月別アーカイブ: 2011年11月

第25回ビジネスEXPOに岩内町で出ています

 札幌の展示会場アクセスサッポロで、11月10日、11日の二日間にわたって、第25回ビジネスEXPOというイベントが開催されています。

 普通の展示会だけでなく、セミナーや商談会、パネルディスカッションなどさまざま。通常は、食品ならぱ食品だけに絞った展示会になりますが、このイベントはさまざまな業種が入り乱れています。

 ですから、ある業種を目的とされて来るには物足りないかもしれませんが、普段見る事のない技術や商品を見る事が出来て、その成功事例を聞く事も出来ます。

 岩内町は毎年出ていて、企業誘致と深層水のPRをしています。弊社の商品ももちろん深層水を使った代表的なものですので、並べていただいています。もしアクセスサッポロにお出かけの方は、ぜひ岩内町のブースにもお立ち寄りください。岩内海洋深層水ののぼりが目印です。

たら丸君のブログで大宣伝

 岩内のマスコットキャラクターのたら丸くんのブログが、 ぐうたび北海道 というサイトにあるのを、以前ここでもお話しました(9月8日付)。綺麗な写真をふんだんに、岩内の町やお店のPRなどを、独特の岩内弁を使って紹介しています。

 そのたら丸くんのブログで、なんと弊社の商品が紹介されました。2年ほど前に、貫田シェフが岩宇地区の食材を使って、パエリアを作ってくれました。その時、味のベースに「にしんのおかげ」が使われたのですが、その写真も載っています。

 折しも、ちょうど今期のスケトウダラ漁が始まった時に合わせ、一八を紹介していただきました。たら丸くん、ありがとう。岩内のファンの皆さま、私のブログとたら丸くんのブログ、両方のご愛顧を今後ともよろしくお願いいたします。

 しゃべることができないたら丸くん。めんこちゃん、にしん伝心、切込隊長、・・・と続く弊社の面白ネーミングを、実はとっても気にいってくれているのを私は知っています。どんな表情をしてたかって?買ってくれたらこっそり教えてあげるよ。

スケトウダラ漁が始まりました

 岩内の特産品、釣たらこの原料となるスケトウダラ。その漁が7日から始まりました。昔、多い時には100隻の数を超えていた、はえ縄スケソウダラ漁の船も、今年はとうとう3隻まで減ってしまいました。

 はえ縄という漁は、網と違って1本の縄に何本もの餌のついた釣針をつけ、それを海に流し込みます。時間をおいてから、その縄を回収すると、スケソウダラが生きたまま上がってくるというものです。

 網の漁は、海中で死んでしまいます。ですから、はえ縄で漁獲するほうが、断然鮮度がいいスケトウダラなのです。しかし、はえ縄の仕掛けを作る手間や漁の効率は、網の漁に比べれば、格段に悪いのです。

 水揚げが少なくなった理由は一つだけでなく、さまざまな要因が複雑に絡んでいるとされています。少なくなったスケトウダラ漁をなんとか踏ん張って続けている漁師さんには、かけた経費の下にならない漁があってほしいと願います。

 写真は初水揚げのスケトウダラです。一番下をご覧ください。釣針がついています。卵はまだ未熟ですので、たらこの原料にはなりません。やはり寒くならないと、卵も熟してきませんね。

調味料選手権2011は入賞でした

 日本野菜ソムリエ協会が主催する、 『調味料選手権2011~新定番調味料を探せ!~』の最終審査会が、11月3日に東京渋谷で開催されました。全国から選ばれた63品目の中から、11商品が最終審査へ。その中に、弊社の「にしんのおかげ」が入りました。

 当日、調味料マイスターと呼ばれる資格をもつ方が、担当の商品を3分ほど一般参加者にアピールし、その後、生産者が商品について1分程度アピールします。壁側には、商品が並び、試食していただきながら、生産者が説明をします。最後に審査用紙を投票箱に入れます。

 11品から上位の5位まで決定し、残りは入賞という形になります。にしんのおかげは、そこで入賞でした。他の商品を見ると、どれも素晴らしい商品ばかり。どの商品が選ばれても、甲乙つけがたいものばかりでした。

