月別アーカイブ: 2013年3月

週末の荒れた天気と、帰ってきたオージー

 今年のスキーシーズンを振り返ってみると、週末に荒れた天気が集中し、雪が多いにも関わらず、せっかくの日曜日にスキーに行くことができなかった日が多かったです。

 2年前の3月11日の震災後、ニセコのスキー場からはめっきり人がいなくなりました。昨シーズンは多くのオーストラリア人も来日を控えたように見受けられました。

 今年もその延長かと思われましたが、関係者のお話を聞かせてもらうと、オーストラリア人は震災よりも多く来ているようです。日曜日に行く日本人よりも、長期滞在し平日の空いているときに利用してくれる彼らは、スキー場にとってはいいお客さまです。

 彼らのニセコでのスタイルも変化しています。昔はナイターまでたくさん滑るのが目的だったのに、夜はゆっくりバーや居酒屋などに繰り出して楽しんでいます。また、近年増えてきたコンドミニアムなどに滞在し、食糧は倶知安町まで出てスーパーで買い物をしています。

 そして、ヒラフだけに限らず、少しずつ行動範囲を広げているような感じを受けます。それだけ北海道に毎年来て、日本の生活、交通手段の利用方法、街でのショッピングに慣れてきているのでしょう。今後も同様に楽しいところを探すようになれば、いろんなビジネスチャンスが出てくるかも知れませんね。

 最近覚えたのですが、オーストラリア人の俗称をオージーと呼ぶのですね。写真は、ヒラフスキー場の見晴しコースから見た羊蹄山です。(3月17日撮影)

 

異動のあいさつ

 3月末、公務員の方の人事異動が多くありますが、私のところにもたくさんの異動しますというメールが届いたり、ご挨拶に訪れる方がいらしたりしています。

 せっかくわかってきた間柄、これからという時の異動はなぜ?というものもありますが、いろいろな事情の上で決まったことなのですから、致し方ありません。

 異動のお話を聞くと、ちょっとうらやましいと思うこともあります。ある意味、リセットできるじゃないですか。私たち経営者はどこにも逃げることはできません。

 異動されるみなさん、今までありがとうございました。とはいえ、人のつながりはどこに行ってもそのまま残ります。異動されても新しい職場で早く仕事に慣れて、前向きにお仕事をされることを期待しています。

 写真は岩内町役場庁舎です。上記の内容には関係ございません。

稲穂峠の登坂車線が延長しました

 余市から岩内方面へ向かうと、稲穂峠という場所を通過します。積丹半島の東と西を分ける峠でもあり、この峠を越えると天気が違っていたなんてことはよくあります。

 ここ数年で、この稲穂峠には登坂車線ができました。岩内側には2か所。余市側に一か所あったのですが、先週からこの余市側の登坂車線が長くなりましたので、ドライヴ好きの方には朗報ですね。

 真冬の雪が降っているときもずっと工事をしていました。昔だったら、雪が降っているときは土木工事はしなかったのに、今は違うんですね。こんな発言は素人なので、ごめんなさい。

 走りやすくなったとはいえ、やはり気をつけてください。今時期は特にトンネル内はまだまだ凍っているほうが多いので、安全運転で岩内にいらしてください。

さよなら、佐々木亨君

 水産加工の同業者で、カクイチ佐々木商店の佐々木亨君が、4年に渡る闘病生活の末、3月24日に亡くなりました。49歳という若さで彼がいなくなったことは、ご家族だけでなく、多くの人間を悲しませることとなりました。

 恵まれた肉体で運動に関しては何でも上手にこなし、お酒の席では常に周囲を笑いに巻きこむ人間でした。そのため、彼を慕う後輩もたくさん。また異業種の多くの人間も上下関係にかかわらず、いつも彼の近くにいたものです。

 高校を卒業して家業である水産加工に従事。若くして結婚。仕事に関しては、親を立てつつプロとしての厳しさもしっかり身についていました。

 「あまりに早すぎる」と誰しもが思います。しかし、彼の生きざまを見ていると、太く短く毎日が濃い人生だったのではないかと思わざるを得ません。

 昨年、長男が結婚。そのとき、「孫を見るまでは死なない」と約束をし、その約束をちゃんと果たし、1か月ほど初孫を抱くことができました。ほんとに大した奴です。

 長男は告別式の最後に立派なご挨拶をされました。亨君、逝ってしまった後のことが心配だろうけど、大丈夫。佐々木家、カクイチ佐々木商店はみんなが支えあって強いよ。安心して眠っていいよ。

 多くの思い出をありがとう。

天ぷらラーメンの記事

 二日続けて北海道新聞の記事を使わせていただきます。今日は天ぷらラーメンのお話。数日前の後志版に出ていました。

 テレビのケンミンショーという番組で、岩内町にはえび天ラーメンなるものが存在する。塩ラーメンにえび天がのっている。と番組で紹介されました。私のブログでも紹介をさせていただきました。(こちら)

 あまり大きな声では言えませんが、確かにメニューにあるものの、その存在を町民のほとんどの人が知りませんでした。当然注文をするひともいなかったのですが、テレビで紹介をされてからは、注文が格段に増えたとのこと。

 道の駅の近くにある、「ささや食堂」さんで食べることができます。ただ、それまで弊社の身欠ニシンを使ってくれた、「にしんそば」の注文が減ったとのことですので、そちらのご注文もよろしくお願いいたします。

