水産業界の業界紙、みなと新聞の2016年3月7日付に5月5日の「かずの子の日」の話が載りました。POPを作り、売り場で「かずの子」の日の意味を広くわかってもらい、数の子を買ってもらおうという内容。
このPOPに使われているのが、明治から昭和初期にかけて活躍された芸術家、北大路魯山人さんの言葉。芸術家でありながら、美食家でもあったと。ある文献に「私は正月でなくとも、好物として普段でも喜んで食っている。とにかく美味い。あの音の響きが良い。」と書かれてある言葉を引用しています。
私は恥ずかしながら、魯山人さんを知りませんでした。つくづく芸術に疎いことがばれてしまいます。時代が違うので、当時の数の子はどのように作られていたのだろう?どこ産の数の子だったのだろうか?なんて想像してしまいます。
いずれにせよ、正月でなくとも食べているという“くだり”が今回のかずの子の日にぴったり当てはまる内容。みなさん、覚えていただけましたか?5月5日はかずの子の日。お正月でなくても食べましょう!
子供の日が「かずの子の日」ですか!
ご紹介くださった北大路魯山人の「数の子は音を食うもの」というエッセーは、『魯山人味道』(中公文庫)で読めるようですが、手っ取り早くは青空文庫でも読めます。「一旦干ものにしたのを水にもどして…」と書いてあるのですが、社長さんのご意見をぜひ伺いたいものです。
青空文庫のサイトです。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001403/files/54948_48391.html
uroshi utokaさん、こんばんわ。
ご紹介いただいた、青空文庫のサイト、ありがとうございます。
ここに書かれてある数の子とは、干し数の子のことを言います。
今はそれを作る加工屋さんは1軒か2軒程度しかないのではと思います。
ということで、現在主流の私たちが作る塩数の子とは全く異なるものです。
数の子本来のうまみを閉じ込める方法としては、干し数の子のほうが勝っています。
同様の記述の中に、ニシンも干して戻してと書かれていますが、これは身欠にしんの本乾のことを言っています。
親も子も本乾状態にあるものを、食することができるように戻すまで、数日必要とするために、現在ではよほどのこだわりを持つところでない限り、敬遠されてしまいます。
「親にしんの胎中にいる時から、乾物を水でもどしたものとほぼ同じ硬さをもっていて・・・」という記述については、正確には生きている時は柔らかいのですが、死後数日経過してあのコリコリとした状態に変化します。袋澗と呼ばれる海岸の生簀に入れておき、その間に卵が固まります。
現在私たちが扱うアメリカ産の鰊も、現地で検品作業をするときは、卵がぐにゃにゃ状態になっています。それが日本へ搬入されると固まっているのです。
「数の子に味をしみ込ませるのは禁物だ」というのは耳が痛いですね。本来の数の子の味を伝えてこなかったこの業界の責任でもあります。ただ、時代は変化して食の環境も変わってしまった以上、商売として味付け数の子は致し方ないものと考えます。ただ、原卵と呼ばれる本来の味を持つ商品も弊社では扱っています。
本業の分野のことですので、このまま書き続けると明日の朝まで続きますので、この辺で・・・
流石プロの解説ですね。ありがとうございます。確かに蘊蓄を傾けていただくには、時と場所を選ぶことが必要だと思います。木田美のTさんのお話では、岩内の水産加工の技術は門外不出とか。その一端に触れたようで大満足です。郷土館の坂井さんのご案内で積丹半島一周のバス旅行をした際、袋澗の遺構をたくさん見せてもらったのですが、そういう効用があったのですね。
門外不出とは、ちょっと違う気がします。ですが、そういうイメージがあって品質が優れているというのであれば、それもひとつのセールストークと解釈いたしましょう。不思議にもので、こちらに戻ってくるまでは家業を毛嫌いして魚の知識はゼロに等しかった私も、この仕事で早25年。
私自身がニシンについてここまで語ることができるようになったとは驚きです。
こんばんは。
5月5日=数の子の日、以前からこちらのブログでも紹介されていましたね!
いつの間にか、節分に恵方巻を食べる事が根付いたように、きっと5月5日も数の子を食べる事が根付く事でしょう!
生産者様や業界の「美味しい数の子を正月以外にも食べてもらいたい!」その思いと、我々消費者の需要…
社長様の新しいレシピ紹介も、楽しみにしています!
背番号18さん、こんばんわ。
恵方巻きのように、5月5日に数の子を食べてもらえれば、何よりです。
でも、そのためには何をすべきかを業界一体になって考え、実行しなければなりませんね。
今年は初年度で、大きなイベントを打つことはできませんが、徐々にマスコミ出も取り上げられると思います。