最近、岩内の風景というカテゴリーでご紹介するのは、建物などが取り壊されるお話が多くなってしまったなと感じていますが、今回もまたひとつ。
岩内町の西のはずれ、雷電方面へ行く途中に、「島野交番」があります。数日前に取り壊されてしまいました。写真は工事を知らせる看板があったので、あわてて撮ったものです。今はすっきり更地になってしまっています。
島野村が岩内町と合併したのは1955年。私たちより上の世代では、野束地区と敷島内地区を合わせた地区を「島野(しまの)」と呼びます。学校も島野小学校がありましたしね。今は郵便局が、「島野郵便局」と名前を残しています。
交番は日本が誇る治安維持の要。昔はその交番としての機能がしっかりと果たされていたことでしょう。しかし、時代は変わり、島野交番の役割も終えたということなのでしょうね。どれだけの警察官がこの建物で生活し、転勤して行ったのか、ちょっと興味がありますが・・・
交番の取り壊し・・・何か寂しい感じがしますネ。
私の地域にも駐在所があり、数年ごとにお巡りさんが変わります。もう、何人目ですかね~。
小学校の同級生で転校して来た子がいて、その子のお父さんも駐在さんでした。30年以上前の事なんで、もうその方は転居されています。
地域の治安を守ってこられた駐在所勤務のお巡りさん、まさに、治安の要ですね。
ちなみに、今は旭川出身の方が駐在し、私達の地域を日々守って下さっています。
おまわりさんの異動は早いですものね。
交番は、岩内には駅前のマリンプラザ交番というのが有ります。
ただねぇ~、地元の人間にとっては、車を運転してつかまって、そこで取り調べを受けたなんて経験のほうが多いのかな~。
・・・幸いな事に?取り調べの経験はありませんが(^_^;)
いろいろな駐在さんがいらっしゃいました。
吹奏楽の経験があり、地域の祭りでその腕前を披露して下さった方。地域の集まりには必ず出席して、来賓挨拶で深イイんだけど同じ話を(すみません)?何度も聞かせて下さった方etc・・・
『どれだけの警察官がこの建物で生活し、転勤していったのか』と、いう言葉に温かさや、何か大切なことを思い出した気がました(^_^)
地域に異動で人の出入りがあるというのは、ある意味いいものですよね。
別れの時は寂しいものですが、その場だけの常識が実は違っていたなんてことをわからせてくれたり。
数の子オヤジさんは、きっと駐在さんとはとても縁が深い関係で生きてこられたのだと思います。
私の言葉に温かさ?・・照れますが、棘が多いという方も多いので、今日は素直に喜びます。
久しぶりのコメントです。
10日も経ってからのコメントすみません。
島野交番無くなったのですか!?
私の実家から徒歩圏内です。
この周りには25年程前まで役場の支所がありました。
島野支所と呼んでました。交番前の郵便局も35年程前は
大正ロマン漂うモダンな建物でしたよ。
また一つ懐かしい建物が消えたんですね~。。。。
島野っ子さん、こんばんわ。
きっとこの話題は島野っ子さんがコメントしてくれるだろうなと予想していました。
私のブログは保存版ですので、コメントはどれだけ時間が経過してもOKですので、遠慮なさらずに。
島野郵便局は大正ロマン風の建物だったのですか?
それはどこかで写真を見つけたいものですね。
島野という言葉も消えつつありますが、国道はこれから改修されるようですね。