動してくださいね。

山の方を走っていると、カッコウの声が響いて聞こえます。その他にも変わった鳥の声が聞こえますが、「北の鳥大使」ではないので、わかりません。(そんなのないです)。日が沈むとまだまだ肌寒いのですが、虫が少し出てきたり、雑草がめきめき生えたり、着実に夏に向かって生きている生命を感じます。

コースの最後は第一中学校の上のほうから海を見ながら下りてくるのですが、今日は残念ながら日没の夕日は見ることが出来ませんでした。でも、これからの季節はこの海に沈む夕日と漁火を見ることができるのが、楽しみでもあります。

こんな風景は、学生時代は当たり前のように見えて、何も思わなかったのです。しかし、10年ほどの都会暮らしの後に見たこの風景は素直にきれいだと感じます。そして、目の前で見ることが出来るありがたさを感じています。

でも、はぁはぁと言いながら一人で走ってくる人がいたら、私は不審者と思われる存在なのでしょうか? 

刀掛岩

義経と弁慶にまつわるお話は、ご存知でしょうか?

岩内の西に位置する雷電海岸。ここにご覧のような奇岩である刀掛岩があります。

義経と弁慶が、平家との戦いで北海道まで逃れ、この刀掛岩まで来て安堵して刀を置いたとの昔話。ここで、アイヌの女性と義経は中睦まじくなり、ひっそりと暮らした。いや、ジンギスカンとなって大陸へ。など、いろんな噂やロマンをかきたてるドラマが、一人歩きしたような。

どうも、私はこの手の歴史に疎いもので、今の話が正確かどうか、義経伝説の研究をされている方が読まれたら、ご立腹されるかもです。

31日に隣町まで所用で雷電海岸を通って行きました。しばらくこの道は来ていなかったのですが、天気がよく、久しぶりに見る景色にうっとりしました。

昔、よく本州から取引先のお客様が来ると、現社長は雷電海岸の方へ車で案内し、この義経伝説を延々とお客様にお話しておりました。私が小学生の頃でしょうか、車に乗るのが好きだったので、よくお客様を乗せる車に乗ってついて行きました。

お客様はそれを聞いて楽しかったかどうかわかりませんが、私は「また始まったぞ」という感覚で聞いておりました。いつしか、社長の義経伝説は、私の頭の中にインプットされました。

今はその雷電海岸の温泉街は寂れてしまいました。でも、風景はよく、この海岸に落ちる夕日を見ながら義経伝説を思い、男女の仲がいい雰囲気に・・・・ 後はご想像にお任せを~。

ちなみに、お客様を連れて車の運転をしていたのは、社長夫人。現社長は車の免許を持っていないのです。昔懐かしい40年前の一コマです。

晴天の北海道

土曜日はとても寒かったです。ストーブに火をつけた人も何人もいると思います。

本日の日曜日は朝からすっきりするような青空。ここまで雲がなくて、青い空が大きく広がっているのは、都会に住んでいる人たちには、やっぱり北海道だよなと感じるかもしれませんね。

先週の洞爺湖マラソン、来週の千歳JAL国際マラソンの谷間の日曜日。34kを走ってきました。気温は15度で、私としては走るのにちょうどいい気温。風も少しあって、走る場所や向きによってはきもちよく肌に吹きかかります。

写真はランニング途中、共和町の山の方から、岩内岳(右)、目国内岳(左)を撮ったものです。携帯カメラなので、遠近感が違っているのでご了承ください。まだ雪がありますね。例年よりも雪融けが遅いことはご存知でしょう。観光にとってはちょっと困ったことが。

岩内町とニセコ町を結ぶ、道道岩内洞爺線。通称「ニセコパノラマライン」が全線開通しておりません。残雪が多く、峠の途中で雪崩の危険があるために、通行止めにしているようです。この道から見える景色がすばらしく、観光客はニセコを回って岩内に流れてくるのですが、開通していないと人の流れが少なくなってしまいます。観光客は、お寿司屋さんや、お土産屋さんに入ってくれますし、いろんな経済効果があります。

近日中には開通するとは思いますが、ドライヴを楽しむ皆さん、パノラマラインだけが岩内のいいところではございません。じっくり岩内を堪能しにいらしてください。

バイクで来る人も増えてきました。共和町のチーズ工場にある駐車場では、ライダーたちが愛車を並べて眺めながらバイク談義をしている姿が。ランニング仲間は、自分のランニングシューズを脱いで、並べてランニング談義をする人はいるのかな~?このランニングブームなら、どこかにいるでしょうね。

私はせいぜい走り終わった後にシューズの減り具合を見て、あとどれくらい持つかな?小遣いも少なくなったことだしなぁ~~。

大浜公園

岩内町は昔、人口密度日本一の時期がありました。今の敷島内地区が島野村だったときの話です。

北海道の町が人口密度日本一?なんて信じらないかもしれませんが、実際そんなときがあったようです。

それほど、密集していたのでしょうか。昭和29年の大火が大きな被害をもたらしたのは、そんな密集だったことも一つの理由かもしれませんね。

その大火の後は、区画整備で、町のあちこちに公園を作りました。岩内町に来ると、こんな公園がたくさんあるのは、その大火を意識して、避難場所やらを考えたことによるものでしょうか。

さて、この写真、地元の方は大浜公園だということをお分かりですね。私達が子供の頃は、夕方になるとたくさんの子供たちが集まって野球をしたりしていました。ですから、声をかけなくても2チームが出来たほどです。

ところが今は子供の数が少なくて、ここで野球をやっている姿を見るのはまれです。実際にこの雑草の生え方を見ていただくと、いかに子供たちがここで走り回っていないかがわかるでしょう。私達が子供の頃は少なくとも内野の面積は土が出ていました。今はバックネットもなくなり、近所の方たちの花壇になっています。

岩内に来たら、こんな公園めぐりなんて、かなりの「岩内通」の観光ですよ。冬に来ると、除雪の雪山に変わっています。

こんな広い公園で子供たちの笑い声が響くのが聞きたいなぁ。PSPなどのゲームより、天気のいい日は公園で遊ぼうよ、ご近所の子供たち!