カテゴリー別アーカイブ: 日常のこと

中小企業家同友会訪問団

 中小企業家同友会小樽支部水産部会の方々が、来訪されました。恥ずかしながら弊社の工場見学、岩内町の海洋深層水の取水施設見学など。参加されたメンバーは、同業者の方もいれば、機械屋さんもいます。皆さん、精力的にいろんな部分を見ていらっしゃいました。さすが、経営者の視点です。

 夜は岩内高原ホテルで会食に誘われまして、仕事の話からプライベートなお話まで、楽しい時間を過させていただきました。俗に言う、異業種交流会ではないですが、違った商売をしている方とお話をしていると、灯台元暗しで、なるほどと思うことしばし。皆さん、その筋では立派な経営者なので、言葉の重みが違います。

 それにしても、還暦を過ぎるかどうかの年齢の方達が、商売に対し前向きに取り組んでいる姿は見習わなければなりません。

 岩内高原ホテル。夜景がきれいに見えますよ。温泉も落着いていていい雰囲気です。併設の荒井美術記念館は、美術好きの方には、よだれが出るような展示品があります。私は美術オンチなので、そのすばらしさを表現できません。ごめんなさい。

羅臼岳登山

 お盆の夏休みは皆さま、どのようにお過ごしになったでしょう?

 私は毎年家族で北海道の山を登っているのですが、今年は知床の羅臼岳に登りました。登ったことのある方ならばご存じでしょうが、岩尾別ルートの往復。天気が心配でしたが、曇りのままで終わりました。高層雲と低層雲に挟まれて、上下雲でしたが、視界は良好。写真の通り、知床連山が見渡すことができました。(山頂から硫黄山方面)

 私が東京での学生時代に山を登っていたこともあり、子供たちの成長に合わせ、レベルを少しずつ上げて行き、昨年は利尻山に登頂。子供が小さな頃はおんぶ、だっこで登っていましたが、今ではお母さんのレベルに合わせるところまでになりました。あと数年もすれば、私が「待ってくれ~」と言うことになるでしょうか。まぁ、その時は、もう子供は一緒に登らないと言うことでしょう。

 知床には世界遺産に登録する前に何度か行ってますが、ずいぶん変化しました。一番びっくりしたのはシカがやたらと増えたこと。あれでは、農作物の被害が出るのもうなづけます。山と海は繋がっています。山の自然と海の自然。動物や魚の食物連鎖も人間の都合で手を入れすぎると、どこかにしわ寄せが来るということです。この手のお話は、現地に行ってみなさんの目で確かめられるといいと思います。

お墓参り

 13日、ほとんどの会社が夏休みとなり、お墓参りに行く人でにぎわいます。我が家は午前中にお参りを済ませました。

 岩内では、心配されていた台風上陸もなく、大雨の予報もこのように晴天で、日中どんどん気温が上がって行きました。夕方、気温が下がると、人の出はもっと多くなります。

 この日、忙しいのはお坊さんだけではありません。カラスも人の行動を観察して、お供え物をスキあらばと狙っています。みなさん、お参りがすんだら、供物は持ち帰りましょう。

 日中、街に出るといつもよりも車が多い。特に飲食店の近くにはたくさんの縦列駐車。岩内から出て都会に働いている人たちが、戻ってきているのでしょう。暑いけれど、天気になってよかったですね。しばしの夏休み。事故怪我がなく平和に過ごせますように。

 

防災無線

 防災無線って、皆さんの家にはついていますか? いつもは、ゴミの収集に関すること、休日当番医のこと等をアナウンスしています。岩内町の各世帯、事業所に設置してから10年以上経過しています。

 先日の集中豪雨で通行止め、断水の時などは、この無線から頻繁に情報が出ていました。この情報の流し方って難しいですよね。余計なことを言ってかえって混乱させる恐れもあるし、何度も同じことを言われると、しつこいと思ってしまう。

 まぁ、防災無線というのだから、本来は防災の目的だけに使うのが筋なのでしょうが、せっかくあるのだから、違う情報も流した方がいいという意見もあります。昔はしゃべり方が気取って聞きにくいとか、最初の音楽がうるさいとか、よく耳にしました。うるさいからと切ってしまえば、意味がないし。 

