カテゴリー別アーカイブ: 日常のこと

今年も落葉きのこをいただきました

 毎年、ご近所のK奥さまが届けてくれる、落葉きのこ。小さな頃から落葉きのこ取りをしていて、今では名人の域に達しているようです。

 「小ぶりなんだけど・・」と言われていましたが、私には小ぶりでも何でもとてもうれしい瞬間です。ちょっと二日酔い気味なので、大根おろしでお味噌汁をいただきたいです。

 私の妻は東京出身で、こちらに来た当初は、このようにキノコや竹の子などの山菜をいただいても、どう料理していいのか分からないと戸惑っていました。今でもあまり得意ではないにせよ、なんとか料理してくれるようになりました。

 山から海からも、自然の恵みというのは、当たり前のようですが、ありがたいと感じます。旬ですね。季節はそろそろ漬けものの時期ですが、漬けもの用の身欠にしんのお問い合わせもお待ちしております。

昭和49年の時刻表

 弊社の事務所2階から、また面白いものを発見。昭和49年の汽車とバスの時刻表です。1974年、今から37年前のものです。

 文字が小さくてわかりにくいと思います。今と違う点をご説明いたしましょう。

  1. 真中には、汽車の時刻表。もちろん岩内線は廃止になっています。
  2. 神恵内線は終点が赤石になっています。当時、赤石から川白、神威岬方面は道路が開通していませんでした。
  3. 広告には、宴会場を経営していた、ホテルうきよの広告があります。残念ながら今はありません。
  4. 大曲、発足局のバスは、現在神恵内方面のバスと統一され、発車時間によって、発足経由のものと、そうでないバスがあります。
  5. 円山温泉方面のバスが、当時はありませんでした。
  6. 電話番号の局番が62ではなく、1ケタの⑥です。

 他にも細かく言えばたくさんあるでしょう。探してみてください。なんと言っても、汽車の時刻表ですよね。右側が発車時刻で左が到着時刻です。赤文字になっているのは、「急行らいでん」で、そのまま札幌行きとなります。

 岩内に関係のない人にとっては、どうでもいいことかもしれませんが、岩内で育った人ならば、「懐かしい」と思うことでしょう。

  

岩内町の不動産取引

 岩内町には、不動産屋さんがありません。ですから、転勤で岩内に来た場合は、不動産屋さんでアパートを探すなんてことはできないのです。

 では、みなさんどのようにしているのでしょう?ほとんどが口コミなど、知人や会社からの情報をもとに探されているようです。私は岩内で探した事はないので、これ以上の事は申し上げられません。

 昔の岩内の土地は、かなり高いものでした。人口密度日本一になった事のある街ですからね。しかし、最近の土地取引の価格は、かなり値下がりしているのが現状です。

 弊社も土地はいくつか所有しております。先代が土地に執着した人だったので、誰かが売りたいと言えば、買っていたという時代もあったようです。ということで、岩内で土地をお探しの方がいらっしゃいましたら、一声おかけください。

アレルギー症状と煙?

 私は子供の頃から季節の変わり目にアレルギー症状が出ます。くしゃみ、鼻水です。今は秋の部の最中で、目や耳までかゆくなります。ただ、最近は症状が軽くなっています。

 その理由は、アレルギー症状が出る前に、耳鼻科に行き、薬を処方してもらうこと。なるべく寝不足にならないように心がける事。が軽くなった要因かもしれません。あと一つ、漂っているタバコの煙を吸う環境が少なくなったことがあげられます。

 タバコの煙がアレルギーに関係するのか?と思うでしょう。直接の原因でなくとも、ダンプカーの排気ガス、今はなくなりましたが、スパイクタイヤ時代の粉塵なども、私にとっては、くしゃみ、鼻水の誘因物質でした。

 もちろん私はタバコは吸ったことがなく、煙が漂って来ると、辛い状態になります。愛煙家の皆さまには申し訳ないのですが、私と同じようなアレルギー患者もいることは知っておいてください。喫煙者を責めるつもりで書いたわけではないので、誤解なさらぬよう。

 写真は、旧線路跡地雑草(たぶん、ヨモギ)です。私の体は、秋の季節はヨモギに反応します。

夏休みの登山

 毎年家族で、北海道の山を登っているのですが、今年はトムラウシを予定していました。しかし、15日、16日と天候に恵まれず、登らずしての帰宅となりました。まぁ、こんな年もあることでしょう。

 昨年は、羅臼、一昨年は利尻、と子供の成長に合わせて道内のいろんな山を、お盆のお休みに登ってきました。ただ、子供はだんだんと強くなりますが、妻は少しずつ弱くなってくるので、今のうちにトムラウシに行ったほうがいいかなという判断でした。

 東京在住の学生時代、私は本州の山をあちこちと登っていました。夜行電車とテント泊だけです。私が持っている山用の装備なんて、今の進化した装備からすると、化石のようなものかもしれません。

 写真のように、登山口は雨の水がどんどん流れてきます。天気の回復も見込めなかったので、あっさりとあきらめました。でも、東大雪荘に宿泊していた本州から来られた登山客は、午前4時、ザーザー降ってる雨を玄関から見ながら、恨めしそうにしていました。せっかく遠くから来たのだからという気持ちもわかりますがね。

