昔懐かしシリーズ。今回は昭和54年の岩内町観光パンフレットが出てきました。「ズームアップいわない」というタイトルが付いていて、丸いレンズの中には、岩内町の地図があり、主要な建物の名前が載っています。
そこには、現在のフェリーターミナルはなく、海水浴場があります。一八創業者紀伊右エ門が創った「八興会館」も。また、国鉄岩内線と岩内駅が書かれています。まぁ、私たちの世代では、当然のことと思いますが、平成生まれの方にとっては、何それ?ってな感じにとられるでしょうね。
写真左下に、岩内町までのアクセスが書かれています。札幌~岩内間の汽車の料金は1,520円。バスが860円(現在1,900円)でした。所要時間は一日3往復の汽車が2時間15分。バスが5往復の2時間25分。これだけ料金の差があるならば、汽車の利用客が少なくなるのはしょうがないですね。
この裏がレトロ感たっぷりで、御紹介したいのですが、また別の機会に。宿泊施設が紹介されていますが、現在の主要な宿は名前がなく、反対に廃業してしまったところが掲載されています。電話番号の局番は「62局」ではなく「2局」。36年前、1979年のことです。私が高校生の時代でした。さて、その年あなたは?
えー!
八興会館って一八の創業者の方が創られたのですか?
初めて知りました。
子供の頃、柔道や卓球で使用したことがあります。
大浜の海水浴場でブイより先まで泳いで監視員のおじさんに正座させられこっぴどく怒られた記憶があります。
あれは怖かったな。
かずさん、八興会館のことを知りませんでしたか?
弊社ホームページの会社沿革の最後にそのことを記してあります。
大火後、大浜はいわゆる不良少年が多く、その健全教育に武道を習わせることを決め、それを実行したとんでもない人でした。
当然家族はいろいろな苦労も一緒に背負わされました。
話せば長くなりますので、ブログの検索窓を使って、「八興会館」の記事をお読みください。
連載しています。
海水浴場の監視のオヤジには、私も頭をぶたれたことがあります。
今、あんなことをしたら、訴えられるかもしれませんが、まぁいい時代でしたよね。
八興会館の記事、興味深く読ませて頂きました。
企業を通じてどのような形で社会貢献するかはそれぞれですが今時のベンチャー系企業の経営者には無い発想で地域への社会貢献を続けてこられたのですね。
崇高な理念の裏で、きっとご家族や従業員さんの苦労もそれは大変だったかと思いますが、長期的な視点から地域の青少年の健全な育成の芽を育てたと考えたら大変素晴らしいものだったと思います。
昔は叱られてゲンコツされても、それを納得して受け入れられた良い時代でしたね。
かずさん、八興会館の記事を読んでいただき、ありがとうございました。
先代は佐渡から北海道に渡ってくるときに、育てられた祖父母に人のためになることを何かしなさいと言われて出てきたようです。
身内からすれば、頑固、変人でしたが、もし身内でなければ違う見方をしていたかもしれません。
会館がなくなってから、素晴らしいと言ってくれる方がいるということは、伊右エ門もさぞ喜んでいることでしょう。
私は何もできなかったので、せめて文字で残すことにしました。
その年、私は小学生。
当時は民放チャンネルも少なく、UHFかなんかでチャンネルを替えていたような?・・・
新幹線もこっちには無く、東京迄は特急で4~5時間。
年を重ねるのは、あっという間ですネ。
年を重ねるのは、あっという間。ほんとにその通りです。
こうして、昔懐かしいものを発見しても、もう36年前?10年くらいじゃなかったっけ?と思ってしまいます。
会社の前を歩く子供たちも、ついちょっと前に1年生だった子が、もう6年生。
私たちの頭も薄く、白くなるのもうなずけますね。