一八紀商店の解体

弊社現会長紀八郎の妹夫婦が営んでいた日用食料品店、「一八紀商店」。ご夫婦が他界してからは、お店はシャッターを閉めていましたが、このたび、店舗兼住宅の解体作業が始まりました。

この土地の記憶を持っている方にとっては、八興会館の並びのお店と言ったほうがいいでしょうか。私が子供の頃は、大浜海水浴場に一番近いお店だったので、夏の店先には浮輪や海水浴道具がたくさん並べられ、店先のベンチに腰掛けてアイスを頬張る子供のイメージがあります。

裏手には、昭和29年の大火後に建設されたブロック住宅が立ち並び、昭和40・50年代には多くのお店の利用客がいたと思います。今は八興会館も、ブロック町営住宅もなく、風景は大きく変わりました。

そして、またその昭和の風景の一つが消えようとしています。私の従姉妹の実家でもある建物。自身の住んでいた場所がなくなるのは、当事者でなければその感情はわからないものでしょう。

20160908_20

一八紀商店の解体」への2件のフィードバック

  1. uroshi utoka

    最近、「消える岩内」を目の当たりにすることが多いです。家の前にあった宮園市場が無くなって久しいのですが、市場前の広場の一角に残っていた民家も二か月ほど前に解体。さらには、中央小学校グランド下の道路拡幅工事で可愛い手作り感覚の「こばと会館」も一か月前に消えました。

    「一八紀商店」に今日、お別れの挨拶に行ってきました。ブログに掲げられた写真の面影はすでになく、鉄の梁がむき出しになっていました。頑丈な作りだったのですねえ。跡地にはいったい何が出来るのでしょうか。今日は9・11から15周年です。バベルの塔もそうですが、人の作ったものは、あまりにも簡単にゼロに戻ってしまいます。しかし原発だけはそうは行かない構造物。廃炉に何十年。核廃棄物処理には数百年。それでも処理できるかどうかは不明と言います。こうなると原子の火は、もう業火というほかありません。

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    1. 北のお魚大使 投稿作成者

      確かに、最近は解体作業をよく目にします。
      大浜地区だけを見ても、解体されて更地になった部分が多く、そのために風通しがよくなっています。
      これは今はいいのですが、真冬になると北風の通り道となり、突風強風によって文字通り風当たりが強くなってしまいます。
      廃屋も放置のままだと、危険になってしまいますし、解体出来るところはまだいい方でしょう。

      わざわざ一八紀商店を見に行ってくださり、ありがとうございました。
      跡地の利用については未定で、売却可能な状態にしておきます。
      建物があるだけで、保険も固定資産税もかかります。
      一八紀商店からすぐ海に行けますね。そこからの原発は本当にすぐ目の前にあります。
      消火器の効かない火を燃やすこと。コストが安い?
      コンクリートに塗られた部分がどんどん増えていく様子は、むなしさを増すばかりです。

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