みなさん、荷札をご存知でしょうか?お使いになっている方はいらっしゃいますか?昔は荷物に宛先が書かれた荷札をつけて発送していたので、商売になくてはならないものでした。鉄道輸送が主流だった時代の産物です。
今、宅配便などはすべて送状という複写の紙に書いて、シールで貼りつける方法が一般的ですね。一方、昭和の時代、水産加工の荷物は本州の中央卸売市場向けに荷札をつけて鉄道の貨車に積んでいました。そのために相手先である全国の市場の名前が印刷されている荷札が弊社には残っています。
送り主であるのが一八だとわかるように、裏には写真のように自社の荷札をつけたりもしたようです。その一八の荷札は赤、紺、緑の3種類がありました。色分けすることによって、種別に使い分けられていたと想像します。
この荷札、昭和40年代に作られたものだと思います。たくさんの段ボール詰にされた一八の荷札もいろんなところに少しずつ使い続けていましたが、先日その在庫がそろそろなくなりそうだと気がつきました。ちょっと寂しいですが再発注はいたしません。どこの業者さんが作ったものなのかもわかりません。弊社の小さな歴史の1ページがめくられようとしています。
いつも興味深く啓発される記事をありがとうございます。
昭和40年代(たぶんもっと古くから)の社名、住所、電話番号(局番だけは変わっていますが)が現在もまったく同じというのは素晴らしいことですね。
社長さんの伝統を守りながらも研究熱心な姿勢は当ブログを通じて伝わってきます。
仕事と共に地域に対する奉仕・貢献 さらに人生観も代々受け継がれてきたから老舗が続き繁栄する理由と思います。
まあちゃんさん、こんばんわ。
チェックされるところが鋭いですね。
住所表記は昔のもので、今は大浜68-5なのですが、昔は158と3ケタ表記でした。
いつ頃から変わったのかはわかりません。
私は先代紀伊右エ門が八興会館を作り地域の子供たちにしたことを今でこそ立派だと思いますが、当時は家族をどこまで困らせる人なんだろうと思っていました。
ただ、そうでもしなければ、凄いことをやってのけることはできません。
私はそんなレベルの人間ではありませんが、老舗なりの迷いは常に持っています。
こうしてみなさんが応援してくれること、とてもうれしく思っています。
ありがとうございます。