月別アーカイブ: 2011年8月

秋サケのシーズンに入ります

 岩内の市場に秋サケが少しずつ増えてきました。本格的な漁になると、1トンもの大きなタンクに氷水を張り、オスとメスに選別し、それらをまとめて入札にかけます。

 昔、秋味という名前のビールがありましたが、地元では、サケのことを「アキアジ」と呼びます。秋に獲れるアジではないですよ、秋の味だからでしょう。この呼び名はなんとも季節感を漂わせて、いいですね。

 最近のサケはほとんどが放流事業によって戻ってきているサケですね。放流した数の5%も戻ってくればいい方で、いろいろな大海の困難や障害を乗り越えて帰って来たのです。

 そんな生命力に感謝して、サケを召し上がりましょう。弊社はこのサケを利用して、サケトバを作っています。よくある棒状ではなく、一口サイズにカットしてあり、皮もむいてあるので、美味しくて食べやすくていいねと評判です。

 岩内に来られましたら、岩内道の駅でご購入願います。道の駅だけでの限定商品となっています。間違いなく、岩内産のサケを使い、岩内にある弊社工場で作ったサケトバです。

「弁財の会」のご紹介

 岩内町には、製造業を中心とした異業種交流会の「弁財の会」という組織があります。弊社もその中に入っているのですが、日本を代表する企業から、お菓子屋さんまで、多種多様な16社が加盟しています。

 先日、この弁財の会を紹介するパンフレットが届きました。目的というところに、こんな言葉があります。「製造業の発展なくして地域の発展はない」を合言葉に、岩内地方で事業所を有する製造業並びに関連する企業の発展と会員相互の緊密な連携・研修を通して、会員の所属する会社の社役及び地域製造の発展に寄与する。

 じっくり読むと、分からなくなってしまいます。言ってはいけないかもしれませんが、これって、お役人のフレーズですよね。やさしく言えば、ものづくりの企業が元気にならないと、地方は元気にならない。ということですね。

 会の名前も面白いネーミングですね。昔、日本海を北海道と本州を貿易していた北前船。その船の形にはいろいろあったようで、花形的な存在が「弁財船」ということらしいのですが、例によって歴史に疎い私のことです、間違っていたらごめんなさい。

2011北海道マラソン完走

 月曜日なのに、マラソンのお話をもってきてしまって、ごめんなさい。普通の大会ならば、一週間後の日曜日に報告するのですが、北海道マラソンだけは、結果はどうだったのかを知りたい人がいらっしゃるので、書かせていただきます。

 スタート時の気温は28.9度とほぼ昨年同様の気温でした。ただ、湿度が47%だったようで、昨年の70%とは違い、幾分風もあったので、思った以上に暑さにやられるという事はありませんでした。

 結果は3時間25分で、昨年よりも3分遅くなってしまいました。昨年の敗因を暑さ対策の不足と疲れが抜け切れていなかったと分析して、今年はそれに対応したつもりでしたが、結果が出なかったのは、違う原因があるからでしょう。これからじっくり考えます。

 結果はそれとして、待ちに待った北海道マラソンを終え、無事に走りきれた事をまず満足しています。たくさんのボランティアの皆さんと、いろんな形で応援をしてくれた皆さま、暑い中をありがとうございました。

 そして、初フルにこの大会を選び、苦しみながらも完走をした皆さんも、おめでとうございます。素敵な完走メダルをゴール後にかけてもらった時、その重さを感じましたか?その重さは、努力の重さですね。美味しいビールを飲んでお祝いをしましょう!

