カテゴリー別アーカイブ: 岩内町の風景

いわない道の駅へのご意見募集

岩内の道の駅について皆さんはどのようなご意見をお持ちでしょうか?認定が早かったために、最近人気ある道の駅の充実ぶりに比べると、いろいろな欠点が見えてきます。いわない道の駅を見直して、再整備をしようという声が上がっています。

いわない道の駅はスタンプラリーの番号が「14」なので、道の駅ってな~に?と言われている1993年から存在しています。最初は観光案内所だった「たら丸館」。一番の問題点は、たら丸館と駐車場、トイレがばらばらに建っているということ。他地域のほとんどの道の駅は国道沿いに建っているに対して、岩内は街のど真ん中にあり、建物が狭いために物販の品物は少なめ。

多くの人は建物を大きく建て替えろと言います。確かに時代にそぐわなくなっているかもしれませんが、なんでも建て替えればいいというものでもないと私は思います。利用者が利用しやすい整備の方法は何か、建て替えるならどのようなコンセプトを持つべきか。ハードの面は確かに大切ですが、その前にしっかりとしたソフトを考えなければならないと思います。

今年の町議会選挙で初当選した栗林議員は、道の駅周辺の再整備を目標としています。街の中にある道の駅だからこそ、道の駅を核としたにぎわいのある街にしたいと言っています。道の駅について考える勉強会もスタートしました。多くの議論が必要だと思います。あなたのご意見、お聞かせください。

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倉島牧場はそば畑が満開

岩内町の宮園地区にある倉島牧場の敷地が、そばの白い花で埋め尽くされています。写真は8月1日撮影。あいにくどんよりした曇り空のために、青い空とのコントラストがいまいちですが、一見の価値ありの風景です。

写真の左奥に見えるのが倉島牧場の建物。真ん中が岩内高校。右が宮園団地。倉島牧場は平成になってから仁木町に工場を新設し、主要製造は仁木町で行われているようです。

岩内や共和町では、近年こうしたそば畑が目立つようになりました。白い花が咲き始めると緑一色の風景が一変。第一中学校上のニセコパノラマラインでも、白く広がるそば畑が見ることができます。

皆さんが子供のころはそば畑はありましたか?農業のことはよく分かりませんが、地場で収穫されたものが、地場のお店で食べることができればいいですよね。おっと、おそばと言えば、「にしんそば」一八の身欠にしんでにしんそばを作ってみませんか?

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岩高への三叉路工事中

岩内町の高台にある協会病院から岩内高校へ行く途中の三叉路の工事が行われています。正確にいえば、信号手前の橋の架け替え工事のようです。

写真を見ていただいて、場所がお分かりになるでしょうか?岩内岳が雲で隠れてしまっているので、ピンとこないかもしれません。本来なら側溝にそってまっすぐなのですが、現在は左へ迂回路になっています。

この橋のすぐ後が三叉路の信号。岩高に自転車で通っていた時は、坂を飛ばして下りてくるも信号で赤だったらがっかり。遅刻ギリギリの時はさっさと青になれと何度念じたものか。

この道を右に曲がると岩高。左に曲がるとニセコパノラマラインへと続きます。その道が今後拡幅工事を予定しているようです。夏に岩内町に帰省されるみなさんは、ぜひこの工事現場をご覧ください。来年には大きく変わっているかもしれません。

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お隣、共和町の畑もいい風景

岩内町と隣接する共和町。弊社からも数百メートル東に移動するとすぐに共和町のエリアになるほど、隣接しています。その共和町は広い面積にたくさんの畑や水田を有しています。

それらを見ると、作物や稲がどんどん成長しているのがわかります。写真は西陵小学校付近の梨野舞納(リヤムナイ)地区の丘陵地帯にある麦畑。この真後ろはニセコ連峰を背景にした緑の畑が広がっています。

岩内に住んでいる方で、この風景を見たことのない方は結構いると思います。ここの他にもたくさんの写真に収めたいと思うような風景がいっぱい共和町にはあります。ただ、ちよっと残念なのは、写真にもうっすらと写っているように、送電線が見えてしまうのです。

美瑛、富良野の丘陵風景は有名ですが、この岩宇地方にも知られざるきれいな風景がたくさんあります。カメラ片手にそんな風景をゆっくり探してみるのはいかがでしょう?もちろん一八商品をお土産にすることを忘れないでくださいね。

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岩内町オートキャンプ場「マリンビュー」

6月もいよいよ後二日間。一年の折り返し点にきました。もう?早いねぇ~、なんて言葉は年を重ねるごとにその実感がわきます。夏本番になろうとしていますが、皆さまはこの夏をどのように計画されていますか?

岩内岳のふもとには、マリンビューというオートキャンプ場があります。オートキャンプ場と言っても、キャンプカーを持ってなくても問題なし。きれいな貸別荘のようなコテージもありますので、利用方法は様々。岩内岳の登山口でもあるし、キャンプ場のすぐ下は温泉が点在。

利用された方の評判を聞くと、良かったという声が多いです。キャンプ場のすぐ下の道をランニングしていると、プワーンとバーベキューのにおいが漂ってきます。走りながら、どこかの家族がお父さんを中心に焼いている光景を想像してしまいます。

写真は円山展望台の駐車場からキャンプ場を撮ったもの。小さくわかりにくいかもしれませんが、敷地はかなり広いです。岩内にお泊りの場合は、ホテルだけでなく、ここを上手に利用するのも一つの手だと思います。浮いたお金で一八の商品をお土産に・・・ねっ。

