月別アーカイブ: 2012年3月

札幌の皆さま、今週末はHUGマートへ

 道産食彩HUG(はぐ)というお店をご存知でしょうか?札幌狸小路5丁目にある、北海道の食材を集めたお店です。野菜やお米、加工品など、道産の原料を中心に作られたものを販売するお店がハグマート。飲食ができるのがハグイート。

 そのハグマートで、今週末24日(土)25日(日)の二日間、試食販売を行いますので、ぜひお越しください(2012.3.24-25)。普段は「にしんのおかげ」だけしかお店に置いていないのですが、キッチンと呼ばれる催事スペースをお借りして、いろいろと6品目を試食販売いたします。

 初日は私の妻が一人で対応させていただきます。二日目は、初日の状況で私も登場いたしますので、お楽しみに。せっかくの機会ですので、声をかけていただいて、いろいろとご要望等言っていただけたら、何よりです。

 慣れていないので、要領が悪いかもしれません。一人で対応いたしますので、お手洗いに行っているかもしれません。その点はちょっと目をつぶっていただいて、皆さまとお会いしてお話できるのを楽しみにしています。

 

冬に逆戻り

 毎年の事ですが、雪解けが進んでいよいよ春だなと感じても、そのままあっさりと春にはならないのが、常ですね。

 写真は3月19日の朝と夕方、おなじみのご近所さんの風景。南に向けて撮ったものです。夕方は一転吹雪となって、100m先の建物が見えなくなってしまいました。気温も氷点下。風が強くて体感気温はかなり低くなりました。

 数日前までは、アスファルトが出ていて、雪融けの水が流れていました。除雪で積み上がった雪山も、一日一日と小さくなってきていましたが、今日は氷の塊と化してしまいました。

 でも、こうして三寒四温を繰り返しながら、着実に春に向かっているのですから、不思議ですね。岩内ならではのこの吹雪。凍った路面は危険です。ランニングどころではありません。

『八興会館』 その4

 昭和38年に建設された八興会館。当初は剣道と柔道が半々のスペースで使っていました。数年後に本館の北隣に柔道場が建設されました。2階は卓球の台が数台並んで、ここは一般の人にわずかな料金を取って使わせていました。

 道場としての利用だけでなく、公共の施設として利用されてたのをご記憶にあるでしょうか?それは選挙投票所でした。今は大浜地区の人たちは、文化センターまで行って投票をしていますが、平成18年の取り壊しまでの間は、八興会館がその役目を担っていました。

 お葬式会場としても3度使われています。紀伊右エ門の妻、紀ナミが亡くなったときの葬儀で使われた時は、八興会館に入りきれない人と花が並んでいた記憶があります。次に管理人である大泉さんの息子さんがスキー事故で亡くなった時。最後は、平成3年9月館長である紀伊右エ門本人の葬儀でした。

 建物は隙間だらけの安い作りではありましたが、「道場の床は先生方と先輩方の汗と涙が染み込んだ宝物」という事を生徒のお父さんが言ってくれたと、大泉さんからお聞きしました。

 写真は岩内柔道会の創立50周年記念誌に載っていたものを使わせていただきました。上が開館翌年。下は本館ではなく、柔道の別館での写真です。胸に「八興」という刺繍が入っていたのですね。

トレッドミルでの練習

 トレッドミルっていう言葉を初めて聞いた時、コーヒーを入れる機械かねと思いました。なんて事はない、室内用のランニングマシンです。最近では、自宅にこの大きな機械を入れてランニングの練習をしている人もいるらしいです。

 スポーツジムに通っている人は、操作方法もおわかりでしょうし、いろいろな使い方をして持久力を上げるために役立てている人も多いと思います。雪国の人たちにとっては、外を走れないときの有効な手段でもありますね。

 ただ、いつも思うのですが、あの風景はまさにネズミが輪をぐるぐる回っている姿そのもののようで、滑稽だなと。もちろん私も使いますので、私もそのネズミのようなものでしょう。

