2014年10月19日の刀掛岩です。朝の7時過ぎに撮ったものですが、この日は快晴の素晴らしい天気。雷電温泉を通過するときに、いつもとは違った様子だったので、写真を撮りました。
岩肌の草木が紅葉をしています。そこに朝日があたって、じわじわとその紅葉の面積が広がって来るのです。こうした様子はなかなか面白いもの。夏場は夕日がこの場所から見ることができます。しかし、秋になると太陽がこの岩陰に落ちるようになってしまいます。
昨年の同時期のブログには、刀掛岩の姿は昔と変わっていないと書きましたが、果たしてそうでしょうか?急な岩肌に吸いつくように生えている草木は当然のように生きて成長しているはず。となれば、その色づきなどにも違いがあるのかな?などと思ったりしました。
さて、弊社の塩数の子の化粧ケースにも使われている刀掛岩。皆さまには、実物の他、一八の数の子でもご覧いただけると嬉しい限りです。目下、ひとつひとつ心をこめて数の子生産をしています。
いつ見ても素晴らしい景色です。澄んだ空と海の青も映えていますね。
手元にある、一番最初に雷電トンネル工事をしている時のスナップ写真に
刀掛岩が写っていました。
今から55年前ですが、尖った釣り針みたいな形は今と同じ。
当たり前なんですが、最近は安全、効率等優先で国土を削り取ってしまいますから、
大切な故郷の景観まで消さないで、と願っています。
不思議なもので、この岬への遊歩道などは存在しません。
仮に作ったとしても、落石などの危険があるので、維持が大変になってしまうと思います。
やはり、この刀掛岩はこの場所や岩内方面に戻った場所から見るのが一番だと思います。
八王子の山崎さんは55年前の工事に携わっていたのでしょうか。
今はほとんどがその当時のトンネルが新しいものに変わりましたが、当時としては、画期的なトンネルだったことでしょうね。
岩内の病院に入院していた中学時代、マムシに噛まれたおじさんが
隣のベッドに入院して来ました。
雷電トンネル工事中に噛まれて運ばれて来たのです。
手元にあるのは、元気に退院したのち工事現場で写したものを送って
くれたものです。
当時は雷電海岸にまともな道路は無く、今では想像出来ない程の
難工事だったと思います。
昨年旅行した際にもドライブしましたが、難工事の道路は忘れ去られ
安全快適になった代償に、景勝を身近に体感出来なくなっていました。
難しいですね。
マムシのお話は、以前もしていただきましたよね。
その工事関係者がわざわざ送ってくれたのですか。
入院してきたおじさんは、難工事の末に俺たちがつくったんだという自負を持っていたと想像できます。
旧雷電海岸道路は、常にどこかを工事していたというイメージがあります。
トンネルを抜けるたびに刀掛岩がどんどん近づいていく風景も、まだ私の中では記憶に新しいのですがね。