蝦夷梅雨状態の北海道

一般的には北海道には梅雨がない、と言われていますが、近年のこの時期では本州の梅雨のような日が続いています。蝦夷梅雨という方もいるようです。ちょうど本州が梅雨明けするかどうか、梅雨前線が北上したころになります。

先週は気温も上がり、湿度も高い日が続きました。工場のクーラーはフル回転。事務所はクーラーがないために、べたべた感じるので、工場で体を使って働いている方が楽に感じました。

写真は7月31日日曜日のものです。朝からどんよりとした雲が居座り、すっきり感に程遠い状態。でも、これを通り越せば、夏本番の青空と入道雲が到来します。

共和町の畑は、春まき小麦の収穫も終わり、ジャガイモ、トウモロコシなどの収穫が始まっています。おっと、忘れてはいけません。冷たいビールのおつまみには、一八の珍味。汗が噴き出たら、塩分補給に糠にしん。水産加工品は夏も必須でございます。

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蝦夷梅雨状態の北海道」への4件のフィードバック

  1. uroshi utoka

    北海道に住みはじめ、一番驚いたことの一つは、降水量の多さです。ほとんど毎日雪が降る時期があり、蝦夷梅雨がありで、住む前のイメージとは大違いです。でも、こうした悪天候の挟間に、びっくりするような青空と清涼な空気に恵まれて、気分一新することも多いので、この地に住んで良かったと思うのです。至福の一瞬があれば、人はかなりの困難に耐えられるものなんですね。その意味で「北の国の習い」には、人生のメリハリが隠されているのかも知れません。そしていつも思いいたるのは、岩内のグランマたちの逞しさです。協会病院の一隅に、岩内高等女学校の校歌を刻んだ碑があります。この歌詞を熟読玩味すると、ひとり岩内のみならず、北の大地の明日が見えてくるように思われます。キーワードは海ですね、やはり。

    太しく立てる岩内の
    浦曲静かに寄する波
    限り知らぬざわめきの
    優しく雄きその啓示

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    1. 北のお魚大使 投稿作成者

      「しょうがない」「しかたない」と言う言葉をよく耳にすると思います。
      これらは、自然相手に言う言葉。
      人のせいなら、あんたのせいで・・・と怒鳴ることもできるものの、自然相手には怒ってもしょうがない。
      だからこそ、厳しい自然の中に生きる人は強く、我慢した後の一瞬の輝きを感謝して受けることができると思います。
      まぁ、そこに住む人がすべてとは言いませんが、そういう人が多いということで納めてください。
      今の私は厳しい商売の時代がいつか晴れ間が現れるだろうと、待ちわびて生きています。
      商売は自然と違って受動ではダメ、能動的に行動しなければと自身に言い聞かせてはいるのですが・・

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  2. moto大浜っ子

    こんにちは。
    連日蒸し暑い日が続き、いよいよ夏本番というところですね。
    共和町の畑、といえば昔は案山子が点在していたものです。

    夏といえば、先月の話題になりますが、7月7日放送のイチオシ!(ワイドショー)で、岩内神社例大祭が生中継されていました。200年以上も受け継がれているのですね、素晴らしいです。
    子供の頃は、放課後になるのを待ちわびて、友人と誘い合わせて露店巡りをしたものです。金魚すくい、サイフォン状に噴出させて売られていたジュース、スマートボールetc、時が流れても露店の賑わいは変わっていないようでしたので、嬉しかったです。
    赤坂奴については子供の頃の記憶がないのですが、今年から高校生が初参加するという事で、6名の岩高ボーイの凛々しい姿を拝見させていただきました。

    例大祭がメインの番組でしたので、岩内町の紹介は簡単なものだったのですが、北緯43度さんの海産物コーナーが映った時は思わず凝視してしまいました。

    余談ですが、先程「北の三代目」という曲が流れていました。「三代目」という言葉には独特のパワーを感じます。力強さというか…何故かしら?

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    1. 北のお魚大使 投稿作成者

      moto大浜っ子さん、こんばんわ。
      最近は案山子を見なくなりましたね。見るとすれば、今月20日、21日に行われる共和町のかかし祭でのかかしコンクール。
      7月7日の一押しで岩内町が放送されたのは知っていますが、残念ながら見そびれ、録画しそびれてしまいました。
      私たちが子どもの頃は本祭りの日は休校になっていましたね。
      前回も書きましたが、当時の露店の数は今では半減。私たちからしてみると寂しくなったと言ってしまいますが、それでもあれだけの店が並ぶお祭りはそうあるものではありません。
      moto大浜っ子さんも来年はぜひ岩内に帰ってご覧になってください。

      三代目という言葉について、私の勝手な想像ですが、二代目というのは引き継ぎを行えばそのままできる、ごく自然の流れ。でも三代続くのはそれなりの苦難を乗り越えた歴史ができたからではないでしょうか。
      会社にとっても、一代は創業、二代はそれを受け継ぎ、三代は会社をつぶすとよくいいます。それは会社を取り巻く環境が大きく変わり、二代目の継続だけでは生き延びることができない、大きな改革をしながら生き延びなければならない代だからと思います。実際、私が今それを肌で感じています。

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