月別アーカイブ: 2012年1月

岩内町唯一の歩道橋

 小樽方面から岩内の町に入ってすぐのところに、歩道橋があります。そりゃあるだろうと思われる方は、都会の方ですね。北海道の地方のちっちゃな町で歩道橋があるのは、非常に珍しいと思います。

 1972年12月に完成したと書かれてあります。たぶん、これは現在の東小学校と第一中学校が同年11月に新校舎として建設されたので、この2校に通う児童生徒を安全に通学させるためにと作られたものと思われます。

 私も第一中学校に通う時は、この歩道橋を利用していました。しかし、当時の交通量はさほど多くなく、なんでわざわざ歩道橋を使うのさと思いました。歩道橋を使わずに横断したところを先生に見つかると、大目玉を食らいます。

 写真をご覧になって変な形と思うでしょう。なんと風除けがついているのです。私が学生だった頃は風除けはなく、猛吹雪の時の歩道橋の上はすごい風で、かえって危ない思いをしました。私が卒業してから、風除けが取り付けられたと思います。

 でも、部活で疲れた体には、この登り降りは辛いのです。第一中学校までは片道2km。その中にこの歩道橋。今思えば、毎日のこの歩きが足腰を丈夫にしてくれたのだと思います。

平成24年1月9日で50歳

 私ごとで恐縮ですが、1月9日になりまして、50歳となりました。昨年も書きましたが、1月8日が誕生日だったなら、「いっぱち」の日になるのですが、一日遅れの誕生ということで、『いっぱちになり損ねた男』でございます。

 1月8日に、組合の新年会がありました。その2次会のスナックで、私が明日50歳の誕生日だと言うと、青年部の若い人たちが近くのコンビニからショートケーキを買ってきてくれて、ろうそく5本を立ててくれました。お店からは、プレゼントもいただきました。

 この年で誕生日を祝ってもらうとは少々照れますが、若い人たちがすぐに行動してくれた事を、とてもうれしく感じました。 

 50歳と言えば一つの節目でしょうが、私自身はいつもと変わらず。とは言え、私にとって今の仕事をマラソンでたとえれば、折り返し地点でしょうか。と考えれば、本当の勝負はこれからです。

BYWAYという雑誌の紹介

 発行部数は少ないけれども、後志地方の文化などを上手に表現した 『BYWAY後志』 という雑誌があるのをご存知でしょうか?一般的な雑誌に見られる、広告を載せて利益を出すというものではありません。内容も非常に濃いものになっています。

 その雑誌の5号(現在最新で9号)に、私と岩内町の同業者若手2名がインタビューされている記事が出ています。テーマは、身欠にしんについてです。もう2年も前に発行されたものです。その時、記事を書いてくれたのは、郵便局に勤めていた若い女性のKさん。お世話になりました。

 発行のための資金はどのように?といろいろと考えてしまいますが、ここでその事に突っ込みを入れるのはやめることにしましょう。1冊1,050円と決してお手頃価格とは言い難いですが、内容からすると、この価格でよく収めたねという実感です。

 地方の良き文化を残したい。情報発信したいと思って人は多いと思います。私がこうして岩内の事を書いている事も、その一つです。お墓のような石碑で残すのではなく、言葉で伝え文字で残すべきことは、いっぱいあると思います。それが観光に繋がるのではと私は感じています。

 雑誌に興味がある方は、BYWAYホームページにて詳細をご覧ください。バックナンバーも取り寄せ可能とのことです。本州からの旅行者の皆さんは、千歳空港にも置いてあるようですので、ぜひ一度手にとってご覧ください。そして、後志に足をお運びください。

岩内町の円山スキー場とロープ塔

 岩内スキー場ができたのが、1980年。では、それまでは岩内のスキーヤーはどこを滑っていたのでしょう?通称観音山(かんのんさん)と呼ばれる、円山という岩内岳の手前にこぶのように突き出た山があります。その東側の北斜面を滑っていました。

 リフトはありません。ですが、私が中学生になると、ロープ塔と呼ばれるものが、地元のある会社によって設置されました。

 そのロープ塔は一本のロープが回転しているだけ。そのロープをつかみ、スキーをそろえて滑りながら登っていくのです。スキー手袋は摩擦によって、縫い目がどんどんほどけてしまい、何度も母に縫い直してもらったものです。

