いなおの坂でそり遊び

 平成23年の12月から24年1月の日曜日は、岩内町のスキーに関する事を、昔を振り返りながら書かせていただきました。書いていると、当時の雪の中で遊んだ記憶がフラッシュバックしてきました。今日は、まだ小学低学年だった頃のそり遊びについて書かせていただきます。

 大浜の「いなおの坂」と言って、わかる方は、40代後半の年齢まででしょうか。東山のお墓から浜に向かって、大きなカーブを描きながら下ってくる坂を、私たちは通称「いなおの坂」と呼んでいました。国道229号線との交差する場所に「いなお呉服店」というお店があったからです。

 お墓のところには漁業協同組合の無線局がありました。そこから20mほどは、とても急な斜面になっていて、そこからそりで滑り、車道に出て、そのまま滑り下りるコース。その他、車道に出てから、また左右の崖に落ちていくというコースがありました。

 それらを単独で滑るのはもちろんのこと、そりを二つ、三つとつなげて滑ったり、10以上のソリをつなげることもしました。そうすると、カーブでは後ろのそりが、思いっきり振られて転倒するなんて事も。2つのつなげたソリ同士で競争するときは、コーナリングのテクニックが大切になります。

 学校から帰ってくると、近所から子供たちが集まり、だれともなく、そりを連結しようという話になったり。競争のルールも、仕切り役がいて、小さな子は大きな子の間に挟んで、振り落とされないようかばったり。そんなことが自然にできて遊んでいました。

 コースは自動車の道路なのですが、自動車の交通量が少ない時代です。冬は今のように除雪が行き届いておらず、もっぱら、そり、スキーの場所になっていました。たまに1時間に1台程度トラックが来ると、数十人の子供たちが、一斉にその行方を見守ります。

 着ているものは、今のようなナイロン系ではなく、厚手の綿やウールなので、濡れてくるととても冷いのです。しかし、帰るのが惜しい気持ちの方が上回っていました。良き思い出です。

 ちなみに、「いなお呉服店」は数年前に取り壊され、今は更地になっています。坂自体も、当時は歩道もなく、砂利道でしたが、今は側面をきちんとコンクリートで固めた立派な道路になっています。ここで遊んだ事を覚えている方はいらっしゃいます?

いなおの坂でそり遊び」への4件のフィードバック

  1. まこと

    こんばんは いなおの坂の名前はは初めて聞きましたが
    坂の下辺りに誰かが掘った穴知りませんか 穴に入って梯子で下に降り
    その後横穴が掘られており 突き当たった所にはろうそくがあり
    肝試ししたのが思い出されます 自分が中学生だったので
    一八さんは小学高学年くらいかと思います
    穴の探検の後大判焼き屋で大判焼きとラーメン食べたのが思い出されますよ

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    1. 北のお魚大使

      私もその穴で肝試しをした記憶があります。誰かに聞いたのですが、その穴は防空壕のために掘られたものだったとか。
      直径1m程の縦の穴でしたよね。その後、南の方向に進んで行ったと思います。
      大判焼きはもしかして、甘太郎ですか?

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  2. まこと

    一八さんも土に潜ったのですね 土が崩れたらと思うと怖かったね
    大判焼きは東山に上る坂〔ガベ坂〕の初めの辺りにばあさんが作っていた
    ラーメン屋&大判焼き屋ですよ

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  3. 北のお魚大使

    甘太郎ではないのなら、たぶんあのお店かな~。
    今度、名前を調べておきますね。

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