月別アーカイブ: 2011年3月

ホテルうきよ跡地

 このブログを読んでくださっている人には、昔岩内に住んでいて、今は違う場所にいらっしゃる方がいると思います。その方たちにとって、「岩内町の風景」という私のカテゴリーが、懐かしさを感じさせる一助になればと常々思っています。

 1973年、後志管内では当時としては数少ない洋風ホテルとして建築された「ホテルうきよ」。1983年、宿泊専用の新館の建設にあたり、本館は宴会場に改修されました。

 鉄筋3階建てで3階は300人も収容できるほどの大きなホールでした。結婚式をはじめとして各団体の新年会等、大きな宴会となると、このホールを使っていたものです。たぶん、転勤族である銀行支店長経験者は、新年会その他で何度も利用されたことでしょう。

 バブル崩壊、若者の町外流出で、結婚式も少なくなりました。時代の流れに逆らえず、宴会の利用も少なくなり、平成22年8月営業停止。現在は新館のホテル部分が残り、宴会場であった本館は取り壊され、駐車場に変わりました。経営者も変わりました。

 取り壊される前に本館の写真を撮っておけばよかったと思っています。この宴会場で披露宴をあげ、幸せに暮らしている方もたくさんいらっしゃるでしょう。たくさんの思い出が残っている建物がなくなるのは、さみしいものですね。残念ではありますが、地方の現状を象徴するひとつです。

 

北海道マラソン申込開始まであと16日

 先日3月15日掲載の北海道新聞に北海道マラソンの記事が掲載されていました。今年の大会は25回目になるんですね。私は今年参加で8回目です。

 「夏楽しむレース」とありますが、昨年初めて走った方は、楽しむことができましたか?蒸し暑い中、ペース配分を間違えると、途中からは地獄のような状態でしたね。

 でも、それなりのトレーニングを積んでレースに臨むと、確かに楽しめるのですね。独特の沿道からの応援や移り変わる風景、なんとも言えないのです。

 年々参加者が増え、申込の開始日も早くなっています。今年は4月5日と言いますから、あと二週間ちょっとですね。この大会も、あと何年かしたら本州の大きな大会のように、初日で締め切りになっちゃうのかな。私は他の大会だったら、そんなに出たい人がいるなら、譲りますよという感覚です。でも、この北海道マラソンだけは、走らせてください。私には、大きな目標が、この大会の中にあるのです。

北海道Walkerに「にしんのおかげ」が掲載されました

 コンビニなどでよく目につく雑誌、「北海道Walker」。毎月20日に発売とのことですが、その4月号が18日に私の手元に届きました。

 なぜっ?「にしんのおかげ」が取り上げられたからです。「何杯でもおかわり!相性抜群 全道 ご飯のお供」というタイトルのページに21品目の紹介があり、その中の1品が「にしんのおかげ」というわけです。

 最近、ご飯のお供というものが流行っていますね。食べるラー油がその先駆けでしょうが、私はそのブームになる前から研究し始めていましたよ。一過性のブームで終わるような商品にはしたくないですね。

 いずれにせよ、こうやって御紹介していただけるのは、何よりです。震災の影響で、書店、コンビニに20日に並ぶかわかりませんが、目に付いたら、立ち読みせず、買ってあげてね。

 

ローソクボッケ

 前浜では、ローソクボッケが揚がっています。体長18~22cm程度の俗に言うローソクのように細長いホッケです。

 ホッケは稚魚から大きくなるにつれて、アオボッケ(体長4~16cm)、ローソクボッケ、ハルボッケ(23~25cm)、ホッケ(25cm以上)、ネボッケ(35cm以上)と呼び名が変化していきます。

 さて、たくさん獲れるローソクボッケは、いまいち美味しくありません。かまぼこの原料の他、養殖の魚のエサ、畜産用のエサや畑の肥料、海獣飼育用というのが大きな用途になります。水族館で、アシカのショーなどで、お兄さんが御褒美でポケットから取り出して、小さな魚を食べさせているのを見たことありませんか?あれですよ。

 直接人間には食べてもらえないんですね。加工の仕方では、いろいろと提案できるかもしれませんが、小さい魚というのは、手間がかかり、人件費の下になってしまうというのが、北海道の水産加工の一般的な考えです。でも、このような概念を払しょくしなければ、新しいものは生まれませんね。

 

岩内第一中学校卒業生の募金活動

 岩内第一中学校に通う息子たちがもらってきた先生からのプリントに、卒業式の前に募金活動をするのでよろしくお願いしますと書かれてありました。

 それらは、卒業を予定している3年生の数名の生徒たちから、現在起きている被災者のために募金活動をしたいと申し出があったそうです。学校側がお願いしたのではなく、生徒たちが自ら話し合い、決めたことだと言うのです。素晴らしい子供たちですね。

 岩内第一中学校の修学旅行では、青森、岩手を回り、被災地は生徒たちにとっても無縁ではないこともあるでしょう。卒業を前に、被災地では卒業式どころではないこと思うと、自分たちに今できることをしたいと思う気持ちが募金という行動になったと思います。

 思うだけでなく、行動できたことが本当にすごいことです。一中の先生たちも、こんな立派な生徒たちを送り出すことができて、よかったですね。私も同じ岩内町として、誇りに思います。私は卒業式を見ていませんが、さぞかし、卒業生たちは輝いていたことでしょう。

 そんな生徒たちの気持ちが込められたこの募金で、被災者のみなさんに少しでもお役に立てられることを願っています。

道の駅いわない

 道の駅の利用者の皆さまや、道の駅ファンにとって、岩内町の道の駅はどのように感じるのでしょう?

