平成6年から始まったこの大会も、今回を持って終了するとのこと。私が今こうしてマラソン大会に出場するようになったのも、この大会があったからです。
平成9年に初めて出たのは10k。コースは原子力発電所の裏山を登り、その日だけ特別にゲートを開け、原発敷地内を走らせてくれるというもの。その高低差と言ったら半端ではありません。海岸に降りると、強い海風に苦しむという難コースでした。アメリカ9.11テロの後、敷地内は走れず、10kコースはなくなり、今の5kと3kのみとなりました。
その間、3人の子供たちとそれぞれ親子の部で参加したこともありました。組合の青年部中心に大人数で参加し、終わった後に昼間っから焼肉しながら酔っぱらったこともありました。
原発3号機の建設中の時は、工事関係者などが自分の意志ではなく参加している人たちの方が多く、走るのは一年でこの日だけという人も珍しくありません。でも、一年に一度でも職場の仲間とお揃いのTシャツで苦しんで走っても、終わった後には楽しそうな顔になっているのが、この大会のいいところでもあります。
さて今年、私は5kに出場。北海道マラソンの後は軽い燃え尽き症候群になって練習不足でした。やっぱり5kは短いので苦しかったです。スタートダッシュは、砂地なので砂煙が立つほどの勢い。私はこのスタートダッシュが苦手。折り返しでゼッケンから年代別入賞するにはあと4人抜かなくてはならないとわかり、じわじわと。私が速くなったのではなく、前にいた人がペースダウンしてくれました。予定通り4人を抜き、年代別6位入賞。19分17秒。自己ベストは遠のきました。順位は速い人が出なかったので、そのおこぼれをいただきました。副賞の御煎餅、ありがとうございました。
大会がなくなるのは寂しいですが、大会そのものの役割は充分果たしたと思います。なくなる大会もあれば、生まれる大会もあります。原発という特殊な場所で都会の大会とは一味違った大会運営をしてくれた関係者のみなさん、素敵な思い出をありがとうございました。