カテゴリー別アーカイブ: 会社のこと

雪庇落とし

 雪庇(せっぴ)という言葉をご存知でしょうか?雪国の人、登山をする人ならば、当然よく聞く言葉だと思います。吹雪等で屋根や尾根などから飛び出た雪の塊の事を言います。

 弊社工場の屋根にできた雪庇は、かなりの塊となり、下を歩く人にとっては、非常に危険なものとなります。そのまま放置しておくと、暖気の時に、突然落ちて、通行人に迷惑をかけたり、落ち具合によっては1階の窓を割ってしまう事もあります。

 ですから、ある程度の大きさになったら、こまめに落とす作業が必要になります。誰がやるかって?もちろん私です。屋根の上に登るのは、子供の頃から得意でしたし、屋根の雪がどのように落ちるかもよくわかっています。でも、そんな気持ちが事故を呼ぶことも承知しているので、慎重に作業をします。

 屋根の上は、普段見慣れない景色が広がり、なかなか気持ちのいいものです。写真は弊社工場の屋根の上です。海側(北)を撮りました。海の波も見えます。屋根の端の部分に出ていた雪庇を落としたあとです。慣れない人は、下をのぞくとビビりますよ。

始業前のフォークリフトで除雪

 女工さんが出勤する前に、工場の若い男性と私は、会社周辺の除雪を行います。長年の経験をもとに、フォークリフトを使ったその効果的な除雪方法を書きます。

 大雪の時は、まず駐車場の広いスペースの軽い雪を一か所に集めます。その雪山には、軽い雪を積んだ後に、町の除雪車が置いて行った重い雪を取り除き、軽い雪の上に積み上げます。一日経過すると、雪山は締った状態になり、体積が縮まります。

 雪山は2つ作っており、連日降り続く場合は、交互にその山を作ります。雪が降らない日にその部分を排雪するようにします。工場の入り口、シャッターの部分は、人の手で雪をかき出して、フォークリフトが一回で持っていけるようにします。

 フォークリフトは車高が低いので、凹凸の部分には弱く、大雪の時はお腹に雪がすぐに溜まってしまうので、深追いしないことが注意点です。また、持ち上げる力はありますが、下げる力がないので、積上げることを上手に使う事を心がけます。

 要するに、①ためる、②積上げる、③持って行く、の動作を少ない回数で行いますが、本来フォークリフトは除雪を目的とした重機ではないので、他にもいろいろと注意点があります。これ以上は弊社商品ご購入の方のみに、特別にお教えいたします。(すごい商売?)

 除雪、排雪は、その広さ、地形、ご近所との関係、時間帯等によって、ケースバイケースで考えなければいけないと思います。工場を動かすという仕事をしていると、やはり効果的な方法は何かを追求したくなるのです。

2011年、今年もありがとうございました

 今年もとうとう一年が終わりになりました。29日に大掃除の後、女工さんの仕事は終了。30日午前中で職員の仕事を締めました。大きな事故、病気もなく一年を過ごすことができた事に感謝いたします。

 私にとって今年は、「にしんのおかげ」が北海道加工食品フェアで優秀賞。全国調味料選手権で入賞という、ありがたい表彰を受けた事が、うれしいニュースでした。

 ただ、震災で被害を受けられた方にとっては、とても辛い一年で、今後もいろいろな困難があると想像します。いえ、私なんかの想像をはるかにしのぐものかもしれません。そんな中でも、立派に前に向かって歩んでいる人の姿は、人間の強さを感じさせてくれました。

 今年もなんとか、このブログを『毎日更新』が出来ました。偶然にこのブログを見つけて、定期的に読んでくださる皆様、ありがとうございました。また、一八の商品を買っていただいたお客様、取引先の皆さん、さまざまな場所で会社や私とかかわってくださった皆さま、ありがとうございました。それでは良いお年を。

カレンダーは、みんなで分けます

 師走のあわただしい毎日の仕事の中で、いろいろな取引業者さんが持ってくるカレンダー。みなさんはすべて使っていますか?