 私の知り合いに、ロードのランニングをまったくしないで、トレッドミルだけの練習をしている人もいましたが、ある程度のところまでで、強くなりませんでしたね。 

 心拍数が計測できるのがいいですね。1kmのインターバル走を7本とか、10kmの距離を後半スピードを上げていくビルドアップなんかを、心拍数と相談しながら走ることができるのがいいです。

 ランニングの練習の補助として雪のシーズンや雨の日だとか、女性なら外を夜に走りたくないなどの理由で使うのはいいですが、やっぱり外で風を切り、変化する風景を見ながら走るのがいいと思いますが、皆様はいかが?

 そもそもマラソンにはまった人って “M” ですものね。ベルトの上だろうが、水の上だろうが、走りそうですもんね。

献血で血の気を抜く?

  真冬のいつだったか忘れましたが、札幌に出張した時、お昼休みの時間が空いて、どうしようかと思いました。とっさに思いついたのは、“献血”です。札幌のアスティー45に献血ルームがあり、そこで献血をしてきました。

 学生時代は献血の移動車が来ると必ずやっていました。私が高校生の時の岩内では、小林書店の前にそのバスが止まっていましたね。当時は200mlだけでしたが、今は400ml、成分献血などありますね。400mlが不足気味ということでしたので、迷わず400ml。 

 昔とはずいぶん違って、問診も他の人に声が聞こえないようになっていて、タッチパネルでプライバシーに配慮。飲み物だけでなく、パンまで置いてある。献血するシートも小型テレビ付で、至れりつくせりでした。こんなにお金をかけてもいいの?と思ったほどです。

 周りの人よりも早く終わってしまいました。血の気が多かったのでしょうか?いつも何かに怒っているあなた、献血で血の気をたまには抜けば、丸くなった考えができますよ。違うって?

小樽駅中で一八の商品が買えるようになります

 2月の下旬に道新に掲載された記事ですが、小樽駅の改装が進められていて、駅中がリニューアルします。昭和9年に建設された、道内鉄筋作りの最古の駅舎です。耐震工事と合わせて、当時の外観を修復させるらしいです。

 バーガーキング、可否茶館、ベーカリー、北海道キヨスクの土産店、そして小樽後志の産品を集めた「駅なかマートタルシェ」の5店舗が4月下旬のオープンを目指して準備をしています。

 駅なかマートタルシェでは、弊社の「にしんのおかげ」「にしん伝心」「みりん干し」が当初店舗に陳列いたします。小樽にお住まいのみなさん、小樽駅をご利用の皆さんは、オープンしましたら、ぜひこちらのお店のご利用と、弊社商品のご利用をお待ち申し上げます。

 昔の小樽駅をご存知の方はお分かりでしょうが、トイレは奥まったところにあり、ニオイもちょっとして、いまいちでしたよね。それが今はトイレはとても綺麗になりましたし、これらのお店がオープンしてにぎわいが出ることがとても楽しみです。

オメガ3がタラ、スケソウタラにも

 先月の水産業界誌「みなと新聞」に、ノルウェーの科学者がニシンやサバなどに多く含まれていると知られているオメガ3が、タラやスケトウダラにも多く含まれている事を実証したと掲載されていました。

 オメガ3ってなに?理系の説明はネットで御調べください。文系的な解釈では、頭がよくなる成分のDHA、血液さらさらにするEPAを含む総称のことと思ってください。とにかく、人間の体にいい成分だと。

 最近は、消費を伸ばすために、いろいろな食べ物がどんなことに効果があると言った研究発表がありますね。最近ではトマトがメタボに・・と出るやトマトジュースがなくなってしまうし。以前はバナナダイエットでバナナがなくなった事もありましたね。

 まぁ、私たちも身欠にしんはDHAとEPAがとっても多いのですと言っている割には、ニシンがなくなる事はありませんが・・・。食べ物がこんなことで一時的にブームになったりすることがおかしいですよね。いろんなものをまんべんなく食べるのが、一番の健康だと思うのですが、いかがでしょう?