 握力が必要なので、力のない女性や、私のように小さな体の子は、山頂まで行くことができず、途中で手を離してしまう事もよくありました。スキー手袋の上に、ゴム手袋をしてグリップ力を高めるという事もしました。

 何年かしてから、細いワイヤーにTの字の取っ手をつけて乗るものに変わりました。ちょうどおしりをひっかけるようになってるのですが、最初ひっかけたすぐ後の衝撃をうまく吸収できず、転んでしまう人が何人もいました。

 てっぺんに行くと、T字の取っ手を下に戻るワイヤーにヤジロベイ型にかけて戻します。とここまで読んで、その風景を想像できた人は、実際にそのロープ塔を使っていた人くらいなものですよね。説明が難しいのです。

 私が中学、高校生だった時なので、1970年代のお話です。そのロープ塔の写真がないのが残念です。どなたかお持ちてはありませんか?ということで、今月の日曜日もスキーの昔話が続きます。来週もお楽しみに。

 

始業前のフォークリフトで除雪

 女工さんが出勤する前に、工場の若い男性と私は、会社周辺の除雪を行います。長年の経験をもとに、フォークリフトを使ったその効果的な除雪方法を書きます。

 大雪の時は、まず駐車場の広いスペースの軽い雪を一か所に集めます。その雪山には、軽い雪を積んだ後に、町の除雪車が置いて行った重い雪を取り除き、軽い雪の上に積み上げます。一日経過すると、雪山は締った状態になり、体積が縮まります。

 雪山は2つ作っており、連日降り続く場合は、交互にその山を作ります。雪が降らない日にその部分を排雪するようにします。工場の入り口、シャッターの部分は、人の手で雪をかき出して、フォークリフトが一回で持っていけるようにします。

 フォークリフトは車高が低いので、凹凸の部分には弱く、大雪の時はお腹に雪がすぐに溜まってしまうので、深追いしないことが注意点です。また、持ち上げる力はありますが、下げる力がないので、積上げることを上手に使う事を心がけます。

 要するに、①ためる、②積上げる、③持って行く、の動作を少ない回数で行いますが、本来フォークリフトは除雪を目的とした重機ではないので、他にもいろいろと注意点があります。これ以上は弊社商品ご購入の方のみに、特別にお教えいたします。(すごい商売?)

 除雪、排雪は、その広さ、地形、ご近所との関係、時間帯等によって、ケースバイケースで考えなければいけないと思います。工場を動かすという仕事をしていると、やはり効果的な方法は何かを追求したくなるのです。

海とさかな自由研究・作品コンクールの新聞記事

 写真は、水産業界の専門新聞「みなと新聞」平成23年12月28日付の記事です。朝日新聞社の主催、大手水産会社が協賛して、小学生を対象に 『 海 と さかなと わたしたち 』 というテーマで、自由研究、観察図、作文、工作、絵画、絵本、音楽などで『表現』するというもの。

 海とさかな自由研究・作品コンクールのホームページには、このコンクールがどのように生まれたかの記述があります(誕生のエピソード)。それを読むと、せっかく私は「北のお魚大使」の試験に合格して、大使として称号をもらったのに、何をやっていたんだと反省させられます。

 コンクールに応募すると、全員が海とさかな博士号の認定書をもらう事が出来て、入賞すると図書カードと東京ディズニーリゾートへ家族で招待されるらしです。毎年行われているので、ぜひ小学生のお子さんをお持ちの方はチャレンジを。でも、親御さんがディズニーリゾートに行きたいからと、手伝い過ぎてはダメよ。

 私たち加工業者は、魚ばなれが深刻なのに、人事のように売れないとぼやくだけ。弊社のようなちっぽけな会社ができることなんてしれていますが、何もしないのは罪です。ちょっとでも役に立てられるよう、今年は子供たちに魚に興味を持ってもらえる何かをしたいと思います。

家具の栗林の前に、今年もたら丸登場!

