カテゴリー別アーカイブ: 日常のこと

岩内高校書道部が新庁舎の題字を作成中

先日の北海道新聞後志版に、岩内高校の書道部の3年生5人が、役場新庁舎の館名板の文字を任されたという記事が載っていました。心を込め揮毫(きごう)という表現をしていました。

その「揮毫」という言葉も恥ずかしながら、私は初めて知った言葉です。「岩内町役場」という5文字を3年の部員5名が1文字ずつ担当するらしいです。

誰のアイディアかわかりませんが、若者にこういった大役を任せるのはいいですね。本人たちにとっても自身の書いた文字が役場に掲げられて、大人になっても見ることができるのですから、岩内町への思いも別格のものになると思います。

このように、書道に限らず若者たちの活躍の場を、どんどん作ってあげてほしいです。失敗したって、それは若者の特権。チャンスを与えることが大切です。がんばれ、岩高生!

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2014年岩内町民ロードレースについて

2014年10月13日体育の日に行われた、岩内町民ロードレース。ランニングをする立場として、少し私の考えを述べさせていただきます。

昨今のランニングブームでマラソン大会はどの大会も参加者が増える一方です。ですが、この岩内町のロードレースを見ると、一般参加者は少人数の横ばい、子供たちに至っては絶対数の減少からどんどん減っています。なぜでしょう?大会の魅力がないからでしょうね。

人口が減っているにもかかわらず、同じ運営方法では参加者が減って当たり前。参加者が多くなれば、観客も多くなって、にぎやかになります。観客が多いと、走る側も張り切ります。

ではどうすればよいか?たとえば、男女別学年別の走りをやめて、距離別にしたり、親子マラソンの部門を設けたり。一般の部での表彰では、もらっても引き出しの中に直行するメダルなどよりも、特産品に切り替える。抽選会などで順位に関係なく楽しめるなど。

私が望むのは、大会が終わって、どの人も笑顔で帰る大会であってほしいです。特に子供たちには、出さされるのではなく、大会そのものを楽しみにしてほしいです。どうか関係者のみなさん、変えることを恐れず、面倒くさがらずに、ご一考願います。

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東京元浅草に積丹食堂オープン

近年、御当地居酒屋が都会にたくさんできています。八雲町や厚岸町が日本橋にお店を構えたりしているのは有名です。いずれも、役場公認などという看板を出しています。

岩内町にある「いわない高原ホテル」の経営者が、東京の元浅草に「積丹食堂」というお店を10月6日(月)にオープンさせました。10月4日の北海道新聞経済面にそのオープンする前の記事が載りました。積丹半島を中心とした食材が取りそろえられているようです。

言っていいのか分かりませんが、弊社の「鰊切込隊長」をどこかで使っていただけるようです。私も行ってみたいのは山々ですが、さすがに東京ということであれば、今スグにというわけにもいきません。これをご覧になっている東京在住の皆さま、ぜひ行って食べて、感想をお聞かせください。そして、繁盛してもらって、ゆくゆくは山手線の中で店舗を持っていただけるよう、応援してください。

情報収集のアンテナショップはよくありますが、これからは積極的に地方の情報発信のお店ですね。北海道は特に食材には豊富かつ品質で優位なものがたくさんあるのですから、こういったお店が増えて、今度はその場所に行ってみようということになると、いいですね。とりあえず、積丹食堂に「かんぱーい!」

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岩内町大火から60年の今日

60年前の1954年(昭和29年)、岩内町の8割が焼失した大火から60年が経過しました。町では特別に何かの催しをするということもないようですが、忘れてはいけない日であることは確かです。

このブログを読まれている方の中には、実際に大火を経験し、命からがら逃げたという方もいらっしゃると思います。また鎮火した後のすべてを失った状態から、よくぞ復興したものだと岩内町を復興してくれた先人達に敬意を払います。

この大火がどれほどのものだったかは、岩内町郷土館に行くと、現在「岩内町大火の企画展」を行っていますので、ぜひ足をお運びになってください。

「災害は忘れたころにやって来る」決して忘れてはいけない言葉です。ついつい慣れという言葉に流されてしまいがちですが、普段から火災だけでなく、交通事故、健康にも注意を払って過ごしましょう。

写真は、今月の「広報いわない」の2ページ目を使わせていただきました。

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岩内の焼き肉店「千成」さんが今年いっぱいで閉店

先日の北海道新聞後志版に、岩内町の焼き肉店「千成」(せんなり)さんが、今年いっぱいで閉店するという記事が出ていました。

最近はこのような高度経済成長時代に繁盛したお店が、ひとつまたひとつと閉店されていくことが多くなりました。お店を切り盛りしている方の高齢化がその要因です。

千成さんの隣には、「平和園」さんという焼き肉店もありましたが、こちらも数年前に閉店しています。私が子供のころは、今の清寿司本店さんの場所にその2軒が並んでいて、もくもくと焼き肉の煙が店から出ていたことが思い出されます。

私にとってもひらふでナイタースキーの後、千成さんを何度か利用させてもらっていたので残念です。おかみさんが70才を越えたアベ事務器の店主にいつも「阿部さんいくつになった?元気だねぇ~」という話題から始まります。

岩内から離れた方で、昔千成さんで食べたことがある方は、ぜひ帰省されましたら千成さんへ足をお運びください。

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2014年の夏休みは南暑寒岳へ

一週間前の8月17日、雨竜町の南暑寒岳(1,296m)に登ってきました。毎年家族で北海道の山を登っていますが、今年は工場の休憩室のリフォームが長引き、行けないのでは?と思いました。