 上位には食い込む事はできませんでしたが、調味料マイスターや野菜ソムリエ協会などの多くのスタッフ、一般のお客様に「美味しい!」と言っていただきました。また、大豆を使わず、ニシン、麹、食塩だけでこの味を出せたということに、驚かれた方がたくさん。

 今回は、食ということに、日本各地でいろいろな取り組みをして、単に商品を売るということだけにとどまらず、努力されている人たちがいる。そして、それらを都会で伝えようと努力をしている人たちもいる。そんな人たちと交流ができた事が何よりと考えます。もちろん、これを機に「にしんのおかげ」の消費、ニシンの消費に繋がっていく事も願っています。

 写真は、「にしんのおかげ」の商品アピールを担当していただき、お世話になった調味料マイスターの伊能さんと。何年ぶりかの女性とのツーショットで、汗ばんでいます。笑ってください。

 

マラソンの年齢別

 中年市民ランナーにとっては、年齢別というカテゴリーを気にしている方は、結構いらっしゃるのでは?

 まだ参加人数が少なかった時のマラソン大会では、40歳以上と40歳未満だけの区切りが多かったように思えます。しかし、昨今のマラソンブームで参加者が増え、その表彰のカテゴリーが増えると、それだけ入賞の確立が高くなると思います。

 特に、39歳から40歳に変わる時、49歳から50歳に変わる時は、チャンスだぞと思うわけです。かくいう私も、来年になったら50歳になりますので、これからは「50代男子の部」になり、順位も上がるのでは?とほのかな期待が膨らみます。

 ところが、世の中そんなに甘くはないのです。同い年で同じ様に思っている人がたくさんいますし、最近では50代で強い人はたくさんいらっしゃいます。それと、当然のことながら、自身の体力が落ちてきている事も忘れてはいけません。

 と、一応謙虚な発言をしておきますが、昨年も自己ベスト更新をしている我が身です。どうか、50代ランナーの皆さま、優しく私を迎え入れてやってください。

 写真は、今年の札幌マラソンの表彰式です。

日没が早くなりました

 弊社の工場の終業時間は夕方4時50分です。終業後に工場から外に出ると、女工さんたちの、「雨が上がって良かったね」とか、「寒くなったね」などと言う会話を耳にします。

 つい数日前までは、工場から出ると明るい空だったのに、今は日没後に帰る事になります。当然皆が言う言葉は、「暗くなったねぇ~」。

 写真は岩内町の海岸通りの西の空です。太陽が沈む場所も、夏は北西の海だったのですが、最近は南西の雷電の方に沈みます。

 確か、東京に比べると今時は20分ほどの日没の違いがあったと思います。もちろん北海道の方が緯度の関係から冬は日没が早いのです。

 東京で学生だったとき、ちょっと天然系の女の子の友人に、「北海道って白夜になるんでしょ?」って言われたことがありました。彼女は北海道に来るにはパスポートが必要だと思っていた人です。ちなみに私の妻ではありません。

身欠にしんの栄養成分

 このブログでは、ニシンで作った味噌状の調味料「にしんのおかげ」の話題が多いですが、弊社の本業は身欠にしん加工です。毎日身欠にしんと数の子を作っているのですが、今日はニシンの栄養成分について。

 一般的なニシンに多く含まれる成分としてあげられるのが、ビタミンA、B2、D、E、カルシウム、鉄、DHA、EPA、セレンといったものです。ビタミンのお話は、たぶん皆さんの方が詳しいので、今回はDHAとEPAについて。

 赤身の魚に比較的多いとされるDHAとEPA。その中でも、ニシンはその含有量が突出しています。DHAはドコサヘキサエン酸と呼ばれ、脳細胞を活性化させる機能をもっています。EPAはエイコサペンタエン酸と呼ばれ、血液凝固防止、コレステロール低下などの機能を持っています。

 平たく言えば、DHAは頭が良くなるぞ、EPAは血液サラサラになるぞと言うことです。お子様には、ニシンを食べて頭がよくなる、お父様には、脳血栓の防止だよと言って食べさせるのです。