石橋商店のメロン・スイカ

 お盆に備えて、弊社のご近所にある果物専門店、石橋商店の店頭には、山のように、メロン、スイカの箱が積まれています。

 その数はかなりスゴイですよ。夏休みで帰省した方、旅の途中にこのお店に立ち寄り、地方発送を依頼する人は多いです。おじさん一人で切り盛りしていて、この時期、トイレに行く暇はあるんだろうかと心配してしまいます。

 種類はもちろん、地元の「らいでんメロン」「らいでんスイカ」で、味のほうは間違いございません。赤身と青身があります。北のお魚大使である私が、農産物を評するのは抵抗がありますが、これだけの数を見れば、脱帽です。

 今はらいでんメロンをお買いもとめになられても、いたし方ありません。冷蔵庫に少し空間ができましたら、後日17日から弊社も営業しておりますので、ご注文をよろしくお願いいたします。

倉島牛乳の思い出

 岩内高校の裏には、倉島乳業という会社があります。岩内の人間にとっては、「倉島牛乳」と言って知らない人はまずいないでしょう。平成になってから、仁木町に工場を新設して、製造の拠点は移されたように思えます。

 45年ほど前のお話です。幼稚園児だった私は、週に2回ほどある給食のとき、倉島牛乳が配られるのを待っていました。白牛乳のほか、フルーツ牛乳、コーヒー牛乳を選ぶことができます。私は白牛乳を当時飲めませんでした。でも、配られたのは白牛乳でした。「のめない~」とメソメソと泣いていた私に、フルーツ牛乳を差し出し、「いいよ、かえてあげる」と言った女の子がいました。

 そうしてくれた女性が、倉島乳業のご家族の一人でした。先日、その方が弊社の商品を買いにたずねて来てくれました。高校卒業以来の再会でした。お互い、おばさん、おじさんになってしまいましたが、その話をすると、もちろん彼女は覚えていません。

 人に親切にしてもらった事って、結構覚えているものですよね。このお話は、今も私は覚えているのですから、たぶん死ぬまで覚えていることでしょう。やさしくしてもらった事がこうして心に残るのはいいですね。ということで、岩内の温泉から上がったら、倉島牛乳を飲みましょう。

岩内第一中学校野球部が全国大会初出場

 先日の北海道新聞に岩内第一中学校の野球部が、全国へ出場することになったと書いてありました。すごいですね。たった部員16人なのに、全道大会に出てくる学校は、部員50人以上の大所帯。そんな相手と戦って、全国ですよ。

 私も第一中学校(通称:いっちゅう)出身者です。見ていると、子供たちも指導者も親御さんも皆さんが小学校のときからいろんな形で応援していて、その結果がこのようになったと思います。素晴らしいですね。

 私のランニングコースは、最後に一中の前を通ります。真っ暗の中、たまに野球部の子供たちが練習を終えて重い野球道具を背負いながら歩いているところを通り過ぎます。そのとき、彼らは大きな声で「こんばんわ!」と言ってくれます。疲れているのに、その立派な挨拶は素晴らしいといつも感心しています。

 17日から和歌山での全国大会。思いっきり野球をしてきてほしいと思います。もちろん結果はいい方がいいに決まっていますが、委縮しないで頑張ってきてほしいと願っています。これを読んだ和歌山の皆さま、岩内第一中学校を、応援に行くことができない私たちに代わって、応援してあげてください。

第92回岩高祭

 岩高(がんこう)と言って、何を想像しますか?私たちは、すぐに岩内高校と言えるのですが、北海道でいえば、岩見沢の高校と思われるかもしれませんね。

 7月23日、24日と岩高祭がありました。今年は25年ぶりに山車パレードが有りました。私が岩高生だったときは、山車ではなく、仮装パレードだったと思います。ネス湖のネッシーを作った記憶がありますね。パレードは3年に一度でしたので、1年生のときにやった一度だけでした。

 このブログをご覧になっている、岩高卒業生のみなさんは、何を作ったか記憶に有りますか?青春の一ページですよね。ふと思い出したのですが、33年前かな?岩高祭や体育祭、雪中大会などで、優勝すると、「かりんとう」が一斗缶でもらえた記憶があります。ですから、クラスの目標も、~でかりんとう!なんて叫んでいたような。

 どこにいても、若者が元気があるといいですよね。どんどん若者が少なくなって、岩内から出ていっています。私たち雇用主が若者を雇用してあげられないことも、岩内から出ていく理由の一つでしょう。私も頑張るから、岩高生、元気よく生きていこう!

風力発電の羽の移動

 大浜海水浴場を埋め立ててできた岩内臨海工業団地とフェリー埠頭。今は片手だけの数の企業と絶好の釣り場となっています。

 岩内の港は漁獲の数量と反比例するように、港は大きくなっていきました。新潟県の上越市と結ばれていたフェリーも撤退し、フェリーターミナルも取り壊されました。

 そんなフェリー埠頭に、ご覧の大きな風力発電の羽があります。今週から来週にかけて、設置場所である寿都町にこの羽の移動を夜中にするらしく、部分的に通行止めになるとのこと。写真ではこの大きさの迫力はでませんが、実物はすごいですよ。

 海岸線を約30kほどの移動を、カーブなどで内輪差を計算しながら進むのでしょうね。岩内には風力発電はできないのか?冬の吹雪の日はすごい風ですが、夏場は採算ベースの風は吹かないとだれかが言っておられたような。