月別アーカイブ: 2011年3月

サクラマスの季節です

 市場では、「本ます」がちょっとずつ見かけられるようになってきました。

 写真を見て、お魚の素人さんには、サケとどこが違うのだと言われるかもしれません。でも魚で商売をしている人、釣好きの方にとっては、何を言っている!と言われそうです。

 一応、北のお魚大使の称号を持っているので、簡単に説明いたします。正式和名はサクラマス。分布は極東海域のみで、アメリカ側の海域には分布していないのが特徴です。

 サケやカラフトマスは生まれると1年以内に海に降りてしまいますが、サクラマスは降海するまでに1年~2年かかります。ずっと海に行かないものもあります。川に残っているものをヤマベと言います。

 さっさと海に行ったものは、体長も大きくなります。エサの違いがあるでしょう。しかし、生きる上ではリスクは海の方が高いと思います。さて、あなたがサクラマスの稚魚だったら、さっさと大海に出ます?じっくり川に残ってから海に出るか、はたまた海に出ずに一生を終えるか?

稲穂峠東側登坂車線開通

 冬の間もずっと工事中だった稲穂峠の東側。すなわち、余市から岩内に向かう時の登る方です。その登りの道が片側2車線の登坂車線ができました。センターには正面衝突防止のガードレールが取り付けてあります。

 数年前には、岩内方面に下る西側の道路に登坂車線ができました。この峠をよく使われる方は、少しはストレスが少なくなることでしょう。

 片側2車線の登坂車線では、普通は左の道を走り、右側は追い越し車線になりますよね。ところが、この峠を通るほとんどの車は左によけず右側を走り、後ろから来る速い車は左から追い越しをしていくのです。

 ちょっと残念な光景ですね。観光で来られた方は、こんな北海道の運転のマナーにがっかりされるかもしれません。旅行者に気持ち良くドライヴしてもらうためには、地元の運転マナーも大切だと思います。みなさんの運転マナーはいかがですか?

後志総合振興局のホームページ

 みなさんは、地方自治体のホームページを利用することはあるでしょうか? 私は正直なところ、あまり見ませんでした。しかし、最近は各自治体もいろいろと工夫をされているところが出てきましたね。

 岩内町は北海道の後志という地区に位置します。「いわない」でもわかっている、なんてオヤジギャグは勘弁してくださいね。道庁の仕事の後志を担当しているのが、後志総合振興局(旧後志支庁)です。

 こちらのホームページの中に 後志の逸品  【ちょっと特集】 とタイトルで、後志の企業が作った新商品などの紹介をするページがあります。その一番バッターとして、弊社の「にしんのおかげ」が掲載されています。掲載、ありがとうございます。

 昔ですと、お役人さんが、一企業の商品を紹介するなんて考えられなかったのですが、がんばっている企業を応援しようという姿勢でもありますね。ちょっと遅いんじゃない?と辛口を言ってしまうと失礼ですが、やる前からダメダメではなく、どんな形であれ、トライしてみるということが、いいことだと思います。

 後志のお魚のことも書いてありますし、なかなか面白いページもありますよ。ただ、担当部署によって、詳しく書いてあるところと、そうでないところがありますね。「縦割り」という言葉でいつものように言ってしまえばおしまいですが、いろんな人が後志の情報を取りに来るホームページになることを期待いたします。

新造船がやってきた

 26日、岩内港にひときわ目立つ大漁旗。車が何台も近くに止まり、人もたくさん集まってきました。新造船がやってきたのです。

 こんな風景は何年ぶりでしょうか?(北海道新聞には19年ぶりと書かれていました) 今は船を手放す人の方が多いのに、こうして新しい船を作るのは、なかなか大変だと思います。事実、船は作ったはいいが、魚が獲れなくなったら困るよなという声も聞かれます。でも、現実離れした大きな船ではなく、省エネタイプだということですから、素直にお祝いしてあげましょう。

 さて、金刀比羅神社さんを呼んで、一通りの儀式を済ませ、餅まきをしたと思います。みなさんの地方では「餅まき」はしますか?新築の建前(上棟式)のときも昔は「餅まき」をしましたね。今では、ほとんどそんな風景を見ることはできなくなりました。

 船の前にぶら下げられた日本酒。いいですね。この写真を撮っていたら、「写真撮影は5,000円だよ!」と。そんな冗談も出てくる喜びが満ちていました。豊漁であることを私も願います。

自粛不況にならないで

 東日本の大震災後の復興、原発の事故の沈静化が早く進んでくれることを願っています。一方、被災者のその後をリポートするニュースも連日流れています。大都市では、電力、飲料水についても今後どうなるのかと不安材料が一杯です。

 そんな中、被災地には直接関係ない私たちであっても、資材が届かない、春の身欠にしんの需要期には注文が入ってくるのだろうかと不安になります。札幌での会合も中止になりました。遠くに出かけるにも、ガソリン代が高いこと、テレビであの悲惨な状態を見てしまっては、贅沢をすることが悪と感じてしまうかもしれません。

 しかし、外食すること、会合を開くこと等を悪としてしまっては、経済活動がどんどん負の状態に陥ってしまいます。元気な人で、直接被害がなかった人は、今までと同じと言わないまでも、意味なく全部をやめにする、自粛するということをもう一度考えてみましょう。

