私の祖父である紀伊右エ門は15歳の時に、新潟の佐渡から北海道に渡ってきました。幼い時に両親と死別。祖父母に育てられたと聞きます。
祖父母には、「これからは満州か北海道の時代だ。どちらかを自分で選んで行きなさい」と言われたそうです。それで北海道に渡ってきてくれたのですから、今の私がいるのもその時の紀伊右エ門の選択に感謝しなくてはなりません。
紀伊右エ門は、祖父母に「将来は人のためになる事をしなさい」とも教育されてきたらしいです。その人のためということが、八興会館建設によって、青少年の健全育成へとつながったのではないかと私は推測します。
紀伊右エ門自身は剣道、柔道とはまったく無縁でした。建設した後の運営を町に一任するほうがよいと回りから勧められたのを振り切り、自ら館長に就任し、その維持運営も私費にて行ってきました。
それほどまでの熱意とはどんなものであったのか、孫である私にも理解ができません。金銭的な余裕などまったくないのに、誰も真似のできないことを実行した、とんでもない人物であった事は確かです。