 弊社にもたくさんのカレンダーが届きますが、会社で使うものを掛け代えた後は、女工さんたちの前で広げます。好きなものを持って行っていいよと置いておくと、さながらデパートのバーゲン会場。

 人気があるのは、数字が大きくて見やすいものです。小さいものは人気がありません。意外なことに、銀行さんの1枚ものの年カレンダーもなくなりますね。一般家庭では少ないからでしょうか。

 子供の頃は祝日がどのような日になっているか、連休になっているかを気にしていたものです。でも今は、まったく逆。ハッピーマンデーなんてあると、段取りが面倒になると、しかめっ面をしている自分がいます。もっとほがらかにならないとだめですね。来年のテーマかな。

昭和38年の会社所有のトラック

 懐かしい?会社のトラックの写真が出てきました。日付が昭和38年9月11日となっていますので、私よりも、1歳年下です。私の記憶では、定かではありませんが、ずいぶん乗り心地が悪かったような。

 まだ街中はアスファルトではなく、ほとんどが砂利道でした。走っている車は乗用車は少なく、若い人にはわからないでしょうが、3輪車のトラックがありました。故障なんてしょっちゅう。エアコンなんてとんでもない。そんな時代でした。

 その頃、町にはまだ荷物を運ぶのに、馬がいたのです。夏は荷台に車輪をつけて。冬はソリになって引いていました。弊社の近くにも馬を飼っていて、運搬作業をしていたところがあったのを覚えています。

 さて写真のトラック。ドアには広告。文字は前から書くために右から左へ読む形。でも、電話番号の数字は、左から右へという変な書き方です。「自家用」と書いてありますが、昔は表示義務があったようです。カッコ悪いですよね。

 このトラックが納車のときは、たぶん一大イベントだった事でしょうね。価格はわかりませんが、その分の働きは間違いなくしてくれた事と思います。この次の年に東京オリンピック。時代は高度経済成長へ。車社会へと急激に変化していきました。

 

平成23年の勤続表彰

 勤労感謝の祝日の前日に、勤続表彰の賞状と記念品が届きます。弊社は、5年単位での表彰を長年続けています。今年は、15年表彰が工場から1名と、20年表彰が事務所から1名でした。

 記念品などの購入は企業負担で、経費削減のために表彰を取りやめる企業も増えているようです。企業独自で記念品を贈る方法もありますが、私の考えとして勤続表彰は、地域社会に貢献しているという立場から、商工会議所からの表彰でいいと思います。

 弊社のような企業は、岩内町外からのいわゆる外貨を稼いでいます。自ら言うのはおかしいでしょうが、企業としての存在そのものが、岩内町や北海道に貢献している自負があります。そして、その企業を支えているのが、まぎれもなく毎日こつこつと働いてくれている従業員なのです。従業員には、ここで働くことが岩内のためにもなっているとわかってほしいのです。

 写真は、20年表彰の賞状です。5年、10年表彰は、岩内商工会議所からの賞状ですが、20年となると、北海道商工会議所連合会からと岩内町からも賞状が届きました。もう少し、センスのいい賞状と額にしたら?と思うのですが・・・・

 勤続表彰おめでとうございます。これからも健康に注意して、勤務してください。 

岩内町の日本アスパラガス株式会社が省エネ大賞受賞

 岩内町には、日本アスパラガス株式会社(通称:ニチアス)という会社があります。現在はペットボトルや缶などの飲料品の製造をしています。実は、今飲んでいるこの缶コーヒーは、この会社で作られていたなんて事はよくある話です。それほどのシェアを持っている会社です。

 このたび、北海道での省エネ大賞を、日本アスパラガス株式会社さんが受賞いたしました。先日のビジネスEXPOでも表彰されました。すごいですね。内容は、缶詰殺菌の排水熱をヒートポンプを導入して、有効利用したとのことです。

 飲料水を作っている会社なのに、なぜアスパラなの?って思いますよね。岩内はアスパラガスの発祥の地ともいわれている場所なのですが、アスパラガスの缶詰を作ることが会社設立の発端でした。時代が変わり、缶詰のマーケットが縮小。反対に、ペットボトルやさまざまな飲料品が次々と出て来るのに対応。先端の設備投資をし現在に至っています。