 今回の集中豪雨のアナウンスについては、一昔前にあった地震のときに比べれば、情報の出し方は進歩したと思います。経験を通じて進歩していく。経験を生かす仕組みを上手に作っていくことが大切ですね。私にも同じことが言えます。

大雨と断水を振り返って

 先週の断水を体験して、不思議に思ったことがあります。水道事業に詳しくない私の意見ですので、反論などあれば、教えてください。

 岩内町の大浜と東山は隣の共和町と隣接しています。東山は道路を1本挟んで、大浜はどこが境界線なのかわからないのです。住民の生活圏はほぼ同じと言っていいでしょう。

 それなのに、今回の断水は、岩内町に在住する人は断水。すぐ隣の共和町の方は断水にならないといった状態でした。自治の方法が違う、水源が違うなどのことも当然あるでしょうが、このような災害があるときに、お互い融通しあうなどのことは出来ないのでしょうか?

 水道管をつなげておいて、普段は閉じたままでいいけど、何かあったら開けて助け合うといったことが出来るといいと思うのは、私だけでしょうかね。

 今回の災害で役場の皆さんも一生懸命動いてくれたようです。寝不足の状態で対処してくれた方もたくさんいらっしゃるでしょう。お疲れ様でした。この程度で終ったことをありがたく思います。せっかくの機会ですから、次回の災害のためにいろんなことを反省し、何時の日かまたやって来る災害に備えましょう。「備えあれば憂いなし」

7月31日北海道新聞 後志版

断水後の濁り水

 31日朝、ようやく水道が復旧しました。しかし、水質がにごっています。役場の話では、水道管の錆などが出てくるためと言っていました。お昼頃までは貯水池に水が溜まるまで、出しっぱなしにしないで下さいと。お昼を過ぎたら出しっぱなしにして、透明になるのを待って使ってくださいと。

 指示されたように、水道水は今日も使わずに仕事をしました。私達の仕事は、言うなれば「水商売」のため、水がなくてはならないのです。しかし、使えない水では話にならず、水質にもとても気を使います。にごった水道水にもしも錆が入っていたら、鉄分が多いということ。鉄分が多い水で数の子を処理してしまったら、渇変(かっぺん)と呼ばれる変色が起きてしまいます。お正月用の黄色い色がオレンジ色になってしまいます。

 そんなわけで、今日は常に水質検査をしながら仕事を進めました。次亜塩素や鉄分の残留検査などは試薬を使って出来ますが、一番の検査器具は私の舌です。いわゆる「ベロメーター」。水産関係の仕事の方なら、水温も手を突っ込んだだけで温度を言い当てることが出来る人はいると思います。

 夕方の防災無線では、まだ白くにごって見えるのは、空気が混じっているためで、しばらくすると透明になりますと。これにて、一応断水は落着きましたが、やはりあって当然のものがなくなると、改めてその当然があることの幸せを痛感しますね。私達の健康も同じですよね。

岩内町 断水

 29日の大雨で、町水道の取水口の設備に不具合が出て、29日の5時から断水の連絡。しかし、全ての地域が水が出なくなったわけではなく、水圧が低くなったとは言え、使える世帯のほうが多かったと思います。朝、従業員に尋ねると、完全に断水したのは、比較的高い場所に位置している家の人と、貯水利用の町営アパートの人でした。

 30日の朝礼では次のように従業員に言いました。水道は使えますが、工場で使うことによって周辺の世帯に迷惑がかかるかもしれません。ですから、仕事で使う水は一部を除いて全て地下水と深層水で対応してくださいと。

 役場からの情報によりますと、予想以上に取水口の被害があったようで、当初、29日中には回復見込みの発表も、30日朝には、昼頃までに変わり、30日5時には、全ての町内で断水になってしまったようです。

 自衛隊の応援で、町内の数箇所で給水をしてくれていました。写真は、たら丸市場の駐車場です。ここは比較的人が少なく、すぐに水がもらえる状態ですが、役場裏駐車場では、かなり混雑していたという情報もありました。

 30日夜の防災無線の情報では、31日朝には水道も回復する見込みのようです。

 8月1日に予定していた「深層水まつり」ですが、中止となりました。このブログでも予告をしましたが、ごめんなさい。理由は、町の職員が給水作業の手伝いその他で走り回り、深層水祭りの準備どころではなくなってしまったとのことです。楽しみにしていた皆さんには、本当に申し訳ございません。延期ではなく、中止ということですので、お間違いないよう。