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昭和40年代の雷電海岸の観光パンフレット

事務所の2階をたまに整理していると、昔のチラシやパンフレットが出てきて、しばし見入ってしまうことがあります。今日は、その中で雷電海岸の観光パンフレットの写真を紹介します。

そのパンフレットには、発行された年が書かれていないので、昭和何年かはっきりしません。ただ、この様子は昭和40年前半かなという想像がつきます。

ホテル雷電から海に降りたところに、なんと海の家があったんですね。さらには「雷電ボート」と書かれてある小屋も。きっと、小さな船を貸して商売をしていたのでしょう。

それにしてもすごい賑わい。たくさんの人。人がいるから、いろんな商売が生まれる。ということですね。今はホテル雷電も閉鎖され、寂しくなっていますが、こんな時代もあったのだと思いながら、雷電海岸、刀掛岩をゆっくり見に来てはいかがでしょう?

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運動会の思い出

2015年6月7日の日曜日、岩内町の二つの小学校で運動会が行われました。どこの運動会も年々児童数が減って、寂しいと親たちは感じていることでしょうね。

ちょっと昔の運動会を思い出してみましょう。当日運動靴ではなく呉服店で「足袋(たび)」を買って運動会に臨んだものです。足が速くなるようにと、馬車が残した糞を踏めば速くなると言ったのは私の母の時代。

見たことはありませんが、前日の場所取りではあちこちで喧嘩があったり。マスゲームがありましたが、今の時代はたら丸音頭という踊りに変わっているようです。

一日が終わると、肌が真っ赤に。いい大人たちは日焼けなのか酔って赤いのかわからない人がいっぱい。おまつりに来るような露天商も数軒営業していました。

どうですか?ここまで書くと、読んでいるみなさんは、もっともっとたくさんの思い出がでてきそうですね。昔に比べると規模が小さくなったけど、今の子供たちは今しか知りません。子供たちの元気あふれる姿がなくならないよう、岩内町、もっと元気を出さないとね。

写真は運動会前日の岩内東小学校グラウンドの風景です。テントの柱と子供たちの椅子が並べられていました。

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新見峠冬期閉鎖解除2015年

岩内町とニセコ町を結ぶニセコパノラマラインは2015年5月の大型連休前に冬期閉鎖解除となり、観光客の流れが岩内町にも早めにやってきました。

もう一本、神仙沼の手前から新見峠というところを越えて蘭越町に抜ける道は、冬期閉鎖も5月29日にようやく解除開通となりました。これにより、ニセコの登山を楽しまれる方は、新見峠の駐車場に車を停め、目国内(めくんない)岳から岩内岳。また、白樺、シャクナゲ経由の神仙沼などといったコースを楽しむことができます。

ただ、道路は舗装はしてありますが、道幅が車一台が通れるほど。曲がりくねった道の連続ですから、対向車に注意しながらの運転を。

先日の岩内岳の山開きでは、過去最高の60人の参加となったようです。手軽に山を楽しむことができるのも、このニセコ山系ならではのこと。岩内に来て、おいしいものを食べて、一八の商品をお土産に。よろしくお願いします。

写真は2013年7月の白樺岳から見た目国内岳です。日本海に雲海が広がった日でした。

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岩内町郷土館「新HPふるさと写真集」のご案内

岩内町郷土館がこのたび新しいホームページを作りましたので、御案内します。その名は「岩内町ふるさと写真集」。たくさんの寄贈された岩内町の写真を整理し、年代別にまとめた作りになっています。

岩内で生まれ育った方にとっては、懐かしい風景が広がりしばし見入ってしまうことでしょう。それぞれの立場で、いろいろな思い出も舞い戻ってくること間違いなし。写真は定期的に入れ替えられるそうですので、お気に入り登録ですね。

さて、岩内町郷土館のホームページ内にあるブログの一枚の写真に注目。こちらのページの写真をクリックしてみてください。私のブログの写真とは違い、写真が拡大します。昔の駅前の写真です。なんと、駅前の塔の看板には「一八興業水産株式会社」と書かれてあるではありませんか。先日の5月15日のブログで紹介した写真とほぼ同年代のようです。

今の岩内町の風景も数十年後には、このようなページで紹介されることがあるのかな?人口減が続く現在、10年後の街がどうなっているかも不安ですが、それらを作っているのは、今の岩内に住む私たち。人間らしい表情の写真が一枚でも残るよう、一日一日を一生懸命に生きましょう。

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だれもいない旧岩内町役場庁舎

平成27年5月7日から岩内町役場新庁舎での業務が開始されました。すでに一週間以上経過し、さっそく新庁舎に行かれた方もいると思いますが、いかがでしょうか?

新しいものができるときには、必ず古いものがなくなります。旧庁舎は柵で囲まれて建物周辺に人の出入りができないようになっています。窓から見える建物内部はすっからかん。

こうしてみるとちょっと寂しい風景です。建物そのものが歴史的な価値があれば別でしょうが、特に価値のある建築物でもなく、いつ壊れてもおかしくない状態ですから、しょうがないでしょう。

建物には関係のないお話ですが、新庁舎になって大きく変化したことがあります。電話が直通電話番号ができたこと。今までは、代表の62-1011にかけて各課に回してもらっていたのですが、これで煩わしさが少し解消されました。

旧庁舎はそのうち取り壊される予定になっていますので、岩内から離れている皆様は、早めに見おさめ、写真撮影にお越しください。

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