カテゴリー別アーカイブ: スキーのこと

岩内スキー場2017シーズンは3月20日が最終日

2017年の今年は雪が少なかったですね。除雪、雪かきの回数が例年に比べて極端に少なくて助かった、というのが本音です。ただ、スキー場はいい雪が少なくて残念でしたね。

あっという間にスキー場もクローズのお話に。岩内スキー場も次の週末の連休で営業が終了となります。なんと、その3日間はリフト料金が無料とのことです。

今年は外資による大型リゾート開発計画のお話も出て、一気に脚光を浴びた岩内スキー場。今後、このスキー場がどのように変化していくのかを見るのが楽しみです。

写真は12日のちょっとゆるい「チョッカリ大会最終戦」のゴール付近の様子。たら丸べに子も応援に駆けつけていました。天気がよくて素晴らしい一日でした。みなさん、来週末はぜひ岩内スキー場へ。リフト券はタダなので、深層水仕込のラーメンくらいは食べてお金を使ってあげてね。

 

2016年いわないスキー場オープン

2016/2017シーズンのいわないスキー場が本日、オープンしました。23日(金・祝)から25日(日)の3日間はリフト料金が無料です。写真は、数日前に入っていた新聞折込広告です。

ここ数年同じ写真ばかりでしたが、今年は違った写真を使った広告です。選挙の時、何年前の写真を使っているの?と思える顔写真がありますが、昨年まではそれと同じ感覚。新しい写真は日本海に飛び込むように滑るという特徴をPRしたものです。

チラシの片隅に「キャットツアーは完売」と書かれてあります。シーズンに入る前から予約で埋まってしまうとは、すっかり定着したようです。1日6本で25,000円というのは、普通の人にとっては高いと思いますが、その価値があると思う人も世の中にはいるということですね。

普通のゲレンデはペアリフト1本しかないけれど、小さな子供たちがたくさんの楽しい思い出を残せる事を願っています。キャットツアーで来られた人は、パウダースノーに恵まれてもそうでなくとも、岩内を好きになってくれることを願っています。

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いわないスキー場は連休でクローズ

いわないスキー場は今度の3月21日で今シーズンの営業が終了します。その最後の3月19日(土)・20日(日)・21日(月祝)の3日間はリフトの無料開放となります。

今回は昔のリフトがあった場所を写真に描いてみました。ちょっとずれがあるのは愛嬌ということでご容赦ください。黄色の①~⑥のリフトは、最初にこのスキー場ができた時の場所です。一気に6本のリフトが設置されました。

その後、ペアのセンターリフトと4人乗りリフトが新設され、①~③のリフトは使われず放置。現在は4人乗りも停止し、センターリフトのみが稼働している状態です。

私はこのスキー場の前にある観音山(円山)でのロープ塔で滑った世代です。裏のニセコのスキー場は国際化が急激に進んでいますが、いわないスキー場に似合うのは、やっぱり元気な子供たちの姿ですね。

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ニセコ国際いわないスキー場オープン2015-2016

いわないスキー場が2015年12月19日に無事にオープンしたようです。今年はずっと雪不足で、オープンが延び延びになるスキー場が多く、岩内もオープンできるか心配でしたが、まずは良かったですね。

リフト1本稼働のゲレンデとは別に年々人気が高まっているキャットスキーツアー。雪上車で旧スキーコースへ上がり、そこから深雪を滑ることができるツアーです。それが驚くことにシーズン前に全日程を完売したとのことです。予約された客層がどのようなものなのかわかりませんが、観光として明るい材料であることは確かです。

いわないスキー場は「ニセコ」と名前をつけていますが、ヒラフなどの大きなスキー場が位置する場所とは正反対。オーストラリア人などを中心とする海外スキーヤーを、なんとか岩内に来てお金を落としてもらおうという動きもあります。

スキー場の生き残り策の成功事例としても取り上げられた、いわないスキー場。存続にかかわった皆さまへ敬意を表すとともに、新たなステップアップへ期待いたします。

文章に合う写真がなかったので、昨シーズンのロッジの写真を載せました。あしからず・・

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2014-2015シーズンいわないスキー場オープン

いわないスキー場が2014年12月20日(土)にオープンします。オープン初日の20日と21日はリフト料金が無料となっています。

若者の人口減、スキー離れ、他のスポーツが冬もできるようになった、など様々な理由があって、小さなスキー場は経営が大変のところがほとんどです。そんな中、いわないスキー場はペアリフト1本だけしか動きませんが、頑張って営業をしています。一方で雪上車でスキーヤー、ボーダーを運び、パウダーを滑ってもらう通称キャットツアーは、1月2月の予約はすでに満杯という盛況ぶり。

11月は雪がほとんど降らず、各地のスキー場はやきもきしていたことでしょう。この12月に入ってからは、それを取り返すように、どんどん降雪量が増えてスキー場も一安心。スキーを楽しみにしていた人にとっては、いよいよだぁ~という感じではないでしょうか。子供のころ、初雪が降った時のあのワクワク感が思い出されます。

岩内町にはこんな近くにスキー場があるのだし、ちょっと足を延ばせば世界から人が集まるスキー場もあるのです。昔はやっていたけど今はやっていないというお父さん、お母さん、スキーを一緒にしませんか?

