岩内西小学校の5年生38人が2日間にわたる宿泊研修の中で、岩内町をよく知ろうということで、お仕事体験をしました。8つのグループに分かれて、弊社を含む企業で2時間ほどのお仕事を体験するという内容。
最初、弊社に山田先生からお電話があった時、弊社だけですべての子供たちを受け入れるのは難しいので、サポートセンターを紹介したところ、一緒にプランを作ってもらい、私たちがそれに協力した形になりました。
仕事内容の事前調査も夏休み中にありました。私たちも初めてのことだったのですが、女工さん達も楽しみながら教えていました。子供たちも最初は緊張していたものの、すぐに慣れて「即戦力」。ひとつの仕事だけでなく、3つほどの仕事を体験してもらいました。あっという間に終了で、喜んで帰って行きました。
夕方、マリンビューキャンプ場に招待されて、カレーライスをご馳走になりました。子供たちはとっても生き生きしていたのが印象的でした。担当された山田先生の熱意が素晴らしい体験イベントになったと思います。とかく前任者のやったことをそのままやることがお役人さんの多くの姿。熱意があれば、民間は動きます。
朝一番で読み、気持が晴れ晴れとしました。岩内に来て、この町の魅力をいろいろと「発見」しましたが、何と言っても素晴らしいのは素直で可愛い子供たちです。いつも早朝練習に自転車で登校する岩高野球部員にはじまり、道で「こんにちは」と声をかけてくれる小学生、はては園児に至るまで、実に人懐っこくて可愛らしい。その背後に家庭だけではなく、先生たちの努力があるのですね。お世話になった人を、カレーに招待するなんて、ニクイですね。互酬という共同体の基礎となる考え方をきちんと教えておられる山田先生は、本当に素晴らしい方だと思います。
今回来てくれた子供たちだけしかわかりませんが、とても素直で優秀な子たちでした。
はにかみはもちろん最初ありましたが、仕事に向き合う姿勢は立派なもの。
自分たちが作ったカレーをお世話になった企業の人に食べてもらうというアイディアは、子供たちから出たようです。
テレビ番組でそういったのがあるそうです。
ただ、夕方の忙しい時間帯ということで、8社のうち訪問できたのは、吉田かまぼこ屋さんご夫婦、上元お豆腐屋さんご夫婦、それと私。
山田先生はたぶんかなりお疲れだったと思いますが、子供たちが笑顔でお仕事体験から戻ってきたら、それが一番の報酬ではないでしょうか。
協力企業には、何度も電話、訪問し、準備しておられました。
こんばんは。
以前、子供さんのお仕事体験は、双方が有意義なものにする為にも、実に様々な調整が必要であると、拝聞致しました。
未来を担う子供さん達に、岩内の歴史や地域を支える仕事を知って頂く事は、地元企業の皆さんの共通の思いなのではないかと、察します。
「熱意があれば、民間は動くます。」社長様の心意気を感じます。
もし私が工員さんなら、張り切っちゃいそうです!
背番号18さん、おはようございます。
工場で働く人たちも、子供たちが一緒にいることで、自身のお孫さんと重なって見えたり、職場そのものも生き生きとしていました。
この日の朝礼では、いつも無駄なおしゃべりは市内でくださいと言っているのに、子供たちとはどんなことでもお話をしてあげてくださいと伝えました。
休憩時間も一緒に休憩室で休ませて、できるだけお互いの雰囲気が混じりあうように配慮しました。
でも、実は簡単なようでいろいろと準備段階から、大変だったのは確かです。
それを何とかしようと思わせるのは、先生の説得の仕方ですね。
子供たちの招待に応じられた方の中に、上元豆腐屋さんご夫婦とあるので、これまたご縁を感じました。私は毎日、ラジオ体操の後、上元さんに立ち寄り、できたての豆乳をいただいているからです。豆乳とはこんなに濃厚で美味しいものだったのかと感心しています。紹介してくださった真井さんに感謝しております。豆乳のご縁で老舗の履物屋さん、米津さんとも知り合いになりました。さらに昨日は、これまた真井さんのお薦めで、上元豆腐屋さんの並びにあるミワ本田商店の佃煮を買い求めました。またまた岩内の美味、新発見。まさにナホトカ!です。(注)岩内の西600キロほどにあるロシアの都市ナホトカは小樽の姉妹都市ですが、「発見、めっけもの」という意味です。
urishi utokaさん、おはようございます。
