大荒れから始まった3月

すでに皆さまもご存知でしょうが、3月1日の岩内はとんでもない大荒れでした。正確にいえば、2月29日から3月1日の明け方にかけてがひどかったです。

どのようにひどかったか?地区によってその感じ方は違っているようですが、降雪量は多くないものの、暴風。私の家は夜から夜明けまでミシミシときしむような音がしていました。敷島内の地区では停電が長く続いて同業者の中にも仕事ができなかったところもありました。湿った雪が電線に付着して重くなり、さらに風が線を引きちぎったという感じです。

野束川河口の岩野橋から権太通りまでの国道は一日通行止め。島野方面は海から玉石や流木が打ちあげられたりしていたようです。年配の漁師さんは、「こんなひどい風は大火以来のようだった」と言ってました。

各局のテレビ取材陣は29日から岩内入りし、2日まで岩内の様子や被害を取材し、全国放送のニュースで流れました。おかげで東京の友人からも「大丈夫?」という連絡が。弊社の今回の被害は工場と事務所をつなぐケーブルが切断しただけで済みました。一昨年は古い倉庫の屋根が吹き飛びましたので、それに比べればと安堵しています。

写真は大浜の町営アパートです。北に面した壁だけが雪がついているのがお分かりでしょうか?電柱も雪の付き方が一面だけで、北の風が横から吹き付けていたことが想像できます。いろいろと被害を受けた方もたくさんいるでしょうが、死者が出るような惨事にはならなかったのは良かったと言えましょう。

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大荒れから始まった3月」への2件のフィードバック

  1. uroshi utoka

    今回の大暴風雪には本当に驚きました。NHK全国版ニュースのお陰で、親戚や知人から見舞いの電話が相次ぎました。6時過ぎに防災無線が避難所の案内をしたのが余計に緊迫感を煽りました。朝8時ごろごみの集積所に資源ごみを出しに行きましたが、帰りには視界がゼロ、恐ろしい思いをいたしました。停電になった地域が出たようですが、暖房が利かなくなると死活問題ですね。近所の方から「岩内から逃げ出したくなったんでないかい?」と言われましたが、即座に「それほどやわではありません」と答えました。北の国の習いに従おうと覚悟を新たにいたしました。

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    1. 北のお魚大使 投稿作成者

      10年ほど前までは、雷電より西の蘭越町から工場に通っている人がいました。
      雷電海岸は荒れると通行止めとなり、バスも運休となり、避難所が開設されるようになります。
      昔は電気を使わない石炭や薪ストーブだったので、停電は関係なかったのですが、今は電気が止まるとすべて何もできなくなってしまいますね。
      北海道の人がよく口にする言葉に「しかたない」があります。
      自然の猛威を相手に立ち向かおうとしても返り討ちにあうだけ。
      自然は自然として受け入れて生活をしていく。それがこの厳しい地での生き延びる術なのかもしれません。

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