いわないスキー場の経営母体の変化

 今月の日曜日は、いわないスキー場の変化について、書かせていただいております。先週までは、リフトとコースの変化について書きました。今日は、経営母体のお話について。私自身、直接携わっていませんので、詳しく知っているMさんの情報をもとに書きます。

 1980年のオープン時、スキー場の経営は、株式会社グランドレジャーという本州の会社でした。その会社が1987年撤退。

 1988年、1989年は岩内町が200万の出資金で株式会社観光開発いわないという会社を設立。次の民間会社に来てもらうまで、つなぎ運営をしました。

 1989年より、株式会社ウエストバレーが運営。塚本産業という会社が出資し、1990年クワッドリフトの建設で、入りこみ客数12万5千人のピークとなりました。スキー場名は「ニセコウエストバレーいわない国際スキー場」

 1998年株式会社ウエストバレーが撤退。同年クイーンズランド株式会社運営開始。

 2001年クイーンズランド株式会社撤退表明。クワッド、第4・5・6リフト停止。

 2002年 岩内町地域振興協会 設立、運営開始。 「ニセコいわない国際スキー場」と名前を変え、この年からセンターリフト(ペアリフト)のみとなりました。

 3つの民間企業がかかわった事になりますが、塚本産業は不動産会社、クイーンズランドはホテルゴルフ場経営などが主で、スキーレジャーのプロとは言い難かった様です。

 確かな情報ではありませんが、クワッドリフトの定期点検に数百万がかかり、その費用支出を岩内町に求めたクイーンズランド。それを拒否されたために撤退したらしいと。大きな設備をもつという事は、それだけ維持費がかかります。私たちの仕事でも一緒ですよね。

 いわないスキー場はめまぐるしく経営母体が変化していきました。このスキー場で育った子供たちは、今は子供を連れて滑りに来ています。私は、円山(観音山)のロープ塔で育ったスキーヤーです。年が明けたら、また違う側面から岩内のスキー事情をお話させてください。

 写真は12月23日オープンのスキー場、ロッジ前です。ちょっとのぞきに行ってみたら、ものすごい風でリフトは動かなかったようです。

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