 この商売はやはり、「水が命」です。岩内の水は美味しいですし、地下水もニセコ連山を控え、豊富です。その水で商売をしているのです。私たち水産加工屋も同じ水商売ですが、ちょっと商売のスケールが違うなぁ。まずは、省エネ大賞おめでとうございます。

昭和44年の出火

 昭和44年今から42年前の11月1日、事務所から道路一本を挟んで建っていた工場が焼失してしまいました。私が小学校2年生のときだったと思います。

 工場の乾燥機は今のような電気ではなく、重油を使っており、その着火の不具合から出火をしてしまったとのことです。ずいぶん前の事ではありますが、ご近所のみなさんやさまざまな方にご迷惑をおかけしました事、お詫び申し上げます。その時、子供だった私の記憶を綴ります。

 寝ていた私たち子供は、母の「火事だー!おきなさーい!」という悲鳴にも似た声で飛び起きました。出火した工場と、私たち家族が住んでいた家はすぐ隣にあります。その時点ではまだ火は工場内だけだったものの、時間とともにどんどん火は大きくなり、屋根の高さを超えてしまいました。

 今の事務所に避難して、消防の消火活動を見守るだけなのですが、窓から見える大きな炎を見て、不安な気持ちが駆け巡りました。事務所の時計は夜の11時を回っていました。

 うっすらと雪が降っていました。道路は雪がありましたが、日が登れば消えてしまうくらいでしょう。そんな中、野次馬がたくさん集まってだれかが「さみーけど火であったけえな」(寒いが炎で暖かいな)と言った事が子供心にも悔しくてなりませんでした。

 その夜は親戚の家に泊めてもらいました。翌日、なんとか燃え移らずに済んだ我が家に戻りましたが、白衣を着た人たちが我が家に入り、いろんな調査をしています。焼け跡は焦げ臭さでいっぱい。窓のガラスは融け落ちて団子状態に。

 週明けの学校に行くと、口の悪い友人が、「俺んちまで火の粉が飛んで来たぜ」と私に言います。何も言えずに下を向いていました。

 ちょっとブルーな内容になってしまいましたね。ごめんなさい。私にとって11月1日は、この火事の日を思い出さずにいられません。工場の屋根裏に書き初めを発見しました。今は亡くなった前工場長が書いたものです。先代から火の扱いには注意しろと口酸っぱく言われていたからだと思います。

 災害は忘れた頃にやってくる。備えあれば憂いなし。口だけでなく、実行しなくっちゃ。

五つ玉のそろばん

 自称岩内の第2郷土館、一八の事務所2階。あくまでも、「自称」です。いろんな過去のものがあります。ほとんどは、どうでもいいものばかりなのですが。

 今日は五つ玉のそろばんをご紹介します。これは「うちにもあるよ」と商売をやっている方は、なかなか捨てられずにいる方が多いと思います。儲かったときの金勘定は、このそろばんでやっていたから、捨てるとばちが当たるという心理も働くのでしょう。

 弊社事務所にはこんな逸話があります。電子計算機(今の電卓)が出てきた頃、その営業マンが弊社事務所に来ました。当時の番頭さんは、「俺のそろばんの計算と比べて早かったら検討する」と言い、実際に競争すると、番頭さんの圧倒的勝利。あっけなく、営業マンは退散したとのこと。

 今でも弊社社長は、電卓ではなく、そろばんで計算しています。4つ玉ですがね。何を計算しているかって?利益をではなく、借金を、です。あらっ、言っちゃった。

事務所の床

 弊社事務所の床は、昔小学校等に使われていた木の板でできています。今風に言えば、フローリングなのでしょうが、歩くとギシギシというなんともレトロな音がします。

 この事務所は、昭和44年8月に建設。西暦1969年ですから、私よりも一応7歳年下ということになります。お客様によっては、この床を見て、靴を脱ごうとする方もいます。

 毎朝、女性職員が、新聞紙を水で濡らして床にちりばめ、それから掃き掃除をしてくれています。手入れさえしっかりしていれば、まだまだ使うことが可能だという証明をしているようなものです。

 古きものを大事に使う事は大切なことですが、隙間が多く、冬場はエネルギーのロスが多い事はいたし方ありません。でも、工場を直すところが多すぎて、事務所にはいつ手を入れる事ができるやら。