大雨警報

 29日朝、天気予報では大雨警報。大雨注意報ならよく出たりしますが、さすがに「大雨警報」というのは、私の記憶する限り初めてです。

 写真は、一八の前の雨の様子です。南側から傾斜があり、その雨水が流れてきて、歩道と車道の段差がなくなりそうな状態でした。町内を流れる運上屋川も神社付近で川から水があふれ出て、避難するようにと防災無線では言ってました。

 岩内町で「暴風雪波浪警報」というのは、ひと冬の間に何度か出るのですが、雨でこれだけの状態になったのは初めてです。雷電方面も通行止め。新見温泉への道も通行止め。夕方になって、パノラマラインも通行止め。

 さらに夕方5時から、取水口が土砂で埋まって飲み水が作れなくなり、「断水」になりました。全国各地で雨の被害があったのを、今までニュースだけで見ていましたが、実際にこの街でそれが起きるとは想像していませんでした。

 災害は忘れたころにやってくる。水害、火災。「備えあれば憂いなし」という言葉、中学校時代に教室に張ってあったのを思い出しました。

すなっく 綸

 先日、会合がありまして、ちょっと飲みました。2次会には数名でスナックに行きました。

 岩内町は、小樽の飲み屋さんよりも多くのスナックなどがあります。漁師街で、飲むのが好きな岩内気質の為でしょうか。東西約2キロにわたって国道と駅前通りにはさまれた細い道の両側に所狭しと続く飲み屋街。しかし、ご他聞にもれず、景気の悪さから閉店する店が年々増え、ネオンが消えたお店が多くなってしまいました。

 すすきのキャバクラみたい若いおねーちゃんがいる店は残念ながら・・ない?と思います。でも、ばっちり「変身」したそれなりのおばちゃん(訂正:おねーさん)はいらっしゃいます。岩内弁の軽妙なトークをお楽しみいただけるには、お勧めのお店。すなっく綸(りん)。

 一八の専務のブログを見たと言っていただけると、4名様以上3,000円。女性ドリンク込。の特別プランでOKとのことです。安心して楽しんでいただけると思います。私は一年で片手で数える程度しか行かないのですが、お店の皆さんにはよくしていただいています。

 「岩内に出張の際にちょっと立ち寄っていただけるとありがたいです」とお店のママ。写真は携帯カメラでわざとはっきりしない撮り方をしました。(ホントかね?) お店のカウンターにある岩内の夜景がママのこだわりです。 0135-63-2088

たら丸の看板

 近年、ゆるキャラブームで一躍脚光を浴びた、「たら丸君」。この発案者は呉服店を営んでいた、今井さんという方。残念ながら今年の春に亡くなられました。今でこそゆるキャラというカテゴリーがあるので、たら丸君は人気者になりましたが、人気低迷期も実はありました。気持ち悪い、変だ、イメージが悪いなどなどでいつしか敬遠され。でも、TVチャンピオンのゆるきゃら選手権で2年連続準優勝という快挙。一気に全国区の人気者になりました。

 この看板は、そんな人気低迷期に作られたものです。岩内海産商協同組合の青年部がこの看板を作った時は、15名ほどの在籍がありました。17年くらい前の話です。私たち加工屋の作る代表的産品を3つアピールしようと、仕事が終わってから集まり、材料を買ってきて、トタンを張って、自分たちで絵を書いて作りました。文字はカッティングシートを使いました。数日かかって完成。今は色あせてしまいましたが、当時は立派なものでした。

 この看板に色塗りをしたとき、今井さんがわざわざ駆けつけて来て、たら丸の色の配合をしてくれたのを今でも覚えています。途中から制作ではなく、缶ビールの空き缶がどんどん増え、いつしか宴会状態に。そんな青年部の時代もあったなぁ~。残念ながら私は数年前に青年部を引退。今の青年部の所属はたったの6人ですが、若い人たちにはがんばってほしいですね。

 さて、この看板、岩内のどこにあるか御存知でしょうか。即答できる方は、たら丸マイスター(そんなのないです)ですね。わからない方は、今度岩内にこられたら、ゆっくり探してみるというのはいかがでしょう。