60年前の1954年(昭和29年)、岩内町の8割が焼失した大火から60年が経過しました。町では特別に何かの催しをするということもないようですが、忘れてはいけない日であることは確かです。
このブログを読まれている方の中には、実際に大火を経験し、命からがら逃げたという方もいらっしゃると思います。また鎮火した後のすべてを失った状態から、よくぞ復興したものだと岩内町を復興してくれた先人達に敬意を払います。
この大火がどれほどのものだったかは、岩内町郷土館に行くと、現在「岩内町大火の企画展」を行っていますので、ぜひ足をお運びになってください。
「災害は忘れたころにやって来る」決して忘れてはいけない言葉です。ついつい慣れという言葉に流されてしまいがちですが、普段から火災だけでなく、交通事故、健康にも注意を払って過ごしましょう。
写真は、今月の「広報いわない」の2ページ目を使わせていただきました。
昔の岩内町は人口密度が高く 狭い道の両側に建物が密集していました。
大火後直ちに単なる復興ではなく より良い町づくりを目指して都市計画が立てられ、道路拡幅や公園(防火地帯、避難場所、児童遊園地、公共庭園など多目的)が設置されました。
ボクの親は「土地を1割くらい取られた」と言ってました。今なら権利を主張して不可能でしょうが、当時はお上には逆らえない風潮だったんでしょうね。
また呉服店を営業していたので「うちだけ焼けたのならいいが、お客様が全部焼けちゃったので経営が大変だった」とも言ってました。
先人の努力に感謝すると共に、岩内町の現状をみるとボクの努力は足りなかったと反省しています。
まぁちゃんさん、コメントありがとうございます。
言われるように、当時の岩内町は人口密度日本一の時代でもありましたね。
都市計画によって、土地を取られたというお話はよく聞きますし、弊社も先代名義の土地も然りです。
ついでながら、大火とは関係なく農地改革の時も先代名義の土地をほとんど取り上げられたそうです。
災害では、お客様も被災者ですから、大変だったでしょう。でも、どれくらい大変だったのかは、想像もつきませんね。
そんな中を乗り越えたのですから、すごいことだと思います。
まぁちゃんさんの「・・・・足りなかった」というお言葉ですが、そんなことはないと思います。
でも、まだまだできることはたくさんあるのではないでしょうか?若輩者が人生の先輩に言う言葉ではないかもしれませんが、できない理由をあげる前に、できることからやってみてはいかがでしょう。