 最近新しく出来ている道の駅は、物産館や飲食を伴う総合観光施設になっていますが、岩内の道の駅は、認定されたのが早かったためか、観光案内所と言うほうがいいでしょう。

 道の駅に当然あるべき広い駐車場は50mほど歩かなくてはならず、トイレもちょっと離れています。これがユーザーのブーイングの元なのですが、出来てしまっているものは、どうしようもありません。こんな道の駅もあるさと寛大な気持ちで御利用いただければとお願いいたします。

 地元では、道の駅建て替え論などぼちぼちと出てきているようですが、すぐには無理なお話。ハードだけを立派にしても、ソフトの面がからっぽでは、失敗してしまいます。岩内らしい道の駅とはどのようなものか、もしもアイディアがあったら、ぜひ教えてください。

 私は各地の道の駅で、いろんな質問や相談に、しっかり対応していただいたところは、好きになります。その意味では、岩内の道の駅のスタッフのみなさんは、お愛想もよく、旅の好印象を残すお手伝いをしてくれるでしょう。

 最後に、いわないの道の駅では、「にしんのおかげ」を置いてありますので、お土産にお買い求めをお忘れなく。

雪が融けると黒さが浮き出ます

 じわじわと雪解けが進んでいます。例年、3月は降雪があっても、翌日は融けてしまうような感じです。ただ、3月は強い風が伴うので、大きく荒れると、怖い気象になるので、まだまだ春本番には気を抜けません。

 写真は弊社工場裏手の旧線路跡地です。ここに積もった雪もここ数日、少しずつ小さくなっています。日中は融け、夜にまた凍るので、雪の質はだんだんと氷状態になってきています。

 そして、白かった状態が黒くなってきています。雪の中にあったいろんなほこりや土などの汚れが浮き立ってきます。今までは白さでごまかしていたものが、白い部分が消え黒い部分が目立つのです。

 雪というのは、そんな不思議なものなのですね。季節感をもっとも感じるのは、そんな雪の演出があるからだと思います。人間の心も雪が消えて黒い部分が露出しないよう、いつもきれいな心でいたいものです。

雑誌「小樽學」に掲載されました

 「小樽學」という雑誌があるのを、ご存知でしょうか?私は、この取材を受けるまで知りませんでした。前回の北海道を紹介する雑誌「カイ」に続き、有名ではないけれど、がんばっている雑誌ってあるんですね。

 最初、お電話で取材の申込をされた時は、失礼ながらちょっと怪しいかなと思いました。でも、お話を聞いていると、小樽の情報をしっかりと探り、活字として残している雑誌であることがわかりました。

 私は小樽ではなく、岩内なのでいいのでしょうか?と質問すると、『地産 後志でなにが生産されているの?』というタイトルで、後志の企業を紹介するコーナーもあるとのことです。

 雑誌そのものは、小樽や地域を愛している人たちが綴っている文章なので、小樽や後志にこんな存在があるんだよと訴える、その心が伝わってきます。にしんのおかげの記事も、プロジェクトXのような文体で、熱く語っていただいております。

 わざわざ岩内まで来てくださり、にしんのおかげと一八を御紹介いただいた美濃さん、ありがとうございました。
雑誌の御紹介、購入場所は、小樽學のホームページをご覧ください。

他人ごとではない大災害

 昭和29年の岩内の大火は町を3分の2を焼き尽くす大災害でした。多くの死傷者を出し、一夜にして財産が消えた歴史に残る大災害でした。しかし、今回の東日本を襲った地震と津波は岩内大火の被害を大きく超えるほど広範囲に、さらに原子力発電所を含めた災害となる近代型の災害となってしまいました。

 今回わずかな揺れで済んだ岩内の町では、その災害をどうとらえるでしょう。弊社で作る身欠にしんや数の子などの商品は、ほぼ毎日本州に出荷しています。消費地の一部は被災地でもあり、現在通行止めになっている道路も重要な物流のルートとなっています。

 消費地の被災は、そのまま経済活動への直撃であり、直接の被害がないから安心だという発想は愚答としか言えません。また、岩内は近くに泊原発というものが存在し、いつわが身も同じ状況になってもおかしくありません。

 終日被害状況を報告するテレビを見ていて、何か私たちに出来ることはないかと思う人たちはたくさんいると思います。どんな形の手助けができるのか、被災地では何を求めているのか。手助けと思ったことが逆に現場の仕事を増やしてはいけない。余計なお世話にならない本音の言葉を、被災地のみなさんは発信してください。

岩内町の地震状況

 11日に起こった東北地方太平洋沖のM8.8の巨大地震は情報が入るたびに大きな被害が報告されています。被災地と連絡が取れずに心配の方も多いと思います。

 岩内の私が知る限りの情報をお知らせします。あくまでも私個人の情報です。正確な情報を取りたい方は、各方面へ直接お問い合わせください。

 揺れの状態は震度2で、最初めまいがすると感じました。ゆっくりとした横揺れで、船酔いに似た感じを受けました。体感したのは、椅子に座っている人で、立って仕事をしている人は感じないようでした。

 最初の防災無線は3時30分に入りました。その時は、津波注意報と聞こえましたが、34分の防災無線では、津波警報と変わりました。

 海岸は5時10分に第一波、1mの津波が来るとの予報でした。翌日海岸付近の企業の人に聞くと、30cm程度で終わったとのこと。しかし、翌日になってもまだ津波警報は発令されたままです。

 交通機関の影響は、岩内寿都間の国道229号線が通行止め。12日もまだ通行止めのままです。弊社勤務の寿都方面から来ている従業員は、昨日バスで帰ることができず、「働く婦人の家」という町の建物に宿泊させてもらったとのことです。

 未確認ですが、物流もこの影響で、発送できない状態になっているようです。

 写真は北海道新聞の一面と最終面です。私が知る限り、この2面全面を使った報道は初めてのことです。