岩内町に海水浴場があったのを知っている人は、若い方ではないでしょう。場所は今の工業団地。夏場の1か月程度、泳ぐことができました。冷たい物を売る店もありましたし、着替えをするところもありました。水しか出ませんが、シャワーもありました。ジリジリとした暑い日に、学校から帰ってきてすぐに海水パンツを履いて、自転車で海水浴場に行って遊んだ記憶は、とても楽しいものでした。
一八の先代、紀伊右衛門はその海水浴場に人の流れをつくるためか、写真のような看板を海水浴場の近くに立てました。この看板は、一八の倉庫の隅にあったものです。看板は他に3つもあります。どのような意図でこの看板を設置したのか、わかりません。
時代の流れとはいえ、フェリー埠頭と工業団地造成のために海水浴場は埋め立てられ、夏の景色が変わってしまいました。今砂浜はコンクリートで固められ、フェリー埠頭もフェリー会社の撤退により、何もない釣り場と化し、工業団地は売れずに残る空き地の方が多い状態。
誰もこんな状態を予想していなかったでしょう。ただひとつ言えるのは、自然に人工の手を入れてしまえば、もう元には戻らないということ。倉庫に入ってこの看板を見るたびに、海水浴場の歓声と今のむなしい状態が交錯します。