工事は16日午前で終了。そこであまりアプローチに時間がかからない山を考えたところ、南暑寒岳となりました。4時45分の日の出とともに歩き始め、有名な雨竜沼湿原へ。写真は湿原の池塘(ちとう)が鏡のようになって、南暑寒岳(左)と暑寒別岳(右)を映していました。

登山道にはクマのウンチや掘り返し後がたくさん。クマと思わねばなんとも感じませんが、やはり掘り返しをしている姿を想像すると、ちょっと怖いですよね。天候はご覧のようにばっちりでした。昨年は雨のニペソツでしたので、青空がとてもまぶしく見えました。

山頂からの暑寒別岳、群別岳、黄金山などばっちりの風景を喜んで見ているのは私だけ。息子たちはさっさと帰りたいという雰囲気。「暑寒別岳まで行きたいなぁ~」というと、「父さん一人で行ってくれば~」と言い返されます。まぁ、付き合って登ってくれるだけよしとしましょう。

ある程度の混雑を覚悟していたものの、往路では誰にも会うことなく、湿原テラスは貸し切り状態。山頂で一人だけ先客。復路はそこそこの人に会いましたが、数えることができる人数。復路での池塘は風で水面が波立っていて、鏡にはなっていませんでした。やはり、早起きして登ったのは正解でした。

さて、来年はどこに行けるでしょうか?息子たちは付き合うでしょうか?

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フリー雑誌「ゼロワン」の紹介

インターネットが普及するのと反比例し、雑誌が売れなくなったお話はよく聞きますね。最近は、0円というフリー雑誌の登場もあちこちで目にします。今日は、北海道のフリー雑誌「JP-01」のご紹介を。

ご紹介と言っても、私はよく知っているわけではなく、先日たまたま目にして読むと、これってホントに0円なの?と思えるほど内容が充実していて、かつきれいな写真もふんだんに使われていました。

置いてある場所は、道内の道の駅、高速道路SA・PA、主な観光案内所、銀行などとのこと。北海道のいろいろな情報が掲載されていて、季刊誌。今回はvol.4夏。私たち後志の特集となっていて、岩内のサンサンの湯もP40の右上にイラスト掲載されています(写真)。

広告が少ないので読みやすく、それでいて観光客としての視点でもOK。思い余って編集部に電話をしてみました。私のほめ言葉に喜んでもらいました。そして、観光客だけでなく地元の人にも新しい発見をしてもらい、地元の良さを再認識してほしいと編集部のOさんは言っておられました。

WEB上でもバックナンバーを電子ブックですべて読むことができます。【こちら

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防災無線が新しくなりました

各家庭や会社に必ず付いている防災無線。岩内町で最初に取り付けられたのは、20年ほど前だったかな~。それが今回、新しく取り替えられました。

今までの機器はアナログでしたが、今回はデジタルになったとのこと。さらに、取り外しが可能になって、災害時に持ち運びができます。電池も単1から単3までどのサイズでも使用可能とのこと。

取り付け工事は随時行っていて、弊社に取り付けに来た時は、電波がうまく届かないということで、業者さんが四苦八苦されておりました。機器の更新はいいのですが、私は防災はソフトの面がいかに大切かと思います。

先日の地震があった時、岩内町はそれほど大した揺れではなかったです。しかし、防災無線がその情報を流したのは、15分以上過ぎてから。もしも岩内町が震源地だったら、すぐに放送をしてくれるのでしょうか?

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ヤマブン小坂商店の工場が解体

同業者の工場がまたひとつ解体されました。ヤマブン小坂商店さん。商売はすでにやめておられましたが、建物がいよいよなくなってしまいました。場所は岩内警察署から円山に向かっていく途中の左手に位置します。

私が子供のころはヤマブン鍛元商店と呼ばれていました。後継ぎがなく、そこで働いていた小坂さんが事業を継承。屋号はそのまま残し、小坂商店と名称が変わりました。

平地になって今後はどうなるかわかりませんが、こうして昔の加工屋さんの建物が1つ1つなくなっていくのは、寂しいものです。大浜地区でも数年前に、国道に面していたマルセ伊藤商店とサイチ猪股商店さんが廃業し、跡地はセレモニーホールへと変わりました。

岩内町で現在稼働している水産加工工場は、10数軒ほどになってしまいました。岩内町の礎を築いた水産加工業。時代は確実に変化しています。ただ、残すべきものは残すための努力をしなければなりませんね。頑張らなくっちゃ!

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岩内第二中の教師が深層水の総合学習

1週間前の2014年6月18日、北海道新聞後志版「ひと」というコーナーに岩内第二中学校の山崎先生が紹介されました。このブログでも何度も話題に取り上げた、岩内第二中学校の深層水を使った総合学習が評価されているからだと思います。

現在の2年生は昨年1年生時の総合学習で、岩内の海洋深層水とは何かを勉強しました。その利用が伸び悩んでいることを知り、どんなアピールの方法があるかを2年生になって、班ごとにまとめ、発表をしました。

山崎先生は、「地元に愛着を抱くきっかけに」という思いから、このテーマを子供たちに投げかけました。正直、私は最初はこのテーマは高校生くらいのレベルでは?と思いましたが、その発表を聞けば、素晴らしいものばかり。「生徒が地元に貢献したいと思う大人になってほしい」と先生の言葉で記事は締められていました。

岩内で生まれ育っていない先生が、このように子供たちに岩内に目を向けてくれるよう、取り組んでくれています。私たち地元企業、行政も他人事と傍観するのではなく、どんなことでもできることは協力してあげたいですね。

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