村本テントさんの山菜用リュック

 先日の北海道新聞社会面に、岩内町の村本テントさんの作る、山菜用リュックサックの記事が出ていました。社会面だと、反響が大きいのではと想像します。

 山で採った山菜を入れるためのもので、作りはかなり丈夫で、色は山でもしっかり認識ができる山吹色。ユーザーの意見を聞くと、「山菜採りにはなくなはならないもの」だそうです。

 このお店は弊社よりも歴史がある1911年創業。102年ですね。弊社は今年99年です。本州企業ではこれくらいの歴史は珍しくないのかもしれませんが、北海道の中で100年を越える歴史を持った会社となるとそうあるものではありません。

 現在は34歳になる息子さんが数年前に帰ってきて頑張っています。完全な3ちゃん経営(父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃん)ですが、女性陣の製品チェックは厳しく、品質管理はかなりのレベルだと思います。岩内に来たら、ぜひお立ち寄りを。かわいいお孫さんと、ねこちゃんがお出迎えしてくれます。

アカシア公園はまだまだ高い雪山

 3月半ばを過ぎ、春分の日を越しても、荒れた天気が続いた先週一週間でした。昨年は道路もほとんど雪がなくなって、ランニングができる状態でしたが、今は歩道にたっぷり雪が残っているので、まだランニングはできません。

 写真は弊社の近所にアカシア公園。ここは、除雪のラッセル車が付近の雪をどんどん飛ばして雪山にするために、標高5mほどの高さになっています。

 これでもピークの高さよりはかなり低くなりました。先週前半の雨で、街中のどの雪山も小さくなりました。ところが週後半からは気温も下がり、雪山はガチガチの氷の状態に。

 この氷の状態になると、表面をコーティングをした状態になって、融けにくくなります。さてさて、今週の気候はどうでしょう?新学期が始まるまでには、歩道の雪はすべてなくなってほしいものです。

春スキーに近づくスキー場

 スキーをする人たちにとって、いつまでがスキーシーズンなのでしょう?私が中学、高校生の時は、ニセコひらふスキー場が5月の連休で営業をやめるので、それまでという感覚でした。今の私は、さすがに3月までですね。

 4月になると雪もぐちゃぐちゃ、コーンスノーと呼ばれる小さな氷の状態になったり、それはそれで春を感じながら滑るので、楽しいものです。5月の連休は、いわゆる好きモノしかゲレンデに集まらず、ハイシーズンの雰囲気とはまたちがったものになっています。

 年によっては、雪が多かったり少なかったり。少ない年は下りもリフトを利用するような形になります。今年は雪が多く、融け方も遅いので、5月の連休はどこまで残っているか、楽しみですね。

 一方、滑ることができる範囲が狭まってくると、それだけスタッフも少なくなります。私が黒松内駅伝などでもいろいろとお世話になった東急リゾートのFさんは、4月から東京への転勤となりました。こうして、少しさみしい季節の変化を感じるのが春スキーでしょう。

 でも、青空が広がるもとで、シャリシャリと音を立てながら滑る春スキーはいいものですよ。また、雪がなくなると宿泊街もゴーストタウン化していたものですが、今のニセコは夏もたくさん楽しむことができます。

 ということで、ニセコ積丹への旅行は、ぜひ岩内町を経由、または滞在のプランでお考えください。

 写真は、ニセコひらふスキー場の1,000m台地と呼ばれる場所から山頂付近を3月17日に撮ったものです。5月の連休でも、たっぷりここには雪が残っています。

昔の封筒

 しばらく書いていなかった、弊社の「昔懐かしもの」。今日は古い封筒が出てきましたので、それについて。

 茶封筒の裏には、面白い書き方が並んでいます。朱色で書かれたのは、元祖一八印 味の肴 雷電義経焼 製造元 と書かれてあります。残念ながら、二つとも今は製造をしておりません。

 私書凾一八号と書かれてありますが、郵便局の私書箱ですね。電話が一八番 六番甲(昼間) 六番乙(夜間)とあります。市外局番などは書かれていないので、交換手による呼び出しで使われていた時代だったのでしょう。

 発信略号、受信略号と書かれてあるのは、電報に使われていたものです。銀行名で今も同じ名前で書かれてあるのは、北海道銀行のみ。

 たぶん、昭和30年後半に使われていたものではないかと思います。50年ほど前の封筒ということになりますね。しかしまぁ、いろんなものが出てくる会社ですね。出てこないのは、昔のお金くらいなものでしょうか・・・

札幌での会合

 先日、札幌のホテルロイトンで、第49回全国水産物大手荷受・荷主取引懇談会という会合に参加してきました。

 全国の市場のみなさん(荷受)と、私たち市場に荷物を送る側(荷主)が一同に集まる会です。49年も続いているのですから、すごいことですね。でも、今日は違う側面からお話をさせていただきます。写真を見てお分かりのように、女性がまったくいないのです。

 全国の水産の市場を回っても、担当者が女性だったのは過去に一社だけでした。なぜ女性が少ないのか?市場は夜明け前からの仕事。魚の臭い、気性の荒い人達を相手に、・・・・・いろいろなことが言えるでしょう。

 でも、食べ物を販売するには、女性の感性というのはとても大切だと思います。それらを前に押し出して商品作りや売り込みをするには、このような会合に女性参加の比率が上がらないと、現状打破は難しいのかなと、ふと感じました。

 写真のごとく、私を含めて白い頭や薄い頭だけだと、景色は悪いですよね~。