今は積丹半島を国道が一周できますが、20年ほど前までは車で神恵内村の川白というところまでしか行くことができませんでした。
高校時代、川白出身の友人の家まで自転車で行ったことがありますが、神恵内から川白までは海岸ではなく、山に登っていくすごい道。ちっちゃなトンネルをいくつも通るのですが、そのトンネルはもちろん砂利道で、壁面は手堀の跡生々しくスコップの円形がうろこ状になっているのです。
帰りは定期船に乗って帰りました。その定期船、「かむい丸」と言い、昭和41年から岩内-神恵内-川白間を運行。毎日一往復。しけを除く年間150日ほど運行していたとのこと。昭和60年、海岸を通る国道229号線の新道ができて、その船の姿が消えました。
私は、その一度きりしか乗ったことが無いのですが、川白や神恵内に住んでいた人たちにとっては、重要な足だったでしょうね。もちろん、神恵内までの道路はありましたが、今とは比べものにならないほど、走りにくく、困難な道でした。
岩宇地方に配られている「波稲」という広報紙にこの話題が掲載されていたので、思い出して書かせていただきました。