カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

2016年新年あけましておめでとうございます

新年、明けましておめでとうございます。岩内町の年末の一週間は、まるでそれまでの遅い冬の到来を取り戻すかのように、一気に真冬の状態となりました。

今年はふるさと納税の仕組みが新しくなります。今までは寄付者には何も返礼などがありませんでしたが、岩内町の特産品や岩内らしいサービスを提供しようと、その具体化に向けて昨年より検討され、私も検討委員の一人として意見を述べています。

それらが弊社を含む水産加工業の活性化に役立ってほしいと思いますし、私たちも今までとは違った商品づくりなどに取り組むいい機会になるのではと期待しています。

これはほんの一例にすぎませんが、何もしなければ何も始まりません。計画し、行動し、失敗し、反省し、改善していい方向に進んで行く。そうして岩内が少しでも魅力的な町になり、岩内の企業が元気になることを期待します。もちろん私も努力いたします。読者の皆さまは一八、岩内町の応援団として、この2016年も引き続きよろしくお願いいたします。

写真は12月23日冬至の翌日の朝。フェリーターミナルから撮影したものです。羊蹄山の左(東)から太陽が昇ってくる瞬間。明るい朝日が昇ることを信じて。さぁ、新たな一年が始まり・・・・・

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道路にある矢印「↓」は何?

本州の友人が北海道に来て一緒に車に乗っていると、道路の端に矢印のようなものが並んでいるけれど、あれは何?という質問を何度か受けたことがあります。雪国である私たちは、当然のことながら吹雪の日に道路の端がわかりやすくなる標識だと理解しています。

写真は共和町のチーズ工場「クレイル」さんのすぐ下の直線道路から岩内町を見おろして撮ったもの。先日の日曜日、12月とは思えないほどの晴れた空の下。遠くは積丹半島です。

吹雪になるとこのはっきりとした道路が真っ白でどこがどこだか全く分からなくなってしまいます。そこで、この標識を見れば道路の端がわかるというもの。景観としては電線同様、あまりよくはないですね。

昔は赤と白の標識でしたが、ここでは黄色と黒ですね。何か違いがあるのでしょうか?左に防雪壁があるように、吹雪けばこんな景色は見えなくなるのは当たり前。今年はまだそれが一度もないのですが、いつ来るかなあ~?

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3・3・3停車場通り

この写真だけでどちらにある建物かわかる方は、ご近所にお住まいか、岩内をよく歩かれる方だと思います。正解は駅前十字街の杉原のお肉屋さんの西側です。

そこに「3・3・3停車場通」と書かれた看板があります。その意味がわからず、役場に勤務する友人に尋ねてみると、3つの数字はそれぞれ意味があって、役人さんの識別番号のようなものだと。では停車場通とは?昔ここに停車場があったとか何とか。明確な回答は得られませんでした。どなたかご存知でしょうか?

道路の名称というのは、省の管轄によって、その呼び方が違うのだとも教えてもらいました。でも、私たち町民はそんなことはどうでもよくって、駅もないのに「駅前通り」。お店もなくなったのに「いなおの坂」。などの呼び名が身近ですよね。

とはいえ、私がこの「3・3・3停車場通」に惹かれたのは、非常にゴロがいい呼び名だったということ。名前がついたのは馬車を引いていた時代なのかな?と面白く想像しています。

 

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明和工業さんのソーラーパネル

岩内町大浜には工業団地と称する広い土地が存在します。このブログでは何度も登場していますが、大浜海水浴場をつぶして埋め立て、フェリー埠頭とこの工業団地を作りました。

フェリーターミナルも今はなくなっていますが、工業団地には本州から何社か来て立地しています。その中に新潟を本社とする水道関連事業を全国的に展開をしている明和工業株式会社さんという会社があります。

岩内のその工業団地の一角に建っているのですが、その隣接地にソーラーパネルが広がっています。今年その工事が始まり、今は実際に動いているかわかりません。ただ、岩内の住人としては、それを見ると「ウォー、凄いな」と言ってしまう規模です。

岩内町に工場を建てられた経緯などは私は知りませんが、ソーラー発電のシステムは数億はかかるはず。そんな大きなことをやってしまう企業が岩内にあるとは凄いですよね。そして、そんな立派な会社が明和さんだけでなく、他にもあることをご存じでしょうか?

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岩内線廃止とたら丸誕生の企画展は18日まで

岩内町の木田金次郎美術館の企画展「あれから30年岩内線廃止とたら丸誕生」が10月18日(日)までとなっています。もっと早くお知らせするべきでしたが、ごめんなさい。

先日、美術館の館長に呼び止められ、岩内線の列車から撮った一八の写真が展示していることを言われました。弊社の二つの工場は町道をはさんでいて、その北側に線路がありました。どなたが撮られたかわかりませんが、間違いなく昔の一八の様子です。

30数年前ですね。今は駐車場になっているところには、当時まだ現会長宅があり、私もそこに住んでいました。工場前に積んである4寸箱はスケトウダラの魚箱で、時期としては1月か2月と予想できます。気になるのは、こんな車の停め方したらダメですよね。

