岩内町の工業団地。広い空間が残っていたのですが、新規の建物が建設中です。それは、日本アスパラガス株式会社さんの「新港第2配送センター新築工事」と書かれていました。
千歳にあったサントリーの工場を買収して、飲料工場として伸び続けている岩内を代表する企業。写真のとおり、めちゃくちゃ大きな建物になっています。さらに、西側の建物では、「野菜工場改修工事」という看板を立てて工事が行われていました。
粉末の乾燥野菜を作る工場とのことです。新しいビジネスへの積極的な展開ですね。こうした時代のニーズの先取りから、本来の社名であるアスパラの缶詰事業とは離れた事業展開になっています。
岩内から出ずに、この田舎でがんばってくれてありがたいですね。海水浴場をつぶしてできた工業団地とフェリーターミナル。岩内出身の皆さまは、帰省の際にその変貌をご覧ください。
こんにちは。
日アスさん、躍進めざましいのですね。
建築現場の写真を拝見し、建物の巨大さに驚きました。
時流に乗って清涼飲料水生産へとシフトし、着実にシェアを拡げていく攻めの姿勢、「道外製造品を取り込んで道内で製造する」という発想を、絵に描いた餅に終わらせずに実現していく事は、たゆまぬ努力の賜物なのでしょうね。省エネ大賞受賞などの実績も積み上げてきており、私などが口にするのもおこがましいですが、素晴らしいと思います。
私が岩内に住んでいた頃は、日アスさんを「食缶(ショッカン)」と呼んでいました。「◯◯さんが食缶でパートを始めた」などと母達が話していたものです。
その頃はアスパラガスの缶詰工場であり、それ以上でも以下でもありませんでした。岩内町はアスパラガス発祥の地であり、主要な生産品が清涼飲料水へとシフトしても「日本アスパラガス株式会社」という社名が継承されている、という事に誇りを感じます。
なぜなら、私の中で日アスさんは、いつまでも「郷土の食缶さん」だからです。
今の日アスさんの製造ラインは、缶詰は1つもなく、すべて飲料に切り替わったとのことです。
自分の会社ではないので、それ以上のことはわかりませんが、さきに述べたように乾燥粉末野菜工場の動きが今後の注目です。
moto大浜っ子さん、私の間違いかもしれませんが、「日アス」さんと「食缶さん」は違う会社ではないでしょうか?
食缶さんは「北海道食糧缶詰」という工場で、現在の吉本興業さんの本社にあった工場。
私の友人も日曜日だけアルバイトに行ったりしていました。1986年にその工場は閉鎖しました。
日アスさんは、協会病院の坂下、願誠寺の下にあり、私たち高台小学校へ通学する途中でスイートコーンの酸っぱいにおいをこの時期は嗅ぎながら帰ってきたものです。
ということが私が知っていること。
間違っていたら、ごめんなさい。
でも、私たちの年代では、この缶詰工場の存在は大きかったですね。
働く人たちも、水産加工の会社と取り合いになっていたときもあるようです。
こんにちは。
返信ありがとうございます。
そうですか…。
二つの缶詰工場はよく覚えています。
しかし、恥ずかしながら大浜にあった「食缶」が「北海道食料罐詰」という会社の通称だとは知りませんでした。つまり「食罐」だったわけですね、納得です。
あの頃私は、高台小学校へと通じる坂の左手にあった工場を「スイートコーンの工場」と呼んでいました。以前ブログで、昔の通学路が様変わりした事に触れられていて、スイートコーン工場もなくなったと知りました。その際、大浜の工場は存続していると思い込み、「残っている のは日アスさん」=「あの頃の食缶って日アスさんの事だったんだ!」と結びつけてしまっていました。
でも実際は、大浜の工場も既にないし、通学路の工場はなくなったのではなく、野束に移転して清涼飲料水の製造へとシフトしていっていたのですね。
お陰様でやっと記憶の整理が出来てすっきりしました。
元町民の端くれとして、岩内町の企業が躍進めざましい事への嬉しさに任せて記憶が曖昧なまま書いてしまい、却って失礼な事をしてしまったと反省しています。
ごめんなさい。
moto大浜っ子さん、こんばんわ。
私の知識も正確にあっているかわかりません。何も失礼と思わなくて大丈夫だと思います。
こうして書いていただけることによって、ちゃんと理解している人が教えてくれるものです。
間違っていたら、あら、ごめんなさい。私はいつもそうですよ。
知ったかぶりは、結果として自身の知識の積み重ねの妨害になるだけですもの。
でも、記憶の整理ができて良かったですね。
私自身も数年前までは、日アスさんと食缶さんと同じだと思っていました。
あれだけ大きな工場でさえ、そのようにとらえられているのですから、私たちの加工屋なんて似たような企業だし、同じに見られて当然ですね。
だからこそ、こうして情報発信は大切なことだと思い、ブログを書き続けています。
元岩内町民のみなさんの中に、出身地の企業が立派になる姿を見るのは、家族のように見えるからなのでしょうね。
岩内出身の人って、郷土愛が強いと感じます。