 来週の日曜日のブログに詳細の報告をいたします。

2011北海道マラソン

 いよいよ本日、北海道マラソンです。中島公園スタート、大通公園ゴールのコースになって3回目です。同じく5時間制限に変更になって3回目。参加人数も今年は9,600人ですか。私が最初に参加した7年前から比べると、倍以上に大きな大会になりましたね。

 テレビ放送もありますが、私が写ることはまずないでしょう。新川通りでは、反対側からトップランナーが飛んでくるような走りを見ることができます。てすから、もしテレビに写るとしたら、チンタラと走っている私の後ろ姿だけということになります。

 スタート前には、ヘリコプターが上空を旋回しています。号砲が鳴る前の緊張感。他の大会とはちょっと違う雰囲気でのスタート。そして沿道の大きな応援。

 ずっと先の日のことだと思っていたのに、やっぱりこの日は来てしまいました。私にとって8回目の参加。毎年いろんなことがありますが、ここまできたら「人事を尽くして、天命を待つ」ですね。

 喜びいっぱいに走ってきます。

55期を終えた岩内海産商協同組合

 弊社が所属している、岩内海産商協同組合の総会が8月22日にありました。今年で55回目を迎えます。55回というと、私の年齢よりも多いのですから、それなりの歴史を持った組合であると言えましょう。

 現在の組合員数は21人です。ただ、女工さんを雇って工場を動かしている組合員は、その約半分しかありません。水産加工が町の中心産業だった時は、50人を優に超えていたと思います。下請け専門で仕事をやっていたところもたくさんありました。

 ご存知のように、前浜の漁獲が少なくなり、輸入原料に頼り、他地域との競争激化。後継ぎがいない、衛生管理が厳しくなり、コストが上昇、そして廃業する企業が続きました。こんな事を書いていると、滅入ってしまいます。

 今残っている加工屋さんは、そんな厳しい時代を生き延びています。明日はどうなるかわかりませんが、なんとか頑張っています。青年部のメンバーも20代の若い元気な人も入ってきました。まだまだ岩内の加工屋さんはがんばりますので、全国のみなさん、応援してくださいね。

 

アベ事務器のご紹介

 余市方面から岩内町に入ってくると、カベ坂十字街というところに降りてきます。その右側に写真のように、「ようこそ岩内へ おかえりなさい おつかれさん」という文字が書かれている看板が目にとまります。

 アベ事務機というお店のご主人が作ったもので、なんとも心和む看板がいいですね。このご主人は、70をとっくに越えた方なのに、スキー、ゴルフなどのスポーツはやるし、バンドでドラムをたたくなど、趣味が広くて楽しい方です。

 冬はニセコのナイタースキーに私と一緒に行くのですが、この年齢でも年々上手になっているので、頭が下がります。一人でスキーに行っては、オーストラリア人と仲良くなったなど、いろんな楽しみを知っている方です。

 ホスピタリティーという言葉が最近よく使われていますが、こんな看板を何気なく出すことは、町外から岩内へ来てくれる人に最初に感じてもらうホスピタリティーだと思います。

 「観光で岩内に人を呼ぶ」と言っても、このような気持ちが最初になければ、いけませんよね。

 ちなみに、この裏に書かれてある言葉は、わかりますか?答えは、実際に岩内に来て見てね。

道新で北海道マラソン特集

 マラソンのお話は日曜日だけですが、本日は道新に3ページもの特集記事が載っていましたので、別冊ということでご勘弁を。

 公道を走るフルマラソンの大会運営が大変なのは、通行止めをすることによる弊害だと思います。走らない方にとっては、単なる邪魔でしかありません。私も10年前は通行止めにされた側だったので、そのイライラ感はわかります。

 反面、走る側にとっては、いつも車がびっしりと走っている広い道を、信号なんて関係なしの優先で走ることができるって、嬉しいものです。ましてや、北海道マラソンは沿道の応援がたくさんいて、知らない方も応援してくれるのですから、表現できない喜びがあります。

 9千人のランナーに対し、5千人のボランティアが、北海道マラソンを支えてくれています。沿道の応援してくれる人を入れると、何万人という人が、この北海道マラソンにかかわってくれているのです。こんなワクワクすることができることって、なかなかありません。小学校のときの運動会前のような気分でしょうかね。いえ、大人になった今は、大会を支えてくれている人たちへ感謝の気持ちがあることが、子供の時と違う感覚ですね。

