昔の岩内スキー事情(庚申塚編)

 12月から、日曜日は岩内のスキーの話題を特集しております。

 庚申塚(こうしんづか)というスキーができる場所が岩内にありました。庚申塚という名前の場所は、日本でも結構あちこちにあるのではないかと思います。信仰的な意味があると思われますが、ここではスルーさせていただきます。

 岩内町の宮園地区で、岩内岳方面に向かう斜面があり、下には川が流れています。昭和40年代の子供たちは、その50mほどの斜面を使ってスキーを楽しんでいました。現在の場所で言うと、高校の教員住宅がありますが、その裏手にあたります。

 土曜日の午後や日曜日にもなると、たくさんの子供たちでにぎわっていました。大浜からは、2kmほど離れていますが、子どもたちは自分の足で長いスキーを担いでその場所まで行きました。

 当然のことながら、リフトなんてありませんから、カニの状態(横向き)で登っては滑るの繰り返しです。登るのに5分、滑るのに10秒くらいでしょうか。それでも、楽しくて何度も滑るのです。

 のどが渇くと、川のところまで行き、ストックのリングの部分に雪をのせ、そっと川の水をしみ込ませます。その雪に口を付けて、吸いこむと水を飲むことができるのです。その水がとてもおいしいのです。

 日が暮れかかると、三々五々、子供たちは家路につきます。今思い返すと、上手下手があったにせよ、子供たちは自然の中で、いろいろな工夫をして楽しんでいました。そして、そこには人が集まる場所のルールが存在し、皆ちゃんとそのルールを守って遊んでいました。

 写真は、先日撮ってきたものですが、木やブッシュがたくさんあって、当時の斜面の面影はなくなっていました。今の子供たちに、ここで滑っていたんだと言っても、鼻で笑われるだけでしょうがね。私たちにとっては、いい思い出ですよね。

昔の岩内スキー事情(庚申塚編)」への4件のフィードバック

  1. rikichan

    庚申塚ってこう書くんですか?初めて知りました。
    子供の頃は私も良く滑っていました、とても懐かしいです。
    高校時代のスキー授業はこの庚申塚の川を渡ってスキーを担いで円山に行った記憶があります。
    行っただけで下手でも6点貰っていたと記憶していますが(違ったかな?)
    兄のお下がりスキー(かなり傷だらけで重い)を担いで行くのはとっても苦手でした。スキーも下手でしたし・・・

    そんな私なので長男には小学3年からオールシーズンのスキー教室に行かせて何とか岩内山のてっぺんから滑れるようにしましたね~
    でも、次男は私に似て運動オンチ
    次男、長女は高校が小樽でしたので天狗山でのスキー授業は恐怖だったみたいです(笑)

    返信
    1. 北のお魚大使

      コメント、ありがとうございます。
      昔のスキーの板は重くて、円山まで持っていくだけでも大変でしたね。行っただけで、点数をもらえたのは、体力、忍耐力があると認められたということなのでしょうか。
      子供はとにかく滑る環境を与えてあげれば、それなりに滑られるようになりますね。
      小樽の天狗山のコースは、初心者にとっては、厳しいですが、あのスキー場を滑られるようになれば、
      どこでもOKですね。小樽ならではのスキー授業ですね。

      返信
  2. まこと

    今晩は 便乗させてください ここには猛吹雪の中でも耐えながら
    小学校低学年のときは友達とスキーをしに行ったところです
    勝手にコーシンズカだと思ってました庚申塚と書くのですね
    勉強になりました

    返信
    1. 北のお魚大使

      まことさん、お久しぶりです。
      私自身、「こうしんづか」がこの漢字だとは、ネットで調べて初めてわかりました。
      でも、岩内の庚申塚がこの字でいいのかは、定かではありません。

      おっしゃる通り、この場所はものすごい風が吹く場所ですよね。近くにシベリア(団地)もあることですし。

      返信

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