ナホトカ!ですか。弊社もそういわれるよう頑張らないとなりませんね。
上元さんとお話をしたら、子供たちのお相手は、おじい様がされたとか。
相手するのが、慣れているんだよなぁ~と言っておられました。
ラジオ体操後にできたての豆乳とは、都会の人がそうそうできるものではありませんね。
この街ならではのもの。私も知りませんでした。
興味を持った人がナホトカにたどりつくということでしょうか。
まだまだナホトカの旅は続きますね。
西校宿泊研修、子供達の笑顔と大人たちにも笑顔が広がり、すばらしい行事でしたね! 数年前まで岩内山登山がメインでしたが、天候不具合で中止が続き無くなったのだそうです。しかし山登りの達成感、充実感に匹敵するくらいの体験は、アイディア次第でいくらでもある。町の大人たちがマジで動けば、子供達にとても大きく豊かなものを伝えられると思いました。
昭和40年代、ある中学校で岩内山登山の行事を計画中、その学校のPTAが猛反対したのだそうです。「危険だから」。その時先導役であった、山の登山道を開拓した、すべて山を知り尽くしている町の古老が一言「私が一切責任をとりますから」とおっしゃって、実施したのだそうです。
子供達に対して責任を取る…並大抵のことではありません。が、「わしが責任とる」と言ってくれる大人の存在が、いま非常に大事なことだと思われます。それは会見のカメラ前で謝罪したり土下座したりという責任の取り方(も、一つの手ですが)ではなく、本気で伝えたい思いがあるなら、子供はものすごく素直に理解します。とくにいわないっ子は素直です!(^◇^)
山田先生の、「熱」の入った五年生タチ、いわないの良さを再発見できたのではないでしょうか。
枝元さん、こんばんわ。
岩内山登山もそれはそれで素晴らしい行事だと思いますが、やはり天気次第で難しいものがありますね。
そのPTA猛反対のお話は初めて聞きました。「私が一切の責任を取ります」という言葉は、すごいですね。
ただ、それだけ子供たちに素晴らしいものだということが登ればわかるという確固たるものを持っていたのでしょう。
でも、どの時代にも文句、反対を簡単に言ってしまう人は必ずいるものですね。
目がキラキラ輝いていた5年生たち。
今回の経験は大人になってどのような記憶になっているのか、聞いてみたいものです。
枝元さんのコメントとそれに対するお魚大使のお答え、充実した教育問答になっていますね。「わしが責任をとる」という言葉を発して何かにチャレンジしてきたのかと自問すると、内心忸怩たる思いにかられます。この一節、岩内の歴史の一ページにしっかりと刻んでおきたいですね。枝元さんどうぞよろしくお願いします。ここまで書いていて、新田次郎の『聖職の碑』という小説を思い出しました。大正時代に11名の死者を出した長野県の高等小学校でおきた山岳事故ですが、その後もこの学校の後身である箕輪中学校は毎年、慰霊登山を行っているそうです。私も中学生や高校生をつれて何度も山登りをしたことがありますが、一度、峠越えをして会津に向かった時、道に迷って藪こぎをしたこと、春休みに尾瀬に行き、大雪に見舞われたことなど、今でも思い出すと冷や汗が出ます。恐ろしいのは私の不安がすぐに子供たちに伝わり、パニックに陥りそうになったことです。今でも時々、悪夢として蘇り、うなされることがあります。
uroshi utokaさん、山に子供たちを連れて行った時のお話二つは、とても興味深いです。
私自身、登山を学生時代からやってきた人間。時には怖い思いも、辛い思い出もたくさん持っています。
よく、登山は経験が大切だと言います。
とはいえ、予測不能の事態に陥った時、経験だけで判断を下せるか。
ですから、子供を連れていくという行動をとることができる人は、凄いと思います。
登山には不思議な魅力があって、子供のころにその経験をさせてあげたいという心情も理解できます。
親御さんができればそれに越したことはありませんが、ほとんどのご家庭では無理。
悪夢となってうなされるほどの経験は、その後どのような判断材料になったのか。
後悔はもちろんあるでしょうが、その経験が子供たちにとってどのように受け止められているのか。
一人ひとり違っていることでしょう。
怖さを恐れ、何もしないか、怖くても何かをつかむために前に進むか。
人によって考え方は違うでしょうし、育てられ方で違いが出ることでしょう。