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ニセコいわない国際スキー場オープン

 ニセコいわない国際スキー場2013-2014シーズンが始まります。オープンの3日間、12月21日(土)、22日(日)、23日(月・祝)は、毎年恒例のリフト無料開放となっています。

 バブル期にあった4人乗り高速クワッドリフトは、もう二度と動くことはなくなってしまいました。現在は、ペアリフト1本のみの営業です。それでも、各地の自治体運営のスキー場が続々と廃止となっているのに、いわないスキー場は存続しています。

 スキー場をなくしてはならないという有志による運営、食堂皿洗いなどのボランティア、遊休ゲレンデを利用したキャットツアー(雪上車で上がって、深雪を滑る)の成功などで、成り立っています。

 私たちは観音山のロープ塔世代で、冬のスポーツはスキーしかなかった時代。私より若い世代は、皆このいわないスキー場にいろんな思い出を持っているのでしょうね。年をとっても、スキーはやっぱり楽しいです。と言いつつ、私は年内はスキーどころではありません。しっかり働きます。

週末の荒れた天気と、帰ってきたオージー

 今年のスキーシーズンを振り返ってみると、週末に荒れた天気が集中し、雪が多いにも関わらず、せっかくの日曜日にスキーに行くことができなかった日が多かったです。

 2年前の3月11日の震災後、ニセコのスキー場からはめっきり人がいなくなりました。昨シーズンは多くのオーストラリア人も来日を控えたように見受けられました。

 今年もその延長かと思われましたが、関係者のお話を聞かせてもらうと、オーストラリア人は震災よりも多く来ているようです。日曜日に行く日本人よりも、長期滞在し平日の空いているときに利用してくれる彼らは、スキー場にとってはいいお客さまです。

 彼らのニセコでのスタイルも変化しています。昔はナイターまでたくさん滑るのが目的だったのに、夜はゆっくりバーや居酒屋などに繰り出して楽しんでいます。また、近年増えてきたコンドミニアムなどに滞在し、食糧は倶知安町まで出てスーパーで買い物をしています。

 そして、ヒラフだけに限らず、少しずつ行動範囲を広げているような感じを受けます。それだけ北海道に毎年来て、日本の生活、交通手段の利用方法、街でのショッピングに慣れてきているのでしょう。今後も同様に楽しいところを探すようになれば、いろんなビジネスチャンスが出てくるかも知れませんね。

 最近覚えたのですが、オーストラリア人の俗称をオージーと呼ぶのですね。写真は、ヒラフスキー場の見晴しコースから見た羊蹄山です。(3月17日撮影)

 

春スキーに近づくスキー場

 スキーをする人たちにとって、いつまでがスキーシーズンなのでしょう?私が中学、高校生の時は、ニセコひらふスキー場が5月の連休で営業をやめるので、それまでという感覚でした。今の私は、さすがに3月までですね。

 4月になると雪もぐちゃぐちゃ、コーンスノーと呼ばれる小さな氷の状態になったり、それはそれで春を感じながら滑るので、楽しいものです。5月の連休は、いわゆる好きモノしかゲレンデに集まらず、ハイシーズンの雰囲気とはまたちがったものになっています。

 年によっては、雪が多かったり少なかったり。少ない年は下りもリフトを利用するような形になります。今年は雪が多く、融け方も遅いので、5月の連休はどこまで残っているか、楽しみですね。

 一方、滑ることができる範囲が狭まってくると、それだけスタッフも少なくなります。私が黒松内駅伝などでもいろいろとお世話になった東急リゾートのFさんは、4月から東京への転勤となりました。こうして、少しさみしい季節の変化を感じるのが春スキーでしょう。

 でも、青空が広がるもとで、シャリシャリと音を立てながら滑る春スキーはいいものですよ。また、雪がなくなると宿泊街もゴーストタウン化していたものですが、今のニセコは夏もたくさん楽しむことができます。