 能書きよりも、食べて美味いのが一番ですね。美味くて、食べながらこんないい成分もニシンにはあるんだよとご家族にお勧めください。ということで、今夜のおかずは、一八のソフト身欠にしんですね。ご注文をお待ちしています。

ナナカマドの実

 岩内の町木がナナカマドって知っていました?私は草木の知識がないので、ここで偉そうな事は申し上げられませんが、町内のあちこちにナナカマドが街路樹として植えられています。

 一週間ほど前の暴風雨によって、その街路樹の紅葉も飛んでなくなってしまったのが多いのですが、写真のナナカマドはしっかりと実がついて、葉も落ちていません。

 不思議な事に、この赤い実は、冬もしっかり残っていて、カラスの非常食になっています。他に食べ物がないと、これを食べるといったところでしょうか。

 さて、後ろの建物等を見れば、岩内の方ならばどこなのかお分かりですね。興味があって岩内に観光で来られる皆さまは、道の駅のお姉さんに聞くと、教えてくれるはず(?)です。 言い忘れました。道の駅ではお土産に一八の商品をお忘れなく。

サケトバがいわない広報に紹介されました

 岩内町の広報には、「活かそう!海洋深層水」というコーナーがあり、毎月深層水を使った商品や美味しい料理の作り方などを紹介しています。

 平成23年11月号に、サケトバに有効利用されているとして、町内のミワ本田商店で脱塩水を使っていると紹介した後に、一八興業水産でも使っていると記されています。でも、具体的な表現はありません。

 企業秘密の部分が大きいので、詳細はお話できませんが、味付けをするときに、弊社では深層水(原水)を使い、市販の食塩は使ってません。このほうが、塩角がなく、まろやかな味になるのです。

 弊社のサケトバは、岩内の道の駅限定商品です。いわない道の駅以外では販売されていませんので、岩内に来られましたら、ぜひ道の駅でお求めください。岩内のオスの鮭を使って、この岩内の工場で作ったものです。レアなお土産ですよ。

昭和44年の出火

 昭和44年今から42年前の11月1日、事務所から道路一本を挟んで建っていた工場が焼失してしまいました。私が小学校2年生のときだったと思います。

 工場の乾燥機は今のような電気ではなく、重油を使っており、その着火の不具合から出火をしてしまったとのことです。ずいぶん前の事ではありますが、ご近所のみなさんやさまざまな方にご迷惑をおかけしました事、お詫び申し上げます。その時、子供だった私の記憶を綴ります。

 寝ていた私たち子供は、母の「火事だー!おきなさーい!」という悲鳴にも似た声で飛び起きました。出火した工場と、私たち家族が住んでいた家はすぐ隣にあります。その時点ではまだ火は工場内だけだったものの、時間とともにどんどん火は大きくなり、屋根の高さを超えてしまいました。

 今の事務所に避難して、消防の消火活動を見守るだけなのですが、窓から見える大きな炎を見て、不安な気持ちが駆け巡りました。事務所の時計は夜の11時を回っていました。

 うっすらと雪が降っていました。道路は雪がありましたが、日が登れば消えてしまうくらいでしょう。そんな中、野次馬がたくさん集まってだれかが「さみーけど火であったけえな」(寒いが炎で暖かいな)と言った事が子供心にも悔しくてなりませんでした。

 その夜は親戚の家に泊めてもらいました。翌日、なんとか燃え移らずに済んだ我が家に戻りましたが、白衣を着た人たちが我が家に入り、いろんな調査をしています。焼け跡は焦げ臭さでいっぱい。窓のガラスは融け落ちて団子状態に。

 週明けの学校に行くと、口の悪い友人が、「俺んちまで火の粉が飛んで来たぜ」と私に言います。何も言えずに下を向いていました。

 ちょっとブルーな内容になってしまいましたね。ごめんなさい。私にとって11月1日は、この火事の日を思い出さずにいられません。工場の屋根裏に書き初めを発見しました。今は亡くなった前工場長が書いたものです。先代から火の扱いには注意しろと口酸っぱく言われていたからだと思います。

 災害は忘れた頃にやってくる。備えあれば憂いなし。口だけでなく、実行しなくっちゃ。