いわないスキー場が2015年12月19日に無事にオープンしたようです。今年はずっと雪不足で、オープンが延び延びになるスキー場が多く、岩内もオープンできるか心配でしたが、まずは良かったですね。
リフト1本稼働のゲレンデとは別に年々人気が高まっているキャットスキーツアー。雪上車で旧スキーコースへ上がり、そこから深雪を滑ることができるツアーです。それが驚くことにシーズン前に全日程を完売したとのことです。予約された客層がどのようなものなのかわかりませんが、観光として明るい材料であることは確かです。
いわないスキー場は「ニセコ」と名前をつけていますが、ヒラフなどの大きなスキー場が位置する場所とは正反対。オーストラリア人などを中心とする海外スキーヤーを、なんとか岩内に来てお金を落としてもらおうという動きもあります。
スキー場の生き残り策の成功事例としても取り上げられた、いわないスキー場。存続にかかわった皆さまへ敬意を表すとともに、新たなステップアップへ期待いたします。
文章に合う写真がなかったので、昨シーズンのロッジの写真を載せました。あしからず・・
スキー場、バブルの頃の勢いは無く、あちらこちらで閉鎖の話題を多く聞きます。
上手くもないのに、ユーミンの曲に乗ってナイターを滑走してた頃は、遠い昔ですね・・・
ああ、懐かしい~(T_T)
背番号18さん、こんばんわ。
私が東京に住んでいた時は、新潟方面へよくスキーに行きました。
大小たくさんスキー場がありましたが、今はそれらが閉鎖されてきているのですね。
当時はスキー場がなくなるなんて思いもしませんでした。
私は今もスキーはやっていますよ。
今年は本当に雪が少ないですね。
岩内に「ニセコ国際」と名のつくスキー場が出来たのがほんと嬉しく、オープン時に興奮したことを懐かしく思い出しました。
ここが出来るまではフレンドさんが経営する円山スキー場でしたね。
坂の頂上にむき出しの大きなエンジンがあって、唸り声を上げながら循環する「ろーぷとう(当時そう呼んでいました)」にしがみつき上まで運んでもらいました。
親に買ってもらった mizuno 新品グローブも瞬時にズタズタになり涙したことを思い出します。
オープン当時のニセコいわないスキー場は、第六リフトがスキー場の最上位。
まだ若く体力があったので更にそこからスキーを担いで山頂まで上り一気に下まで滑り降りました。
あの壮快感をキャットを利用すれば今でも体感出来るとのことで嬉しく思います。
実家の荷室奥に当時のスキーが埃をかぶったままで保管してありました。
昨年このスキーで、30数年ぶりに岩内スキー場を滑ってみたのですよ。(第一リフト)
いまは身長マイナス10センチのカービングスキーが主流になっていますが
10代当時、身長+10センチが標準のエキスパート用スキーは異常に長く
やっぱり今の私にはコントロール出来ませんでした。
良くこれで山頂から下りたもんだと若かりし頃の気力体力を羨ましく思いました。
「このスキー場でいつか自分の子供と一緒に滑ってみたい」
10代に描いた未来妄想を今シーズンは実現してみようと思っています。
imajinさん、こんばんわ。
このスキー場ができた時、私は岩内を出ていました。
冬休みに帰ってくると、6本のリフトがありびっくりしたものです。
おっしゃるように、私は観音山(円山)世代です。ロープトウで手袋をダメにしないように、作業用ゴム手袋を使うようにしていました。
第6リフトから担いで山頂まで。
私もやりましたよ。この年になってもまだそんなことをやっていますがね。
昔の細い板を見ると、これでよく滑る事ができたなぁ~と思います。
特に深雪なんてね。
10代に描いた「このスキー場でいつか自分の子供と一緒に滑ってみたい」という思い。
今シーズン、それが実現できるのなら、素晴らしいことですね。
このスキー場を守ってきた人たちが聞けば、何よりの言葉ではないでしょうか。
お子さんにそんな昔話をしながら、一緒に滑ってあげてください。
「またその話かよ・・」と言われる年齢になる前にね。