 ということで、ニセコ積丹への旅行は、ぜひ岩内町を経由、または滞在のプランでお考えください。

 写真は、ニセコひらふスキー場の1,000m台地と呼ばれる場所から山頂付近を3月17日に撮ったものです。5月の連休でも、たっぷりここには雪が残っています。

ワイススキー場での昔話

 今、休業中のワイススキー場。倶知安駅からバスで20分ほどの位置にあります。私が経験したワイススキー場でのことをお話します。

 小学6年ころからの私はスキー小僧でした。一年間の小遣いをすべてスキーにつぎ込むほど。そして、一人でバスを乗り継いではヒラフなどのスキー場に行ってました。

 たしか小学6年の時の冬、一人でワイススキー場に行き、滑ったときのこと。そのころはまだ上手ではなく、よく転んで真っ白になっていたものです。大転倒をした後、リフトに乗ろうとすると、輪ゴムで腕につけていたリフト券はなくなり、胸のポケットに入れていたお財布も飛び出てなくなっていたのです。

 リフト乗り場で呆然としていたら、乗車口のおじさんは、「乗って探しに行け」とリフト券なしで乗せてくれました。ところが、転倒場所は深雪でまったく落し物はわかりません。ポケットのファスナーもちゃんと閉めていなかったようです。

 ずっと探してもなく、あきらめてロッジに戻りましたが、家に帰るためのお金もありません。不安な時間はどんどん経っていきます。だれかに頼るしかないと決心し、自衛隊らしき姿の優しそうなおじさんに、「お財布を落としちゃって帰れなくなっ・・・・」と勇気を振り絞って言った瞬間に涙がポロポロと溢れました。

 おじさんはニコッと「そうか、乗せてやるから一緒においで」と言ってくれました。倶知安まで自衛隊のトラックに乗せてくれたのです。降りがけに「岩内までのバス代もないんだろ」と言って、バス代もくれたのです。

 何かをお返しをしたいけれど、何もない。リュックサックに、みかん2個を入れてあったので、それを差し出し、「ありがとうございました」と言ってお別れをしました。

 なぜあの時、メモでもいいから名前と連絡先を聞かなかったのだろうと後悔しました。みなさんもそう思うでしょう。でも、小学6年です。それにあの時の不安な心理状態では、精一杯の行動でした。

 もしこうしていたら、ということはその後何度も考えました。乗せてくれたおじさんへのお礼ができなかったことが唯一心残りです。でも、どこかでその恩は「人の優しさ」という形で、どこかのだれかに伝えていきますので、お許しください。

 写真は、ヒラフスキー場花園第2付近から見える、現在のワイススキー場(休業中)です。

35年前の岩内からひらふスキー場への交通手段

 今シーズンの北海道は各地で雪がたっぷりの状態ですが、週末に荒れることが多いので、ちょっと残念ではありますね。

 今回は私が中学生の頃(35年くらい前)、岩内町からひらふスキー場に行くときに使っていた交通手段のお話を。

 今のような各家庭に乗用車があった時代ではなく、また、4輪駆動車もめったになかった時代です。私はもっぱら、バスを使っていました。岩内から倶知安行のバスに乗って、約1時間。倶知安のバスターミナルが終点ですが、そこから300mほど歩いて国鉄倶知安駅まで。そこには、ヒラフスキー場、ワイススキー場行きのスキーバスがありました。

 バスの一番後ろの窓を開けてそこから、スキーの板を積み込みます。最後尾の5人掛けの座席は、スキーの板専用の場所になります。しばらくすると、札幌からたくさんの若者を乗せた汽車が到着し、一気に満員になりました。バスは私たち岩内の客よりも、札幌の客を待っていたのです。格好を見ると、私たち田舎者とは違い、おしゃれに見えました。

 倶知安駅から、ヒラフスキー場までは約20分。その間、黒のガマ口をもった車掌さんが、パチパチと切符を切りに座席を回ります。スキー場に着くと、今度は最初に降りた人がスキーの板の受け取り役になります。

 朝6時半頃のバスに乗り、スキー場に着くのは9時少し前。1日券でめいっぱい滑って、4時半頃のバスに乗って、家に着くのは夜の7時頃という一日でした。帰りのバスの中では、暖房と揺れがスキーで疲れた体を熟睡状態にしてくれます。

 国鉄岩内線がまだあった時代ですので、汽車で行くことも可能でした。でも、本数が少なかったので、乗り継ぎが悪く、料金もバスに比べると、何十円か高かったので、ほとんど利用しませんでした。

 今は、乗用車で片道1時間かかりません。我が家の子供たちも、バスに乗ってまでスキーに行くのかと。昔はバスに乗って・・・・と話し始めると、「昔と今は違う」と。それゃそうだよね。でも、今と比べれば大変だったけど、スキーがほんとに楽しく、そんな移動も苦にならなかった思い出がたくさんあります。

 写真は、当時の様子を伝えるものがないので、羊蹄山を。