先日、私の母が面白いものを持ってきました。昔のものを整理していたら、一八の野球のユニフォームが出てきたとのこと。
話を聞くと、昭和32・33年頃一八では野球チームを作って町の大会で優勝したことがあると。そのチームは従業員だけでなく、大浜のご近所さん、さらに役場から3人ほど入っていたようです。その役場職員の中には、今は亡き岩城元町長も入っていたとのこと。
写真ではわかりにくいのですが、生地は木綿でモコモコしています。今のような機能性素材ではなく、いかにもクラッシック。いっぱちの「ち」が「CHI」ではなく、「TI」というのが、いいですね。
残念ながら今は弊社に野球チームは存在しません。私が子供のころは大浜公園に、だれともなく野球をしに子供たちが集まっていたものですがね。そんな昔を思い出させるユニフォームでした。
いやいや面白いですね。「一八の歴史を語る会」をやったら良いと思いませんか。郷土館でご母堂のお話を伺った時にも、見事な語り部だと思いましたから。「一八の歴史を聞く会」と銘打っても良いですね。
郷土館では梅沢さんのお話があるようですね。
母はコーラスで梅沢さんと一緒にやっていますが、さすがに梅沢家と紀家では格の違いが大きすぎます。
一八の歴史と言っても、母が岩内に来た歴史は大火の二年後昭和31年ですので、歴史は浅いですね。
50年以上前。高度成長期はじめの頃ですね。
難儀もしたけど、希望や夢に満ち溢れていた時代…そんな勢いを想像します。
シンプルで、カッコいいと思いますよ!
『TI』も味があって素敵だと思います。
それにしても、野球をして遊んでいる子供を、見なくなりましたね~。
背番号18さん、おはようございます。
今と比べると、さまざまな点でないもの、不便なものが多かったでしょうが、活気にあふれていた時代だったと思います。
特に岩内町は昭和29年の大火後の大変な時代だったことでしょう。
そんなときに、仕事だけでなく、野球を楽しんでいた様子、想像できますね。
最近は草野球という言葉が死語になってしまうような感じです。
スポーツ、レジャーの多様化、少子化が影響しているのでしょう。
ちょっと寂しいですね。
郷土館における梅沢さんのお話はとても面白く最高でした。ほんとうの教養人と言いますか、まさに歴史の生き証人というべき方だと思いました。梅沢さんが町制百周年を記念して作られた歌はご存知でしたか。岩内の四季をテーマに作詞なさったとか。良い歌ですね。町のホームページで調べてみたのですが、歌詞は見つかりませんでした。
uroshi utokaさん、こんばんわ。
梅沢さんのお話は、私も興味がありましたが仕事の関係で行くことができませんでした。
町制百周年の歌とは知りませんでした。コーラスで歌うために作ったのでしょうか?
お墓のような石碑なんぞ残すより、語り継いだりして残すべきものがあると私はいつも思っていますが・・・