日本アスパラから深層水使用のカフェオレが出ました

 岩内の優良企業である、日本アスパラガス株式会社。会社名の通り、昔は岩内周辺で栽培されたホワイトアスパラガスを缶詰にしていたのですが、今は飲料缶やペットボトル製品の製造をしています。

 飲料大手の仕事を請け負っているのですが、自社のブランドで海洋深層水のミネラルを使った水を500mlのペットボトルで販売などをしています。また、以前このブログでは、省エネ大賞を取った事をご紹介しました。(H23.11.12付)

 先日、ある会合でニチアスの常務にお会いした時、岩内の海洋深層水のミネラルを取り入れたカフェオレを新発売するとご案内をいただきました。自社ブランドの商品なので、大手の自動販売機には入りませんが、もう買うことができるそうです。どこで?北海道のあちこちでとのことですが、具体的にはわかりませんので、お問い合わせください。

 岩内の深層水を使った商品開発の代表事例です。弊社もいろいろと使っていますが、このような生産能力の大きな企業が使うと、効果は大きいですね。

雪融けが進みます

 真冬では、除雪をしながら夏の暑さなんてまったく想像できないのに、こうして日中暖かい日差しがあって雪融けが進むと、季節が確実に変わっている事を感じます。

 写真は、会社のご近所の風景です。左は1月21日撮影。右は3月11日撮影したものです。人が住んでいない建物の前は、まだ雪山がありますが、人が住んでいるところは、人の手が加わるので、早く雪はなくなっていきます。

 雪融けを早めるために、固くなった雪を崩し、表面積を大きくします。プラスの気温とある程度の風があると、日に日に残雪が小さくなっていくのが実感できます。

 これから冬に向かうときには、なんとなくブルーになるものの、春に向かっていくときは、心が晴れやかになっていきます。でも、アレルギーの症状がそろそろ出てくるのかと思うと、ちょっとなぁ~

『八興会館』 その3

 昭和38年に私費で建設された八興会館。運営も町に頼らず、私費で行った全国でも類を見ない道場。一般的に考えるのは、余裕のある資金を使って建設したと受け取られがちですが、それはまったく違います。
 
 昭和29年の大火後、会社の経営も厳しい状態になっていました。個人的な蓄財などあるわけがなく、それなのにどこから当時の450万というお金を工面できたのでしょう?

 建設当時、息子である紀八郎氏(現社長)は一八で専務として働いておりました。まともに考えれば、建設を賛成する身内などいるはずがありません。身内を説得するなどという方法を取らず、半ば強引に当時の専務を内地(本州)に出張に出させ、出張先へ次から次へと次の訪問先を指示し、1カ月近く帰って来させなかったとのこと。
 
 専務が帰ってくると、八興会館はほぼ出来上がっていたというのです。会社には田村さんという金庫番がいて、紀伊右エ門の強引な手法を裏で支えておりました。当時の金銭感覚では、借金を含めて個人資産も会社の資産も同じようなもの。あくまでも私の推論ですが、社長への貸付という形で、会社が建設資金を立替え、返済は社長の給与をそのまま当てたのではと思います。

 それゆえ、質素な生活でしたし、私たち孫は世間に当たり前のようにある祖父から孫へ何かを買ってもらったり、お年玉をもらうなど一切ありませんでした。私が祖父からもらったものは、唯一小学生のときに九州の出張先から送られてきた絵葉書1枚だけでした。

 「志を先に持って突き進め、金は後からついてくる」と私には見えます。高度経済成長という時代背景が後押ししてくれたのでしょうが、「志」が輝いていたからこそ、それに共感する多くの人たちによって支えられた八興会館でもありました。