 岩内町駅前通り商店街にある「家具の栗林」。そのお店の前に、今年もたら丸の雪像が登場しています。

 昨年、同時期に商店街を盛り上げようと岩内町のキャラクター「たら丸・べに子」をお店の前に雪で作り、話題づくりをしました。一人だけではなく、たくさんのお店の人たちに、この輪が広がってくれたら、商店街が楽しくなるのではと始めたものです。

 今年はたら丸、べに子のほかに、ピン助も登場。素人目には、昨年よりは上手になったなと感じました。夜にはいくつかキャンドルが灯せる穴などがあったりして、ちょっとした細工が楽しませてくれます。

 昨年は、成人式の後、何者かに蹴り壊されてしまったとのこと。栗林クンと中学、高校と同じクラスだった私がこっそり皆様に教えましょう。彼は今は立派な商人ですが、学生時代は、ちょい悪でした。ですから、もし彼が学生の身分だったら、蹴りを入れた側だったと思います。

 そんな彼が、今や岩内をなんとかしようと、コツコツと頑張っているのですから、とてもうれしいですね。お店に行ったら、そんな話題を持ち出してお買いものをお楽しみください。 

2012年の年賀状

 今年もたくさんの年賀状を頂きました。ありがとうございます。

 年賀状の内容は、その時代や家族の環境がよくわかります。今年はお子さんたちが進学して親として大変になったというコメントが多かったですね。そして、私は使いましたが、「あけましておめでとう」という言葉が入らないものが多かったと感じました。私の気のせいかもしれませんが、昨年の震災を経て、おめでとうという言葉を使う後ろめたさがあるのかもしれません。

 お子さんの写真を載せたものが年とともに減ってきています。小学生ころまでは、かわいいと思う親心。でも中学生にもなると、写真を撮られることを嫌がり、ましてや年賀状に載せるともなると、「勝手に載せるなよ!」と口ごたえをする憎らしさ・・・と勝手に想像しています。そんな想像力を最大にして、その友人知人を思うのも、それまた年賀状の楽しみでもあります。

 20年以上お会いしていないのに、年賀状だけは毎年やりとりしている人。今お会いして私の顔を覚えていてくれるだろうかと思うこともありますが、年賀状1枚でも人のつながりをもつことができて、ありがたく感じています。

平成24年元旦の岩内町

 岩内町は大晦日から元旦にかけて、とても穏やかな天候でした。お正月のお休みは、ゆっくり過ごされているでしょうか?

 元旦の気温は上がり、降り積もった雪も湿り気を帯びていました。初詣に出かける人たちが、鳥居を潜り抜け、岩内神社に向かっています。

 メインストリートもとても静か。ご近所さんの家の前には、息子さんや娘さんの家族が戻ってきているのかと想像できる、見慣れない車が止まっています。一方、実家に帰ったのかなと思えるお家もあります。

 そのご家庭の雰囲気はわかりませんが、きっとくつろいでお酒が入って、団欒しているんだろうなと。

 でも、世の男連中よ、気を付けたまえ。あまりだらだら飲んだくれてばかりいると、奥さま、おかぁ様には、「何もしないで邪魔だ」と言われます。弊社の女工さんたちが正月明けにいつも言うセリフです。何事もほどほどにという事ですね。女性陣にもサービスをお忘れなく。

夢は60歳の北海道マラソンで3時間切り

 新春、皆さんはどんな初夢をご覧になりましたか?

 さて、今日は寝て見る夢のお話ではなく、現実の私の夢についてお書きします。商売の夢はたくさんありますが、今回は個人的な事の夢です。

 市民ランナーにとって、サブスリー(フルマラソン3時間切り)は夢のタイムです。私もその多くの市民ランナーの一人で、ゆくゆくは3時間を切りたいと願っています。

 それも条件つきです。私が60歳になった時の北海道マラソンで初めてサブスリーを取るというものです。今現在の持ちタイムは3時間13分。じわじわと毎年更新していますが、今年50歳。あと10年かかっての達成です。それまではどんな大会でも3時間を切らなくていいのです。

 人間の走る体のピークが何歳なのかは、その人によって違うと聞いた事があります。でも、一般的に考えると、50歳を超えれば当然肉体的に下降していくもの。それをまだ先の10年後にピークを持ってくるなんて、普通の人が聞けば、笑っちゃうでしょう。私も言いながら笑います。でも、それが夢なのです。

 一流選手は、若い時にピークを迎えることでしょう。でも、市民ランナーにしかできないそんな馬鹿げた記録。私にとってはオリンピックの金メダルに値すると思います。

 北海道マラソンと決めたのは、毎年私がその大会を、メインレースとしているためです。ランニングの練習、他の大会への参加はすべて北海道マラソンでベストを尽くすための逆算の行動だからです。

 そんな夢を実現するためには、いろんな困難が予想されます。実現するために、一歩一歩あせらず進んでいきます。