 多くの北海道の市民ランナーは、この北海道マラソンを目標にトレーニングをしています。私もこの大会で最高のパフォーマンスを出せるよう、1年間取り組んできました。後は当日の気温と体調を判断し、冷静にペース配分する事を心がけます。大会に携わる皆さま、どうか、そんな一人一人のランナーのドラマも感じながら、28日の一日を支えてください。

みなと新聞の北米地図

 水産業界の専門新聞、「みなと新聞」にはたまに付録がついてきます。その時々の魚をテーマに、グラフや地図が載っていて、保存版になっています。

 写真の地図は、アラスカ周辺の地図です。弊社とは何が関係あるのか?ですね。弊社で扱っているニシンの多くは、アラスカから輸入されたものです。北米のニシン漁は、サンフランシスコ沖合から始まり、カナダを北上していきます。北上と言っても、同じニシンが北上するのではなく、それぞれの地区のニシンの漁獲時期が北上するということです。

 北海道の水産加工屋さんが主に手掛けるニシンは、ブリストル湾で獲れたものが中心となり、毎年5月の連休前後の漁がどうであるか、インターネット経由で情報をつかむなどしています。アラスカのブリストル、コディアック、シトカなどという言葉は、私たちは日常茶飯事で使っています。

 今回のこの北米地図の付録は、漁業の点から見た重要な地名を網羅してくれているので、助かります。一般の地図ですと、観光地などの地名しか掲載されていませんからね。人が住んでいなくとも、立派な魚場となっている地名がしっかりと書かれてあります。興味のある方は、みなと新聞までどうぞ。

 余談ですが、雑誌の付録って、子供の頃はとっても楽しみでしたよね。 

シャッターに描かれているたら丸

 たら丸の絵が商店街のシャッターに描かれたのは、20数年ほど前のことです。いろいろなたら丸が、そのお店の商売に合わせて描かれていました。
 
 描かれた当時、私は岩内にいなかったので、詳細はわかりませんが、商店街活性化のアイディアだったのでしょうか?さすがに20年も経過すると、それぞれのお店のシャッターは新しいものに入れ替えられ、たら丸の絵は少しずつ消えてゆきました。

 でも、冷静に考えると、シャッターが閉まっているとたら丸を見ることができるのは、少々さみしいですよね。なんとか逆転の発想ができないものでしょうか?

 写真は商売をやめてしまった家具屋さんのシャッターです。たら丸ファンの皆さんは、こんなシャッターのたら丸を発見できるかもしれません。レアなたら丸探しに、岩内にぜひお越しください。

小沢駅のトンネル餅

 地方のお土産というのは、本当にいろいろな商品がありますね。ただ、なんでこれがこの土地のお土産なの?製造場所は実は札幌だったと家に帰って見て、がっかりなんて事は一度は経験した事があるのではないでしょうか?

 最近は、弊社の「にしんのおかげ」のように、地域資源を活用した商品開発というテーマに沿って作られている商品が目立ってきました。ただ、有名になるにはまだまだ時間がかかったり、製造コストと流通を考えるとお値段が高くなってしまうというのが現実です。

 しかし、それなりの低価格で、地元に古くから愛されている商品はありますよね。その代表格が、共和町小沢駅前の末次商会で販売している「トンネル餅」だと思います。函館本線の鉄道が開通した明治時代にできた「すあま」です。

 シンプルなのに、なくならずにずっと存在していることってすごいですね。作る側、売る側の努力はもちろんですが、商品の長い年月にできた深い小沢駅との歴史が、トンネル餅には込められているからだと思います。

 その日に売れるだけを作る。飾らない昔ながらのパッケージには、いろんな思いが詰まっていると感じるのは、私だけでしょうか。