実はこの企画展、木田金次郎美術館で開催されていますが、この場所を見るだけでしたら、入場無料なのです。岩内線が廃止された1985年6月、たら丸が誕生した同年8月。懐かしさと当時の人の思いを感じさせる企画展ですので、あと3日しかありません。ぜひご覧ください。そして、一八を見つけてくださいね。

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岩内旧庁舎解体その2

岩内町の旧庁舎の解体が進んでいると先日もお知らせしましたが、9月26日に通りかかったらその建物の姿はなくなっていました。

工事のフェンスに張られた「工事の進みかた」と書かれた表を見ると、年内は排出作業。年が明けた1月から3月は休工。4月からは基礎解体、既設杭撤去運搬処理。6月から9月は周辺建物の事後調査、と書かれてありました。

杭がかなりの本数が入っていて、それに時間と経費がかかるであろうと工事が始まる前に噂で聞きました。外見はおんぼろ庁舎でも、基礎はしっかりしていたということですね。

ちょっと気になるのは角地にある老舗菓子店、ベコ餅、雷電刀掛もなかなどで有名な飯久保菓子舗さんがこの工事用フェンスがなくなったら、ぽっかり浮き出るだろうな~と想像してしまいます。

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もうすぐ稲刈り

日中はまだまだ半そで姿でもいいのですが、朝晩はすっかり秋めいた気温になっている季節の変わり目。岩内町の宮園地区の田んぼは黄金色に変わり、もうすぐ稲刈りが始まろうとしています。

写真は岩内町と共和町の西老古美地区との境目付近から撮ったものです。田んぼの奥には岩内町の街、そして海が見えます。距離にすると海まで約3キロ。

先日の軽トラ市のお客様が言っていたのですが、天候が不安定で雨が突然降ったりやんだりして、稲刈りもできなくて困ったものだと。この写真を撮った時もまだ根の部分は乾燥していませんでした。

いろんな場所で収穫祭などといったイベントもあるように、収穫の秋となりましたね。食欲の秋でもありますので、一八の商品で食欲を満たしていただければ何よりです。

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岩内町旧庁舎解体中9月

岩内町の役場新庁舎に移行されて早4ヶ月。私も何度か新庁舎に行きましたが、昔の庁舎と比べると、広くて静かでとても近代的になったなぁと思います。

では、旧庁舎はというと、工事用の塀に囲まれて解体工事が進んでいました。どちらの解体工事も同じですが、今はドカン!ガシャン!と一気に壊すのではなく、ちゃんと木材や窓枠のサッシなど分別されながら解体されていきます。

古いとはいえ、それなりの大きな建物で費用の方もかなりかかると言われています。そして、必ず出てくる言葉が「壊したあとは何になるの?」。都会ではないのですから、特に予定はないことでしょう。

解体作業を見ていつも感じますが、建物は「物」であるからいずれは朽ちてしまうもの。でも、その場所で働いた人、住んでいた人たちにとっては、気持ちの中でそれぞれ違った感情が湧いてくることでしょう。それが「美しい思い出」ならいいですね。

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道の駅広場のプレハブ

先日のいわない道の駅についてのご意見募集については、たくさんの提言をいただきまして、ありがとうございます。まだまだ言いたいことがあるという方は、この私のブログがある限り、永久保存版ですので、遠慮なくコメントを書いてください。

さて、今日はそのいわない道の駅前に登場した工事現場のようなプレハブ小屋について。このプレハブには、たら丸焼、岩内第二中学の生徒考案の深層水を使った塩キャラメルソフトの販売。もう一棟は水産加工品などの冷凍冷蔵商品が販売されています。

道の駅の建物内にある冷凍ショーケースは小さくてたくさんの商品を並べることができないので、ここで販売しようということになったのですが・・・・実はオープンまで大変だったのです。何が?詳しくお知りになりたければ、直接道の駅に聞いてみるといですね。そして、皆さまから見た、感じたことを「お客様の声」として言っていただけたら、ありがたく感じます。

このプレハブでの販売は期間限定で9月30日までとなっています。残りわずかですが、大型連休も控えていますので、どうぞのぞきに来てください。弊社からはいつもの商品の他に、いわない道の駅限定の「釣たらこ」も置いています。

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国鉄岩内駅前の写真

今年、国鉄岩内線の廃止後30年ということで、郷土館や木田金次郎美術館、そして怒涛祭りでもそれに関係する企画展が行われています。それらでは懐かしい写真などが見ることができます。

先日、美術館の館長さんから声がかかり、昔の岩内駅や周辺の風景の写真を見ることができました。その中の一枚に一八の広告が書かれた看板が写っている写真がありました。

4つの面の東側に一八の文字。上には「紅葉子」「味の肴」と書かれてあります。写っていない右側が駅舎、二階建ての小さな建物は交番。一番左の建物はわかりませんが、現在はお食事ができるセイラーさんの場所。道路はまだアスファルトにはなっていないようですね。

若い人たちにとっては、木田金次郎美術館と文化センターが見える場所だよと言ったほうがいいでしょう。時代は私の推測で昭和40年年代初期。そんな昔か、もうそんなに過ぎたのか、皆さまにとってはどのように感じられるでしょう?

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