事務所の2階をたまに整理していると、昔のチラシやパンフレットが出てきて、しばし見入ってしまうことがあります。今日は、その中で雷電海岸の観光パンフレットの写真を紹介します。
そのパンフレットには、発行された年が書かれていないので、昭和何年かはっきりしません。ただ、この様子は昭和40年前半かなという想像がつきます。
ホテル雷電から海に降りたところに、なんと海の家があったんですね。さらには「雷電ボート」と書かれてある小屋も。きっと、小さな船を貸して商売をしていたのでしょう。
それにしてもすごい賑わい。たくさんの人。人がいるから、いろんな商売が生まれる。ということですね。今はホテル雷電も閉鎖され、寂しくなっていますが、こんな時代もあったのだと思いながら、雷電海岸、刀掛岩をゆっくり見に来てはいかがでしょう?
昭和44年の夏、会社慰安旅行で雷電温泉に泊まり
何人かで釣りもしました。
アブラコ、ソイが入れ食いの大漁で、ホテルに差し入れて
きましたよ。
浜で遊ぶ人、釣りする人、マージャンする人、呑みすぎて
寝てる人、様々でしたが、海岸はこのように賑わってました。
今どき慰安旅行や宴会は受けないでしょうね。
勢いのある良き時代の懐かしい光景です。
八王子の山崎さん、おはようございます。
言われるような温泉での遊び、にぎやかでしたね。
帰りの車中の疲れた顔が目に浮かびます。
まさに高度経済成長まっただ中の時代。
そんな中で、将来の水産資源の減少などを予測する人はいなかったのでしょう。
人はいなくなりましたが、岩はそのままあります。
今度また岩内に来られたら、この同じ場所はら見てください。
昭和40年代、50年代は海水浴も最盛期でしたね。
夏に海のそばを歩いているとジンギスカンの匂いが風に乗ってお腹がすきました。
(イベントにはジンギスカンというと本州の人に言うと皆驚きますね。)
親戚で海水浴に行くに際し、朝に遊泳禁止を知らせる赤旗が立っていないか確認しにいかされたりしましたが、喜んで確認しに行ったりもしました。
大浜も島野も雷電もいまはどうなっているのかな?
10年以上夏に岩内の海を見ていないです。
かずさん、こんにちわ。
写真のような風景を見ると、ジンギスカンの匂いは当然のように想像できますね。
遊泳禁止の赤旗、私も覚えていますよ。
八興会館を下がったところが大浜海水浴場でしたが、そこに立っていました。
大浜海水浴場のお話は、このブログでも何度も取り上げましたが、今はフェリー埠頭と工業団地に。
当時を知る人たちにとっては、目が点になってしまう変化です。
今年の夏、ぜひ見に来てください。