 「自粛不況」となれば、元気な人までが被害者になってしまいます。元気な人は、さらに元気になって、弱っている人を助けてあげる、手を差しだしてあげる。自然を前にしては、いつわが身が被災者になっても不思議ではありません。その時は、素直に助けてと言いましょう。それまでは、元気な人は健康で元気に生活していましょう。

雪国の信号機

 ここ3日ほど、朝雪で真っ白になっていますが、夕方にはすっかり融けてしまい、アスファルトが出るといった日が続いています。

 写真をご覧になって、岩内町のどこの信号かを言い当てられる方は、かなりの岩内通の方か、この御近所に住まわれている方ですね。バックの岩内岳がきれいに写っています。

 信号機が縦型になっているのは、雪国特有のものです。横型だと、雪が積もり色が目立たなくなってしまうというものです。最近はLEDの見やすい信号に代わってきているようですが、LEDは熱を発しないため、雪が融けないというデメリットもあるようです。

 もっとも、岩内の場合は笠をかぶるような雪の積もり方はほとんどなく、強風で吹っ飛んでしまいます。

 

統一地方選挙の看板

 統一地方選挙が4月10日に行われます。岩内町に関しては、北海道知事選挙と道議会議員選挙です。道議会議員選挙においては、定数3で立候補者は現職の3名なので、無投票になるとのことです。あくまでも、24日現在のお話です。

 さて、選挙のときに突然現れるポスターの看板。子供の頃は、番号がランダムについており、その番号がどんな意味なのかわかりませんでした。ポスターがすべての番号を埋めないことも、腑に落ちませんでした。

 東京に移り住んだ時、この選挙の看板の大きさにびっくりしたものです。当時はまだ小選挙区でなかったこともあり、数字が多く、候補者がこんなにいるのかと。都会の皆さまにはどってことのない風景でしょうが、田舎者にとっては、カルチャーショックもどきの状態です。

 この選挙の後、町議会議員選挙が予定されています。9月には町長選挙があります。

 昔、若かりし営業マンだったとき、政治の話とプロ野球の話はお客の前ではするなと先輩に教えられました。このブログでも同じです・・・どなた様にも喜んでいただけるブログでありたいと。

魚箱について

 獲れた魚は、どのような容器に入るのか?昔は4寸箱と呼ばれる木の箱が主流でした。今は、発泡スチロールのさまざまなサイズがあり、魚種によって使い分けられているようです。全国的に統一されているのは、スルメイカの箱でしょうかね。

 さて、この4寸箱とは、1寸が約3.03cmなので、12.12cm。深さのことなんですね。でも、弊社にある4寸箱を測ってみると、内側の深さではなく、外側の深さでした。木の厚みを含めています。

 先日、昔弊社で「箱打ち」をやっていた人が訪ねてきました。箱打ちとは、スケトウダラを入れる4寸箱や日本海マスの新巻を入れる箱を、敷地内で釘を打って組み立てることを言います。製材工場では、木材を切る仕事だけで目いっぱい。釘打ち作業は、工場の空き地でアルバイトが釘を打って組み立てるのです。

 金銭は請負なので、出来た分だけの支払いです。真新しい4寸箱が次から次へと使われて行きます。それだけ、岩内では魚が獲れていたんですね。写真のバンドはPPバンドと言って、荷物の梱包に使われる丈夫なものです。このバンドを持って運びます。昔は針金を巻いていました。そのまた昔はむしろ縄を使っていました。40年も50年も前のお話でした。

幻の国鉄新岩内線

 弊社の2階は自称第二の郷土館。そこからまたまた面白い新聞の切り抜きが出てきました。国鉄の新岩内線の着工式の記事です。

 現在の小沢駅から岩内まで、15kほどの岩内線というものがあったというお話は、このブログでも何度か登場しています。昭和44年、この岩内から雷電海岸を通り、黒松内まで線路を新しく作ろうという計画がありました。

 ただでさえ、赤字路線だったのに、断崖絶壁が続く海岸の地形にどうやって。と、現在の感覚で冷静に考えれば採算合わないだろうと思うでしょう。しかし、「70年来の地元の夢」と書かれてある通り、当時の地元の人たちにとっては、悲願だったのでしょう。

 私も小学2年生か3年生の頃の記憶があります。町内を鼓笛隊でパレードしたのです。私はピアニカを吹きながら歩きました。子供心に、何で歩かされるかわかりませんでした。数年たっても鉄道の工事も始まらないことを、大人の裏切りだと思いました。

道幅が広くなりました

 祝日の21日、弊社の工場を挟む南北に延びる道路の排雪が行われました。雪は降っていませんが、御近所さんの歩道に盛り上げてある雪はまだかなりの量です。

 作業はラッセル車とダンプカー、大型ショベルカー、小型ショベルカーの組み合わせで行われます。最初に大型ショベルカーで固まった雪を崩していきます。ラッセル車がダンプカーに雪を飛ばしやすい状態にするのです。次に小型ショベルカーは歩道のせまい部分の雪をかき出します。

 二往復で、ほぼ終了。排雪のダンプカーは4台あり、ローテーションしていました。雪がどんどんなくなっていくのは、気持ちいいものがあります。と同時に、道路はこんなに広かったんだと実感します。

 1月の集中的に降った雪は2台の車を交差できなくするほど、道幅を狭くしました。雪が無くなると、この広い道路のありがたみがわかります。新一年生が真新しいランドセルを背負って元気よくこの雪が無くなった歩道を歩くのも、もうすぐです。