岩内町から小樽方面に車を走らせると、共和町の東陽小学校の西側に陸橋があります。下には何もなし。でも、国鉄岩内線が存在していた時は、そこを汽車が走っていました。
岩内線が廃止になってもこの陸橋はそのまま存在していました。両方が下ってすぐにカーブのために、冬場の運転で怖い思いをした人もいるのではないでしょうか。
昨年から工事が始まり、今は北側に迂回路が作られています。陸橋の取り壊しも先週から行われているようです。昔はこの真冬に土木工事をするなんてなかった、と思うのは私の記憶違いでしょうか?いろいろな技術と道具の進歩がそれらを可能にしたのでしょう。
もうあの陸橋の上から見える田んぼの風景は見えなくなってしまいます。でも、今度はまた違った風景がそこに現れます。それが歴史というものなのでしょう。