いわないスキー場のリフトの変遷

 先週日曜日は1980年にいわないスキー場がオープンし、西側3本、東側3本のリフトが設置されたところまでお話しました。

 実は、私は1980年から1991年夏まで岩内には在住しておらず、実際の詳しいスキー場の状況がわかりません。人伝えによる情報で書きますので、もしも間違った情報だと思う方がいらっしゃいましたら、教えていただければ何よりです。

 西側3本のリフトとそのコースは、1988年に運休となり、再利用されることなく終わりました。1989年(平成元年)に「ニセコいわない国際スキー場」と名称が変わりました。新たに現在唯一営業をしている、第一ペアリフトができました。

 翌1990年4人乗りフード付きの高速クワッドリフトが新設されました。このクワッドリフトの登場は、寒さと戦いながら長いリフトに乗っていた苦痛から解放され、利用者は喜びました。

 1991年には、アルペンスキーの王者ステンマルクが来町し、スキー場と5年間の専属契約を結んだそうです。どれくらいかかったのでしょうね?また、1992年FIS公認コースになり、公式大会が行われるなどの盛り上がりもありました。

 しかし、1990年の利用客12万5千人をピークに、スキー場の利用者は減少が続きました。理由はバブルの崩壊、子供の減少、スキー離れなど他のスキー場が衰退していく理由と同じことがあげられると思います。

 そして、2001年に民間資本が撤退し、クワッドリフト及び第4・5・6リフトの営業が中止し、第一ペアリフト1本だけの営業となりました。

 はい、今週もここまでです。スキーをする人間として、本当はいろいろとコメントしたいことがあるのですが、おいおいと。

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